罪と罰 側妃イヴァンナ④
「大丈夫だ。今はお前からパンを奪う者は、まだそこでのびている。これはお前の物だ。胃がびっくりしない様に時間をかけてゆっくりと飲み込め」
カイザードはまるで子供に諭す様にそう言うと、パンを食べる私を心配そうに隣でずっと見つめていた。
さっき苦しむシルベールを見たばかりだ。もし、私も同じ様になったら……。そう考えると、正直に言って怖かった。そんな私を気遣ってくれたのだろう。
私は彼の言うとおり、少しずつパンを千切り、水で口の中のパンをふやかす様にしてゆっくりと飲み込んでいった。
パン1つを、こんなに時間を掛けて食べたのは初めての事だった。
このパン1つが命を繋ぐのだ。
貴族として生まれた私は、母や祖母に虐げられて育ったが、それでも食べる物に苦労した事はなかった。
私は生まれて初めて、食べられると言う事の有り難さを知った気がした。
カイザードは、私がパンを食べ終わるまで側にいてくれた。
きっと彼は、私の体に何かあった時、直ぐに対処出来る様、見守ってくれていたのだろう。私がパンを食べ終えるのを見届けると、黙って部屋を出て行った。
人の優しさに触れた気がした。
ジュリアスの本当の父親。
あの人は優しい人だ。
もし、ジュリアスが当たり前にカイザードの子として生まれていたら、彼はきっと大切に育てられ、今とは別の人生を幸せに生きる事が出来ただろうと……そう思った。
そう……。別に幸せになるためには、王である必要も王妃である必要もなかったのだ。
そしてそんな優しい人を、こんな復讐なんてものに駆り立てたのは、間違いなく私たちだった。
気付くのが遅すぎた。もう、取りかえしがつかない。
この日、私は今までの自分の行いを悔い、声を上げて泣いた。
「おい!」
義父の呼ぶ声で目が覚めた。
どうやら私はあの後、泣き疲れて寝落ちしてしまったらしい。
「あのパンには毒が入っていたのか?」
義父は私にそう問いかけた。やはり私と同じ疑いを抱いたようだ。
私はカイザードから聞いた話を説明した。
「いえ、私もそれを疑ってあの男に問い質しました。でも、違う様です。私達は何日も物を食べていなかったから、胃があまり活動していなかった。そこにいきなり食べ物を流し込んだ事による拒否反応だろうと彼は言っていました」
「……そうか」
義父は頷いたが、未だ半信半疑の様だ。
そんな義父の様子を見て気付いた。
そうだ。あの時、義父は気を失っていてカイザードの話を聞いていない。これを上手く利用すれば聞き出せるのではないか…と。
『何故、イーニアだったんだ?』
カイザードの1番知りたかったその答えを…。
私は彼に昨日のパンの恩返しがしたくなったのだ。
「昨日、義父様がパンを食べて苦しんでおられた時、あの男が来て無理矢理パンを吐き出させたのを覚えておられますか?」
私はシルベールに問いかけた。
「……ああ」
彼にもそこまでの記憶はある様だ。
「本当に毒を盛って殺す気なら、あんな事はしないと思うんです。義父様はあの後気を失っておられましたが、あの男は言ったんです。人が水だけで生きられるのは3週間だと言われていると。勿論、個人差もあるでしょう。王妃様は実際に10日前後で亡くなったみたいですから」
「10日……」
義父は目を見開き、吐き出す用に私の言葉をなぞった。
「ええ。そうです。私達は今までに2回、パンを食べる機会を失いました。次にパンが来るのはまた3日後。私達が此処へ来て9日目です。これがどう言う事か分かりますか? 彼はこうも言っていました。これから私達は体に栄養が行き渡らず低血糖になってどんどん体が弱っていく。そのうち、脳にも栄養が行かなくなり、昏睡状態に陥りやがて死んでいくのだと……。そして痩せている私は義父様より早くそうなる可能性が高いとも……」
「……」
私の話に義父は動揺し、ゴクリと唾を飲んだ。
「私がこうして義父様と話が出来るのも、義父様の言葉がわかるのも、今日が最後かも知れません。明日になればどうなるのかも分からない。お願いです。私は何も知らないまま、ただ死を待つなんて嫌です。最期に本当の事を教えては頂けませんか!?」
「……最期? 私は死ぬ……のか……?」
すると驚いた事に義父は私のこの言葉で、自分に死が迫っている事に今、漸く気づいたらしい。
此処でやめておくべきだった。それなのに私は正直にその先を話してしまった。
「……ええ。残念ですが彼は言っていました。ジルハイムはもう、私達を許さないと……。私達はもう、どう生きるかではなく、どう死んでいくのかを考えなければならないのだと思います」
「どう……死んで……いくか……だと?」
私の話を聞いた義父は、そう呟いて視線を彷徨わせた。
