環境を治せ
「――まず、全部捨てます」
俺のその一言で、牛舎の中の空気が凍りついた。
「……は?」
「全部、って……
この飼料、全部か……?」
山のように積まれた干し草と保存飼料。
それは、この領都の“牛の命”そのものだった。
俺は、はっきりと繰り返す。
「全部です。
一束も、残しません」
管理責任者が、顔を引きつらせる。
「そんなことをしたら、
牛は明日から何を食えばいい……!」
「生き残らせたいなら、
いまある餌を信じないでください」
少しだけ、声を落とす。
「この中に、
どれだけ毒が残っているか――
誰にも分からない」
沈黙。
その奥で、ヴァルガスが腕を組んだまま言った。
「好きにしろ。
どうせ三日後には――」
「違います」
俺は、ヴァルガスの言葉を遮った。
「三日後には、立たせます」
その場にいた全員が、言葉を失った。
---
「水も、止めます」
次に向かったのは、水桶だった。
「上流の水路、今すぐ遮断してください」
「しかし……牛は水を――」
「いま飲ませている水が、毒です」
俺は、きっぱりと言った。
「代わりに、
井戸水か、煮沸した水を使ってください」
「そんな量の水、すぐには……!」
「だから、
牛の数を、減らします」
再び、空気が張りつめる。
「助からない牛は、
今日のうちに分けます」
それは、残酷なほど、合理的な言葉だった。
だが、誰も反論できなかった。
---
作業は、すぐに始まった。
腐った飼料の山が、
牛舎の外へと運び出されていく。
「……くそっ」
村人の一人が、歯を食いしばりながら呟いた。
「これだけあれば、
何日ももったのに……!」
俺は、止まらずに言う。
「それは“餌”じゃありません。
もう“毒の山”です」
誰かが、涙を拭いながら、飼料を担いでいく。
そして――
火。
焚き上げられる、飼料。
白い煙が、空に昇っていった。
---
次に手を入れたのは、牛そのものだった。
「この牛は……浅い」
腹を触り、目の濁りを見る。
「……こっちは、深い」
一頭ずつ、
生かす牛と、見送る牛を分けていく。
「……お願いします」
管理責任者が、震える声で言った。
「どうか……
この子たちを……」
俺は、強く頷いた。
「やれるだけ、やります」
---
生かす牛に与えたのは、
これまでとは“まったく違う餌”だった。
・薄く煮た麦殻
・刻んだ豆の殻
・塩を極微量
・そして、ぬるい清潔な水
「……これだけ?」
「はい。
腸を、休ませる食事です」
牛は、最初は警戒するように嗅いで、
やがて、ゆっくりと口に運んだ。
「……食った」
「……食べた……!」
小さなざわめきが起きる。
---
夜。
牛舎の中は、昼よりも静かだった。
倒れていた何頭かが、
わずかに――
首を、持ち上げていた。
「……っ」
リリアンヌが、思わず口を押さえる。
「……生きてる……」
俺は、静かに言った。
「ええ。
まだ、戻れます」
だが、同時に――
動かなくなったままの牛も、確かにいた。
俺は、その前で、深く目を閉じた。
「……守れなくて、すみません」
この仕事は、
奇跡を起こす仕事じゃない。
生かせる命を、選び取る仕事だ。
---
夜明け前。
俺は、牛舎の外で、空を見上げていた。
(……やることは、全部やった)
あとは――
牛の身体が、答えを出すだけだ。
背後で、リリアンヌの声がした。
「……あなたは、
いつも“できる”と言い切りますね」
「言い切らないと、
誰も信じてくれないですから」
少しだけ、笑って返す。
「でも本当は――
毎回、賭けです」
彼女は、少しだけ目を伏せて言った。
「……それでも、
人が賭ける姿は、
人を動かすんですね」
遠くで、
牛の低い鳴き声がした。
それは、弱いけれど、
確かな“生の音”だった。
俺は、そちらに目を向ける。
「……間に合え」
ここが、
生と死の分かれ目。
次は――
牛が“立つ”かどうかの朝だ。




