罪と罰 側妃イヴァンナ③
「王妃の愛した男はな。彼女の死を知って嘆き悲しみ、彼女の仇を取ろうとずっと動いていた。お前達に彼女と同じ……いや、それ以上の苦しみを味わわせるためにな。彼は言ったよ。今の自分はただ、その為だけに生きているんだと……。そしてお前達は既に全てを失った後だ」
「全て……?」
「ああ、全てだ。王都を捨てて逃げたシルベールは、公爵の地位を廃爵され今は既に平民だ。そのシルベールの養女であるお前もな。そして、領地の屋敷も既に領民達によって占拠されている。もしお前達が此処から逃げられたとしても、お前達にはもう帰る場所さえないんだよ。逃げたシルベールの夫人や息子夫婦も、今頃は領民達によって取り押さえられているだろう。その領民達を先導したのも、勿論その男だ」
「……王妃の愛した人……ですか?」
「ああ、お前たちを捉え此処に連れて来た男。彼がそうだ。気付かなかったか? 随分とわかり易くお前たちに敵意を向けていただろう?」
あの男……。
初めて此処に来た日、私を恐ろしいと感じる程、怒りの籠った冷たい目で見ていた。
その時、王妃を罵倒した私に激昂し、今にも殴り掛かろうとしていた彼を、カイザードが必死に抑えていた……。
今、此処でこいつらを殺しても、反省も後悔もしないって…。
…………………。
ああ、そうか……。
パンなんて食べても食べなくても、最初から関係なかったんだ。何故今まで気付かなかったんだろう……。
失った全ての中には、命も含まれていたんだ……。
私を絶望が襲う。
気付いた瞬間、体から力が抜けてとうとう私は立っている事さえ出来なくなった。
両手をついて蹲った私にカイザードが声を掛けた。
「その顔……。漸く気付いた様だな。そうだよ。もはやお前の命が助かる道はない。お前は間違えたんだよ」
「間違えた……?」
私は顔だけを上げ、カイザードを見た。
「ああ、貴族の娘として生まれたんだ。お前も貴族の婚姻が色恋だけで結ばれるものじゃない事くらい理解していただろう? まして王妃様は王女として生まれた。例えどれほど愛する男がいようとも、彼女は政略結婚を受け入れるしかなかったんだ。だから王妃様を恨むのはお門違いってもんだ。お前が本当に恨むべきは、その元凶を作った男だったんだよ。お前にはそれが誰だったのかもう分かっているはずだ。そして王妃様がこの国へ嫁がなければならなかった本当の理由もな」
「元凶を作った男……」
私はそう呟いて、目の前に横たわる男を見た。
この男に私は人生を狂わされた。
ジュリアスには王家の血は1滴も流れていないとカイザードは言った。
彼は俺の子なのだと。
ならば、恐らく王妃がこの国に嫁いだのは王家の血筋を継承するため。
王妃の母はこの国の王女だったから。
「ジュリアスが王家の血を引かないとなれば、彼は王である由縁を失う。つまりその資格のない者が国を治めている事になる。そんな事、誰にも知られる訳にはいかないだろう? だからこの事は一部の者のみの秘匿とされた。つまり王妃様は人知れず王家の血を元に戻すために嫁いで来られたんだ」
だからエラルド陛下は、あれほどジュリアスに彼女との間の子を望んだ。
全ては王家の血を元に戻すために……。
こんなこと表立って言うことなんて出来ない。特に国民には絶対に知られる訳にはいかない。
義父はそれを巧みに利用した。
この話が秘匿とされていることを利用して、ジルハイムと王妃を悪者にし、私を持ち上げた。私は悲劇の公女と持て囃され、周りは全て私に優しく、そのうち私は自分なら何をしても許されると思い込んでいた。
でもそんな私でも、少なくともこの男の口車に乗らなければ、王妃や彼女の侍女を殺める事は無かった。
私が王妃を殺めた事を知ったジュリアスは、私を遠ざけ、今ではまるで恐ろしい者を見る様な目で私を見る。
