第7話 もうもどれない
部屋を飛び出した私に、行くあてなんてない。
祈弓兵は基本的に、護衛官以外と深い関わりを持つことは禁止されていた。
それに思い通りに動かない足を引きずっても、そもそも遠くになんていけない。
私は、何処にも行けないのだ。
少し歩いただけで、肺が圧迫されたように苦しくなる。
私は激しく咳き込んでしまい、仕方なく近くの物陰に身を潜めた。
「アマヤ―!!」
聞き馴染みのある声が、心配そうな声が、すぐに遠くから聞こえてきた。
私が部屋を出てから、すぐに追いかけてきてくれたのだろう。
そんなリュカの行動に、ほんの少しだけ胸が温かくなる。
本当は、分かっているのだ。
リュカは何も悪くない。
私が身体だけでなく、心まで醜く暴走してしまっているだけ。
それでも、もうどうしようもないのだ。
毎日、不安で、不安で、不安で。
痛くて、苦しくて、気持ち悪くて、眠れなくて。
全てを乗り越えて微笑んでいられるほど、私は強くなかったみたい。
――もっと強くて優しい子だったら、リュカは愛してくれたのかな。
私が悲しみに沈んでいる間に、リュカの声が随分近づいてきた。
そして、誰かと会話を始めたらしい。
「おう、護衛官じゃないか。祈弓兵は一緒じゃないのか?」
「先輩! その、はぐれてしまいまして……」
「おいおい、喧嘩か? あの祈弓兵はまだ使えるんだから、うまくやれよ!」
「なっ……そんな言い方は!」
「今の祈弓兵の護衛が好成績で完了すれば、お前の出世も間違いなしだろ。良いよなぁ!」
「俺は別に、出世なんて」
「いいって先輩に気を遣うなよ。お前、ロゼリア少尉と仲が良いらしいじゃないか。そのままあの部隊に移籍か? 羨ましいぜ、全くよぉ!」
彼らの話を聞いて、私の頭は真っ白になった。
――ロゼリア少尉? 誰?
そのとき、凛とした女性の声が響いた。
「私に何か用か? シュツルク二等兵」
「ひぇっ、ロゼリア少尉!? なんでもございませんっ!」
私は息を飲んで、物陰からそっと様子を伺った。
そこには、リュカと、長身で細身の兵士と、軍服を纏った凛として美しい女性がいた。
(あれが……ロゼリア!)
無意識に、私は自分の手をきつく握りしめた。
彼女に罪は何もないのかもしれないが、憎くて憎くて仕方がなかった。
それ以降、私の世界に音は消え去り、何かを会話している三人の様子だけが瞳に映し出される。
ロゼリア少尉と話すリュカの顔はどこか柔らかく、嬉しそうに見えた。
――私と話している時と、全然違う。
必死に怒りを堪えようと嚙み締めた唇から血が流れた。
ずるい! ずるい! ずるい! ずるい!
美しさ、強さ、凛々しさ、地位、名誉、――リュカ。
彼女は私が持っていないものを、全て持っている!
リュカが私にまだ優しくしてくれるのは、人間兵器としての祈弓兵を管理するため?
その手柄を持って、ロゼリア少尉の部隊へ華々しく出世しようというの?
私の、死んだ世界で。
(そんなの……)
(絶対に、許さないわ……)
私は荒れ狂う怒りの炎を燃やして、その光景を見つめ続けていた。
日が暮れた後、部屋に戻ってきた私をリュカは抱きしめてくれた。
これだけで身体の苦しみが随分と和らいでいく。
心は壊れていく一方なのに、皮肉ね。
「ごめん、アマヤ。俺は君の苦しみを、分かったつもりで、全然分かっていなかった」
「いいのよ、リュカ」
真摯な顔で謝罪してくれるリュカの言葉も、もう私には届かなかった。
だって、全てが私を利用するための演技に見えてしまうんですもの。
貴方も大変ね。
本命の人に近づくために、こんな化け物を相手にしなくてはいけないなんて。
――それでも、少しだけ、意地悪をしてしまおうかしら?
「ねえ、リュカ」
私は甘えるように彼に言う。
「本当に私が気持ち悪くないなら……証明して?」
「えっ?」
艶を失った指先で、私は彼の頬を撫でる。
「できない?」
「いい……の?」
そのとき微笑んだリュカの顔が、昔の、あの頃のままだったから。
私の心臓は、今この時、もう止まってしまうのかと思った。
「嬉しい。ずっと、そうしたかった」
「……うん」
何が本当なのか、私には分からなくなってしまった。
ただ、一つだけ言えるのは、もう後戻りが出来ないことだけ。
ベッドにゆっくりと押し倒されながら、私はリュカの温もりだけを感じていた。




