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黒衣の王太后 ミカエラ②

エラルドとイーニア……。わたくしはこの2人が初めて出会ったと日のことは、今でもはっきりと覚えている。


 今から考えると、エラルドはシルベールと最初から示し合わせていたのかも知れないとさえ思う。


「彼女の名前はイーニア・ロレット。ロレット伯爵家のご令嬢です。どうです。美しい女性でしょう? これだけの美姫は国中どこを探しても滅多にお目にかかれませんよ」


 シルベールはまるで得難い商品を見つけたとでも言う様に、連れて来たイーニアを自慢げに紹介した。


 確かに美しい人だった。陶器の様に滑らかな白い肌。銀の髪に深いエメラルドグリーンの瞳。もし女神がこの世に存在すると言うのなら、きっと彼女の様な|姿形をしているのではないかと思った程だ。


 女性のわたくしでさえそう感じるのだ。


 ふと隣を見ると、エラルドもイーニアを見つめ、その視線を逸らそうともしなかった。彼のその視線に気付いたのか、イーニアもまたエラルドを見つめる。2人の視線が交錯した。見つめ合う二人を見たわたくしは、その時から既に嫌な予感がしたのだ。


 だが、わたくしの視線に気付いたのだろう。エラルドは気まずそうに彼女から視線を逸らした。


「シルベール、私はもう2度と新たに妃を求めるつもりはない。それに万が一にでも私が次の妃を求めるとするならば、その目的は我が子をこの手に抱く為に他ならない。見たところその娘はかなり痩せて見えるが、お前はその様に細い体で、その娘が本当に私の子を産めるとでも思っているのか? 分かったなら、その娘を連れて早々に立ち去れ!」


 その時のエラルドの第一声は、シルベールに対する拒絶の言葉だった。


 わたくしはほっとした。わたくしの思い違いだと信じようとしたのだ。


 でもそうではなかった。


「そこをなんとか…! 陛下のご事情は存じております。ですが、諦めるにはまだ早い。陛下はまだ40を少し過ぎただけではありませんか? どうかこれが最後の機会だと捉え、この娘を娶ってあげては頂けませんか?」


 だがシルベールは往生際悪く、エラルドに縋った。


「ええい、しつこい! 帰れと言ったら帰れ!!」


 そのシルベールの態度に、エラルドが怒声をあげた瞬間、イーニアが突然その場に跪いた。


 驚くわたくし達を他所に、彼女は目に涙を一杯に溜めながら訴えかけた。


「陛下。どうかお願いします。私は帰ったら娼館に売られてしまうんです! どうか助けて! お願い! 私を助けて下さい!」


 彼女のその言葉を聞いたエラルドは、眉を寄せ、困惑の表情を浮かべた。


「娼館に売られる? 伯爵家の令嬢である其方がか……? シルベール、これは一体、どう言う事だ? 説明しろ」


 エラルドが戸惑いながら命じると、シルベールはまるで水を得た魚の様に意気揚々と、彼女の事情について説明した。


「実は、ロレット家は我が家の寄子貴族なんですがね。残念な事にかなり金銭的に困窮しておりまして、既に借金で首が回らない状態なんです……」


「……では、その借金のかたに、令嬢は娼館に売られる事になったと言う訳か……?」


「ええ。話を聞いて流石に私も可哀想に思いまして、万が一にでも陛下が彼女を気に入られ、側妃にと望んで頂けたなら、王家から支給される彼女の支度金で伯爵家の借金は帳消しになる。そう考えて彼女をここに連れてきたんです」


 一連の流れを間近で見ていたわたくしは妙な違和感を覚えた。何かの芝居でも見せられているかの様な……そんな違和感だ。


 少し考えてやっとその違和感の正体に気付く。


 可哀想だと思った……? そう思ったならこんな所に連れて来ないで、貴方が助けてあげれば良かったでしょう? シルベール家はロレット家の寄親貴族なのだから……と。


 その時だ。


「なる程。諦めるにはまだ早いか。確かにそうだな。分かった。但しこれは人助けだ。シルベール、其処のところを履き違えるなよ」


「え?」


 エラルドの態度が突然変わった。


 わたくしの隣で、エラルドがそう言って頷いたのだ。シルベールに話しかけている風に見せて、その実、まるでわたくしに新たな側妃を娶ることへの言い訳でもするかの様に……。


 わたくしは一瞬、自分の耳を疑った。


 何故……? どうして今更……?


 そんな言葉だけが頭の中を駆け巡る。


 辛い思いをさせたと詫びてくれたではないか……。


 これからは2人で共に、国のために生きようと……そう誓ってくれたではないか……。


 また夫婦の部屋の冷たいベッドでたった1人、涙を流す日々が始まるのか……?


