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向日葵の墓 宰相アルドベリク①

 私は情け無いほどに無力だった…。


 アルテーシア様に最後にお会いしたのは、彼女に仕えていた侍女エリスが亡くなった日だった。


 エリスの遺体を前に呆然と立ち尽くす私に、彼女は言った。


『私はもうこれ以上誰も巻き込みたくはないのです。だからお願い。貴方も、もう私の所へは来ないで下さい。これ以上私に関われば、今度は貴方や叔母様の身にも危害が及ぶかも知れない…。もう私のせいで、誰にも傷ついて欲しくないのです…』


『違う。貴方のせいなんかではない。宰相と言う要職にありながら、エリスの事を守れなかったのは他でもない。この私なのです』


 私はアルテーシア様にそう言ったけれど、それは彼女にとっては何の慰めにもならなかった。


 彼女はただ、エリスの前で跪き涙を流していた。


 ある日私はエリスから、アルテーシア様の食事に何らかの薬が盛られているのではないかという相談を受けた。イヴァンナが側妃として王宮に来てからと言うもの陛下は彼女と食事を共にし、アルテーシア様は自室で食事を取っておられた。その日、エリスがいつも通りアルテーシア様の食事を取りに食堂に行った際、侍女長が彼女の食事に何かを振りかけているのを見たと言うのだ。


 話を聞いた私はそれ以降、侍女達を通さずエリスに直接アルテーシア様の食べる物を渡すようにした。 


 その後暫くして、アルテーシア様に懐妊の兆候が現れ、エリスが涙を流して喜んでいたのを今でもはっきりと覚えている。


 これで全ての憂いが無くなる。この時は私も本気でそう思っていた。


 その結果、エリスの身が危険に晒されるなど思ってもいなかったのだ。


 亡くなったエリスの亡骸を見た私は、自分が情けなくて…悔しくて…。どんな事をしても彼女に代わってアルテーシア様をお守りしようと、心に誓った。


 それなのに……。


 その後私が何度アルテーシア様に面会を申し込んでも、彼女がそれに応じて下さる事は無くなった。


 仕方なく私は王妃の間のドアをノックして合図を送り、食べ物や飲み物を部屋の前に置いていた。


 だが、最後にお会いしてから僅か2週間後。アルテーシア様は亡くなった…。


 知らせを聞いて駆け付けた私は衝撃を覚えた。


 私の知らぬ間にアルテーシア様の部屋が変わっていたのだ。そして、宰相である私が、その事を全く知らされていなかった…。


 イヴァンナは、アルテーシア様がお腹の子を流産されるまで、私に部屋が変わった事を知られない様に、お得意の情報統制を行なったのだろう。


 だが、今更それに気付いても、もう何もかもが遅かった…。


 アルテーシア様は既に亡くなられたのだから…。


 然も以前アルテーシア様が使われていた王妃の間をイヴァンナが使っていた。


 王妃の間を明け渡すと言う事は即ち、王宮の女主人の座を明け渡したと言う事だ。


 その事実を知った私は激しい憤りを覚えた。


 私が毎日王妃の間の前に置いていた食べ物は、イヴァンナによって秘密裏に処分されていたのだろう。彼女は何も知らない愚かな私を嘲笑っていたに違いない。


 その後、案内された部屋で私が見たのは、アルテーシア様の遺体と、トレーと共に床に転がっていたあのたった1つのパンだった。


 エリスだけではない。私はアルテーシア様の事も守る事が出来なかった。


 そして案の定、医師から告げられたアルテーシア様の死因は餓死。


 恐らくアルテーシア様はエリスが死んだ日から、殆ど何も口にしておられなかったのだろう。いや、以前から食事に薬を盛られていたのだ。きっと彼女のお腹に宿った命の事を考えると、怖くて何も食べる事が出来なかったのかも知れない…。


 然もやはりと言うべきか、パンを手に取り匂いを嗅ぐと、少しだけ鼻を突くような異臭がした。私が宮廷医師にパンを突き付け確認すると、彼はそれを認めた。


 驚く事に宮廷医師自らが、イヴァンナに命じられ、堕胎剤を侍女長に渡していたのだ。


 この王宮はどこまで腐っているんだ。宮廷医師でさえあんな女に手を貸すのか…?


