土を踏む音と、乳牛の足音
水路から引いた水が細く田んぼへ入り込み、表面をうっすらと濡らしていた。
まだ頼りない水量だが、畑は確かに変わり始めている。
(ここからが田んぼ作りの本番だ)
俺は田んぼの中央で足を押し込み、感触を確かめた。
じわりと水は滲むが、まだ柔らかすぎる。
---
レオンが首をかしげた。
「耕平さん。田んぼって、水入れるだけじゃダメなの?」
「ダメだ。底を作らないと水が逃げる。
踏み固めて“田んぼの心臓”を作るんだよ」
「踏むだけで……?」
リリアンヌが驚いた顔をした。
「ええ。地味ですが一番大事な工程です」
---
靴を脱ぎ、泥に足を沈める。
冷たさがじわっと上ってきて、胸の奥が懐かしくなる。
(三年ぶりか、代かき前の踏み作業なんて)
三人で一列になって作業する準備をしたその時――
「耕平さーん! 助っ人、連れてきた!」
レオンの声とともに、**も〜〜**という柔らかい鳴き声が響いた。
---
「……乳牛!? なんでここに!?」
白と薄茶のぶち模様が美しい、若い乳牛だった。
酪農場で回復したばかりの、一番人懐っこい個体だ。
レオンは誇らしげに胸を張る。
「踏むなら、この子の足が役立つと思って!
管理責任者さんが、『少しなら散歩させてもいい』って!」
「……散歩の延長で田んぼに入れるのか……」
思わず苦笑してしまう。
しかし、乳牛は落ち着いていて、俺たちを見て尻尾をゆっくり振った。
「かわいい……」
リリアンヌが思わず頬を緩める。
「名前つけたんだよ! “ミルカ”!」
「安直だな……でも悪くない」
---
まずは三人で踏みしめる。
泥が足を掴み、じわじわと締まっていく。
「ぬるっとしてて楽しい!」
レオンがはしゃぐ。
リリアンヌは泥に足を取られ、ふらついた。
「きゃっ……!」
「大丈夫ですか?」
「ええ……重くて驚きました。でも……なんだか、好きかもしれません」
その笑顔に、胸が少し熱くなる。
---
十分に踏んだあと、レオンがミルカを誘導した。
「行くよ、ミルカ! 田んぼ、頑張ろう!」
ミルカは素直に田んぼへ足を踏み入れた。
ずしん、ずしんと、しっかりした蹄の重みが土へ伝わる。
踏み跡は深く、広く、均一だった。
「……これは……想像以上だな」
「ミルカ、力持ちだね!」
レオンが頬を緩ませる。
「乳牛にも、こんな働きがあるなんて……」
リリアンヌが感心したように言う。
「昔は牛が田んぼを耕すこともあったんですよ。理にかなってます」
---
ミルカが歩き、人が補助し、夕方には底がしっかり締まった。
水が安定し、逃げなくなっている。
(これなら苗も安全に育つ)
「レオン、あそこの角だけもう一度踏んでくれ」
「任せて! ミルカ、もう一回行こう!」
乳牛はおとなしく従い、もう一巡してくれた。
「……ミルカ、優しい子ですね」
リリアンヌが微笑む。
---
作業が終わり、田んぼを見渡す。
水面が夕日を映して金色に揺れ、
そこに四つの足跡(人×3+牛)がきれいに並んでいた。
「今日で底作りは完了だ。
明日は苗代を作る」
「やったー!」
レオンが跳ねる。
リリアンヌは夕日を見ながら呟いた。
「人と乳牛が協力する景色……とても温かいですね」
その言葉に、胸がじんわりと熱くなった。