 わたくしは目の前が真っ暗になるのを覚えた。


 結局イーニアはロレット家には戻らず、そのまま王宮に部屋を賜った。その夜、わたくしは嫁いで来てから初めて彼に怒りをぶつけた。


「どうして……。どうしてですか⁉︎ 2人の側妃様に子が授からなかった時、これで最後だと仰ったではありませんか⁉︎」と…。


 するとエラルドはそんなわたくしを見て、躊躇いがちに抱き寄せると、まるで子でもあやすかの様に頭を撫でた。


「すまない、ミカエラ。だが、本当にこれで最後だ。シルベールにも言ったが、これは人助けだ。彼女とて、沢山の男を相手にするより、私1人を相手にする方が余程マシであろう? 本音を言えば私はどうしても諦めがつかないのだ。自分が子を成せぬ体なのだと、どうしても受け入れる事が出来ぬのだよ。私はな、ミカエラ。国王なのだ。次代を受け継ぐ子を成す事は、私に与えられた責務なのだよ。其方にはまた辛い思いをさせてしまうが、以前と同じ様に其方の事は誰よりも大切にする。誓う。だからいま一度……。いま一度だけ。今まで通り2年だけで良いのだ。堪えては貰えぬだろうか……?」


 彼からそう言って頭を下げ説得されれば、もうわたくしにはも何も言い返す事は出来なかった。


 次代を継ぐ子を儲ける事は責務。お前はその責務を果たすことが出来ない王妃だ。それはわたくしも何度も言われ続けた言葉だったから。


 わたくしだけではなく側妃二人が子を授からなかった事で、不妊の原因はエラルドだと宮廷内では当然の事のように囁かれていた。わたくしが耐えたあの中傷に今度は王であるエラルドが虐まれていたのだ。


 彼はわたくしに何も言わなかったけれど、きっと辛かったはずだ。わたくしはエラルドのこの時の言葉からそれを感じとった。


 その後、エラルドは正式にイーニアを側妃として迎え入れ、わたくしはまた、夫婦の寝室で1人涙を流して眠る日々に舞い戻った。


 だが、それから暫く経ったある日のこと。


 何時もと同じ様にエラルドと共に朝食を取ろうと向かった食堂には、既に彼とイーニアの姿があった。


 2人は仲睦まじく、共に微笑み合いながら既に食事をとり始めていた。彼がわたくしよりも先に食事をとり始めるなんて初めてのことだった。過去に二人の側妃を迎えた時も、食事は二人で共にとっていた。それなのに……。わたくしは自分の居場所をイーニアに奪われたような気がした。


 然も、エラルドは嬉しそうに顔を綻ばせながら、自分の手ずからパンを千切り、イーニアの口もとへと運んでいた。その姿はまるで愛し合う恋人同士の様だった。


 彼とはこんな人だっただろうか…。


 わたくしの知っている彼はいつだって国王としての自分の立場を一番に考える人だった。それを人前でこんな姿を見せるなんて……。


 わたくしは目の前に広がる光景に信じられない思いで、呆然とその場に立ち尽くした。


 暫くしてわたくしに気付いたエラルドは、まるで当たり前の事の様に告げた。


「ああ、ミカエラ。丁度良かった。彼女は食が細くてね。こうやって私が自ら食べさせてあげないと、満足に食事も取らないんだよ。ほらイーニアはとても痩せているだろう? それでね。君には本当に申し訳ないが、彼女の体力がつくまでの間、私は彼女と食事を共にしようと思う。ほら、彼女には私の子を産む体力をつけて貰わなければならないだろう?」 


「ですが、わたくし達は結婚して以来ずっと、共に食事を取って参りました。食事の時間はわたくし達が、国の行く末を語り合う大切な時間だったではありませんか? 第一陛下は、イーニア様を娶っても何も変わらないと……そうわたくしと約束ではありませんか?」


 堪らずわたくしが反論すると、彼は声を荒げた。


「君がそんなに物分かりか悪い人だとは思わなかったよ!」


 長い間連れ添って来たが、こんな風に彼がわたくしに声を荒げるなんて初めての事だった。


 話にならなかった。


 わたくしの目の前にいるこの人は一体誰なんだろうと……そう思った。


 其処には親子程も歳の違う少女に年甲斐も無く夢中になった、哀れな中年男の姿があった。


 その日から彼の言葉通り、エラルドはずっとイーニアと寝食を共にする様になった。


 今まで彼に寄り添い、支え続けたわたくしの事は置き去りにして……。


 そしてそれから僅か3カ月後、イーニアの懐妊が発表され、王宮中が喜びに溢れた。


 わたくしと側妃二人は、何年もの間エラルドと閨を共にした。でも誰一人として彼と子を成す事は出来なかった。


 それなのに僅か3カ月で懐妊なんて……。


 いや、懐妊が分かるまでの期間を考えると、彼女がエラルドの子を宿したのはそれよりもずっと前という事になる。


 当然の事だが、王家に嫁ぐのだ。彼女が純潔であると言う事は既に王宮医師が確かめている。


 では、イーニアはエラルドに側妃として嫁いで直ぐに、彼の子を宿したと言うの……?


 信じられなかった。


 それでも王妃として、イーニアに祝いの言葉は伝えなければならない。


 わたくしが彼女の部屋へ赴くと、其処には満面の笑みを浮かべたエラルドがいた。


 そして、わたくしの顔を見るなり彼はこう言い放った。


「やあ、ミカエラ。漸く私も我が子をこの腕に抱く事ができるよ」


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