『堕胎剤だぞ! 誰に使われるかなど、お前にも分かったはずだ。何より医者であるお前が王妃様のお腹の中の子の命を奪うのか!? 分かっているのか? お前のした事は王族殺しだぞ!』


  その時、医師の胸ぐらを掴み怒声をあげた私に彼は涙を流した。


『では、私はどうすればよかったのですか? あの人達は人を殺める事を厭わない。邪魔者は全て消されるんだ! あの王弟一家のように…』


 医者のその言葉は正に私にとって青天の霹靂だった。


『……何? 王弟一家だと? あれは事故ではなかったのか?』


 問い質した私に彼は頭を振りながら泣き叫んだ。


『…違う! 違うんです!! 私は関係ない…。私はただ、頼まれて睡眠薬を処方しただけだ』


 王弟一家が事故ではなく殺されただと…?


 私は絶望を感じた。


 何故なら私はその事故で、大切な婚約者を失ったのだから…。


 王弟の息女パトリシアは私の愛した人だった…。


 私は直ぐに叔母ミカエラに頼み、宮廷医師を叔母の住む別邸に保護して貰った。彼は大切な証人だ。


 王太后の住む別邸なら、流石に彼らも手出しは出来ないだろう。


 次は全てを知る君の命が危ないと説得すれば、彼は素直に私に従った。


 幸いと言うべきか、その日イヴァンナはシルベール公爵邸に戻っていた。彼女は事あるごとに公爵邸に戻る。今日は義母に当たるシルベール公爵夫人の誕生日だそうだ。たったそれだけの理由で、彼女は陛下から里帰りを許される。その話を聞いた時、アルテーシア様との余りの待遇の違いにまた怒りが湧いたが、きっとこれは神が私に仇を取る為のチャンスを与えてくれたのだと思う事にした。


 時間がなかった。


 私は、陛下を部屋に足止めし、その間に出来うる限りの証拠と証言を集め、その後、陛下に事の詳細を説明に行った。


 その時陛下と話していて、私は妙な違和感を覚えた。陛下が子供の話を一切しないのだ。


 もしや陛下はアルテーシア様の懐妊を知らないのではないか…。そんな気がした私は陛下に《《かま》》を掛けてみた。


 案の定彼は酷く驚き、駆け出したかと思うと真っ直ぐに今、アルテーシア様が使われている部屋へと向かった。アルテーシア様の懐妊さえ知らなかった彼が、彼女が部屋を移った事は知っていた。やはり陛下がアルテーシア様の部屋を変えるよう命じたのだ。


 この時私は確信した。


 例えイヴァンナから強請られたのだとしても、この男は王宮の女主人を正妃ではなく側妃だと認めたのだ。


 こんな男が国王だなんて…。もはや私は怒りを通り越して呆れた。


 隣国が…アルテーシア様の祖国が…地震で疲弊したこの国を援助してくれている事は、この国の民なら誰もが知る事実だ。その大恩ある国の王女を、国王であるこの男が、何も考えず何故これ程までに蔑ろに出来たのかと。


 この事がアルテーシア様に与える影響をこの男は少しも考えなかったのかと…。


 すまない…エリス…。


 私は君の大切な人を、守ることが出来なかったよ。宰相と言う要職にありながら何1つ出来ず、何1つ知らされず、みすみすアルテーシア様を死なせてしまった…。


 君はきっとこんな私に失望しているだろう。今の私は完全なる負け犬だ。


 だけどね、エリス。犬は噛み付くんだ。


 私はエリスの墓に向かってそう呟いた。


 エリスは婚約者の次に私が愛した|女性だった。


 婚約者を失い失意の中にいた私は、彼女の明るさや下向きにアルテーシア様を支えようとする姿に惹かれて行った。


 そう…。私は彼らによって2度も愛する人を奪われたのだ…。


 


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