そう……。これはカイザードが私に言ったこと。
鬼でも獣でもなく、人として死んでいって欲しいと…。
だが……。
「ああーーーっ!!」
突然、義父が奇声を発し暴れ回った。
「何故だ! 何故、私が死ななければならない! 嫌だ! 死にたくない! 死にたくない!!」
そう叫びながら…。
私は一瞬、何が起こったのか分からなかった。
そして次の瞬間、義父は私の胸ぐらを掴み締め上げた。
「お前のせいだ! 王妃を殺したのはお前だ! 何故私まで巻き添えになって死ななければならない!?」
「義父様が…言ったのでは…ありま…せんか…。王妃様が…邪魔だ…と」
言い訳するも苦しくて声が途切れる。
殺される。そう思った。
「だったら、何故、バレない様にもっと上手くやらなかった!!」
義父は叫んだ。
その時だ。胸が急に軽くなった。私の胸を掴んでいた義父の手が離れ、私はその場に崩れ落ちた。
「痛い! 痛い、痛いっ!」
義父が悲痛な声を上げる。
「女に手を掛けるなんて、クズはどこまでいってもクズだな!」
声がして顔を上げると、カイザードが義父の手を捻り上げていた。彼はそのまま義父を床に叩きつける。
「ぎゃー!!」
義父は床に体を思い切り打ち付け、叫び声を上げた。彼は痛みに顔を歪ませ、悶え苦しんでいる。
「お前、こいつに何を言った!?」
そんな義父を尻目にカイザードさんは私を怒鳴りつけた。
「私達は…もう…助からない…と…。だから…ほ…本当の事が知りたい…と…。話を…して…欲しいと…」
まだ、締め上げられた胸が苦しくて、上手く声が出せない。
「胸が苦しいのか?」
彼はそんな私の側に来て屈むと、手で私の首を持ち上げた。
「やはり痣になっているな。あいつ! 思い切り締め上げやがって。なんて奴だ!」
カイザードは怒りを露わにし、床に倒れている義父を睨みつけた。
彼の鋭い視線を受けた義父は、尻を床につけたまま怯えた様に後ずさる。
カイザードは、私に目線を合わせると優しい声で問いかけた。
「大丈夫か?」と。
「はい……」
私は頷く。
「あいつは最期まで自分の非を認める事が出来なかった。だが、考え様によっては可哀想な奴だ。あいつは最後まで人になれずに死んでいく。だからもう、お前はあいつに構うな。お前はあいつとは違う。分かったな?」
カイザードは私に言い聞かせる様にそう声を掛けると、ハンカチを私に手渡した。
気付いていなかったが、私は涙を流していた様だ。
その涙は何の涙だったのか……。
私自身にも分からなかった。
殺されそうになって怖かったのか……。
それともお前は義父とは違うと言って貰えて嬉しかったのか……。
「ありがとう……ございます……」
ただ、私がそのハンカチを受け取り、お礼を言うと、カイザードは私に少しだけ笑みを見せてくれた。
それからはまた、次のパンを待つ時間が始まった。義父はあの後、打ち付けられた体が余程痛いのか、それとも漸く自分の死を受け入れたのか、大きな体を丸めベッドで縮こまっている。
どれくらいの時間が経ったのだろうか。
暫くして部屋の扉が叩かれた。パンだと思ったが違った。部屋に入って来たのがカイザードではなく、あの王妃の愛した男だとカイザードが教えてくれた男性だったからだ。
彼は私達に告げた。
「お前たち2人の貴族藉が剥奪された。これでお前達の身分は平民になった。その上で告げる。2人の処刑が正式に決定した」
「この私が平民……? 処刑だと……?」
義父は彼の言った言葉が飲み込めないのか、訝しげに声を上げた。
「ああ、そうだ。平民だ。この意味が分かるか? 貴族の処刑は毒杯だ。だが平民のそれは違う。衆人環視の元、斬首刑だ」
衆人環視の元、斬首……。
それが私が受けるべき罰……。
「これから処刑のため、お前達は王都へと向かう」
彼がそう告げると途端に義父は何かに取り憑かれた様に大声を上げ騒ぎだした。
「いやだ! いやだ、いやだ、いやだ、死にたくない! なぁ、アンタ。助けてくれ。金なら幾らでも出す!」
既に立ち上がる力もないのか、床に座り込み、手で頭を抱えながら泣き叫ぶその姿を見ても、もう私は義父に対して何も思うことはなかった。
反対にこんな男の口車に乗って罪を重ねた自分自身が情けなかった。
王宮で贅沢をして生きる……それだけが幸せではなかった。本当に自分を大切に思ってくれる人たちに出会い、与えられた場所で精一杯生きる。
きっとそんな幸せもあったのだと、私は自分の命を代償にしてやっと気付いたのだ。
その後、義父は彼が連れてきた騎士達に拘束された?
そして私と義父は、小屋の外へと連れ出されたのだった。
凄惨性を防ぐため、餓死に関する表現はかなり柔らかいものになっています。ご了承下さい。




