灰の奇跡
翌朝、荒野はまだ黒いままだった。昨日まで燃え続けていた熱は引き、足元の灰は、わずかに湿り気を帯びている。
辺りには、焼け残った木の匂いと、鉄のような乾いた空気が漂っていた。
「……何も、ありませんね」
リリアンヌが、慎重に一歩だけ踏み出す。
「はい。
今は、何もありません」
俺は、黒くなった地面を見下ろした。
---
レオンが、ゆっくりと灰の上にしゃがみ込んだ。指先で、そっと地面を撫でる。
「……熱、もうない」
「中まで冷えたな」
「……でも、匂いは……昨日と違う」
レオンは、目を閉じたまま、しばらく動かなかった。
「……土、息してる」
その言葉に、俺は静かに頷いた。
「そうだ。
ここからが、本当の土作りだ」
---
まず、俺たちは灰を均す作業から始めた。鍬で表面を軽くならし、溜まり過ぎた場所の灰を薄いところへ移す。
「灰は、撒きすぎると逆に毒になります。
だから、均等に、薄くです」
「火の後でも、そんなに加減が必要なのですか?」
「はい。
“効くもの”ほど、使い過ぎると壊します」
リリアンヌは小さく息を呑んだ。
---
昼過ぎ、黒かった地面は、少しずつ灰色へと変わっていった。
鍬を入れると、昨日までとは違う感触が返ってくる。ざらり、とした砂ではなく、少しだけ“粘り”のある手応え。
「……柔らかい」
リリアンヌが、驚いたように言う。
「ええ。
灰のミネラルと熱で、土の性質が変わり始めています」
レオンは、黙って鍬を振り続けていた。
---
数日後。
俺たちは、豆と麦の種を、少量だけ試しに撒いた。畝はまだ低く、形も歪だ。
「……これで、どうなるのですか?」
「何も起きないかもしれません。
でも、芽が出たなら――
この土地は“戻ってきた”ということです」
その言葉のあと、誰もが口を閉じた。
---
三日目の朝。
俺は、いつもより少し早く目が覚めた。胸の奥に、理由の分からないざわめきがあった。
荒野へ向かうと、レオンがすでに畝の前に立っていた。
「……来て」
その声は、妙に落ち着いていた。
---
俺は、畝の端へしゃがみ込む。
そして――
黒と灰の境目に、ごく小さな緑が、ひとつだけ顔を出していた。
「……芽、ですか……?」
リリアンヌの声が、震える。
「はい。
間違いなく」
俺は、喉の奥が少しだけ詰まるのを感じていた。
---
レオンが、小さく拳を握った。
「……起きた」
その一言が、何よりも強かった。
誰も、しばらく言葉を発さなかった。
風が、灰の上を静かに撫でていく。
「……あの土地が……」
リリアンヌが、目を伏せたまま呟く。
「ええ。
戻ってきました」
---
その日、他にもいくつか、小さな芽が確認された。数は少ない。だが、確実に“命の数”は増えていた。
俺は、畝の前に立ち、深く息を吐く。
「……これで分かりました。
この土地は、もう“死んでいない”」
レオンは、芽の横にそっと手を置いた。
「……守る」
---
焼き尽くされた荒野に、初めて宿った、小さな緑。
それは、まだ作物と呼ぶにはあまりにも頼りない。
だが――
確かにここに、“再生の証”は立ち上がっていた。




