芽が出るまで、何も起きない
結論から言うと――
堆肥は、すぐには何も起こらない。
これが、一番つらい。
朝、俺は堆肥場を見に行った。
昨日、死ぬほど臭かった“最高のゴミの山”は、今日も変わらず――
「……ただの、臭い山だな」
湯気も出ていない。
熱も感じない。
発酵ゼロ点。
隣で村長が腕を組んだ。
「若いの。これ、本当に大丈夫なのか?」
「……はい。微生物は、そう簡単には動いてくれません」
「つまり?」
「三日は、何も起こりません」
「三日も何も起きないのか!?」
村長の声が裏返った。
「畑は待ってくれんぞ!?」
「はい。だから人間が先に“耐える”んです」
説得力ゼロだった。
案の定、その日の昼には、村人たちの不満が爆発した。
「何も変わらんじゃないか!」
「臭いだけ強くなっとる!」
「若いの、やっぱり騙しじゃないのか!?」
俺は畑の前で、完全に四面楚歌だった。
「いや! 発酵は! これからで!」
「“これから”で腹は膨れん!!」
正論すぎて、ぐうの音も出なかった。
(やばい……信用ゲージが開始三日で赤ゾーン……)
そのとき、昨日の子供が、畑の隅で何かを見つけた。
「ねえ! これなに!?」
駆け寄ると、地表から――
小さな双葉が、ひょこっと顔を出していた。
「あ……」
俺の喉から、声が漏れた。
それは、昨日こぼれ種で落ちた、雑草みたいな芽だった。
作物ですらない。
でも――
(この土で、芽が出た……?)
村人たちも、ざわつく。
「……あれ? この畑、ずっと芽も出なかったはずだぞ」
俺は、勢いで言っていた。
「ほら! 土、死んでません!」
「……たった一個の芽でか?」
「一個で十分です!!」
その日から、空気が少しだけ変わった。
村人たちは、半信半疑ながらも、俺の言う通りに
・生ゴミを分け
・糞を集め
・藁を刻み
堆肥場に運んでくれるようになった。
「くっさ……」
「なんでこんな作業せにゃならんのだ……」
愚痴だらけだったけど、誰も途中でやめなかった。
三日目の朝。
俺は、緊張で胃が痛くなりながら、堆肥場に向かった。
「……どうだ……」
手をかざす。
――ほんのり、温かい。
「……来た」
俺は、反射的に堆肥の山に顔を近づけた。
臭い。
でも昨日までとは違う。
ツンとした腐臭じゃなく、土の匂いに近い発酵臭。
「……村長!!」
走った。
「微生物が動き始めました!!」
「びせいぶつ!? 何だそれは!?」
「土の中の“見えない働き者”です!!」
村人たちが集まる。
「本当に効くのか?」
「これを畑に入れれば、今年は……?」
俺は、一度だけ、深く頷いた。
「今年は、ちゃんと“育ちます”」
その日の午後。
最初の試し撒きをした小さな区画で、異変が起きた。
葉の色が、明らかに違う。
昨日までの病気の黄緑じゃない。
生きている、濃い緑。
村人の一人が、震える声で言った。
「……若いの」
「はい」
「……奇跡か?」
俺は、即答した。
「いいえ。理屈です」
その瞬間――
「理屈で奇跡起こすなよ!!」
村中から総ツッコミが飛んだ。
夜、村長の家で、俺は初めて“ちゃんとした食事”をご馳走になった。
薄いスープと、硬いパン。
でも、不思議と、めちゃくちゃ美味かった。
「若いの」
村長が、真剣な目で言った。
「お前の言う“土の理屈”、この村は信じる」
胸の奥が、ぎゅっと締めつけられた。
「……ありがとうございます」
その夜、俺は藁の上で、天井を見つめながら考えていた。
(芽が出た。
土は、ちゃんと応えてくれた)
まだ収穫は遠い。
失敗すれば、この村は終わる。
それでも――
「……やっぱり、農業って、面白いな」
俺はそう呟いて、少しだけ、安心して眠りについた。芽が出るまで、何も起きない