この男のせいで私は大切な人からの愛も失ったのだ。
それなのに、この男はお前のせいだと罵り、私から命を繋ぐためのたった1つのパンさえも奪い取った。
こんな男の言いなりになって私は一体、今まで何をしてきたのだろう。
しかも私はこんな男に身を任せていた。途端に自分が穢らわしい者の様に感じ、身震いがした。
ふと思った。もし私が此処で死んだら、王妃の様に仇を討ちたいと願うほど本気で私の死を悲しんでくれる人はいるのだろうか…と。
……そんな人、誰1人思い浮かばなかった。
私は伯母であるイーニアと言う人を知らない。私が生まれた時、彼女は既に亡くなっていたからだ。
ただ、噂では聞いていた。エラルド陛下の寵愛を一身に受けた妃だったと。
そして伯爵令嬢だった母が格下の子爵である父の元へ嫁いだのは、祖母ジェシカと共に伯母を虐げていたからだと。
姉は国王の寵妃。反して妹の自分は子爵夫人。母はそれが耐えられない程の屈辱だった様だ。
だから伯母の面影がある私に子供の頃から辛く当たり、後継である弟ばかりを可愛がった。
父はそんな母に嫌気が刺し、他に愛を求め家には帰らなくなった。
すると更に母は怒りを私にぶつけた。
「お前のせいだ」と……。
私は自分がどれだけ伯母に似ているのかは知らない。何せ会ったこともないのだ。
それでも、私は伯母に似たこの容姿を恨んだ。
だが、皮肉な事にそんな私を救ってくれたのは、私が疎ましく思っていたこの容姿だった。
私の前に突然シルベールが現れて、私はジュリアスの妃選びの場へと連れて行かれた。
私はその場で並み居る高位貴族の令嬢達を押し除け、彼の婚約者に選ばれたのだ。
「やっと目障りだった貴方が役に立つ時が来た」
両親は欲に目が眩んで、まだ幼かった私をあっさりとシルベールの養女として差し出した。今では子爵家とは思えない程、派手な暮らしをしていると聞く。
聞くと言うのは、もう何年も彼らには会ってもいないし、会いに来てくれた事もないからだ。
ジュリアスの婚約者になってからの私は、今までとは打って変わり贅沢三昧の生活を送った。
周りの皆が私に優しく、私の言う事は何でも聞いてくれた。
でも……。
王妃の死以来、ジュリアスの寵愛を失った私に、侍女達も手の平を返したように冷たくなった。
ジルハイムからのビラが配られると、更にそれは酷くなった。皆が蔑む様な目で私を見る。
私に優しくしてくれていたのは、シルベールとジュリアスの持つ権力に阿っていただけだったのだ。
気付いた時にはもう遅かった。
私の周りには誰1人、信頼出来る人はいなかった。
きっと私には悲しんでくれる人なんて誰もいない……。そんな風に考えると、絶望で体中の力がどんどん抜けていく。
そんな私にカイザードは憐れむ様な目を向けると、部屋から出て行った。
そして何故かまた戻って来たカイザードは、「食え!」と言って、私の前にパンを差し出した。
「え? でも今日のパンはもう無くなったはずです」
戸惑う私に彼は言った。
「お前は自分からパンを奪ったこの男を見捨てず、俺に助けを求めた。そのお陰でこの男は助かった。だからこれはその駄賃だ。それにお前の体力は既に限界に近い。俺はお前に死んで欲しくはないんだ…」
カイザードがこんな言葉を掛けてくれるなんて思ってもいなかった。
私は彼を見つめて問いかけた。
「……貴方は私が嫌いではないの?」
「嫌いか……。そうだな。お前のやった事は人として最低だ。いや寧ろお前が王妃様にした事は鬼畜の所業と言っても良い。だがな、お前はロッシと言う俺の姓を聞いても気づきもしなかったが、お前は俺の従姪に当たるんだ。俺たちは血が繋がっているんだよ。それにお前は、俺の息子ジュリアスが1度は愛した女だ。俺はお前には罪を悔い改め、正統な裁きを受け、せめて鬼畜ではなく人として死んでいって貰いたいんだ」