侯爵セオドリク・ウィルターン④
「命が惜しくばここから直ぐに立ち去れ!」
御者や護衛達に向かってそう叫んだ俺だったが、その後、彼らがとった行動に拍子抜けした。
確かに向かって来た者も何人かはいた。
だが、何度か剣を交え跳ね返されるうちに、此方の実力を悟ったのだろう。
彼らは直ぐに馬車を置いてさっさと逃げ出したのだ。
「お…おい! 逃げるな! お前ら!なんの為の護衛だ!!」
馬車の中から悲痛な叫び声が聞こえる。
恐らく馬車の窓から外の様子を覗いていたのだろう。
だが……。
「馬鹿か! こいつらは本気だ! お前みたいな奴の為に殺されてたまるか!」
「お前の為に命なんて張れるか!」
護衛達は、口々にそう捨て台詞を残し走り去って行った。
後に残ったのは馬車に乗っていた人間。つまり、シルベールとイヴァンナ。
そしてシルベールの妻子だ。
彼らは2台の馬車に分かれて乗っていた。
俺は馬車の扉を1台ずつ開けていく。
1台目の馬車に乗っていたのはでっぷり太った初老の男。恐らくこの男がシルベール。その隣に座っているのは恐らく彼の妻だろう。
「シルベール、お前を真剣に守ろうなんて者は、1人もいなかったな。まさか、これ程人望がないとは…。俺もがっかりしたよ」
俺は奴を思い切り嘲笑ってやった。
こんな奴のせいで、アルテーシアとエリスは死んだんだ。そう思うだけで悔しかった。
ジルハイムから撒かれた1度目のビラで名指しされたにも関わらず、彼は国からの支援に応じなかった。震災から5年。貴族の中には未だ自領が復興途中にある者もいた。それに加え、今回の物流の停止だ。国からの要請に応えられない貴族がいたのも確かだ。シルベールはそれを、自分も支援要請に応じない理由にしたのだ。
だが、それはシルベールという男の人望を失わせるには充分だった。
今回の御者や護衛達の態度を見れば、彼が屋敷に仕える者達からでさえ、どれ程失望されているのか伺い知れた。
だからこそ、領内の屋敷もあれ程簡単に制圧出来たのだろう。
「お前達は何者だ! 私にこんな事をしてただで済むと思っているのか!!」
奴は顔を真っ赤にして怒りを露わにしていたが、俺は奴の事は無視した。俺は後をカイルに任せ、もう1台の馬車へと向かった。
此方の馬車には男1人と女が2人乗っていた。
どちらの女性がイヴァンナだ?
女性のうち1人は、恐らくシルベールの娘か、息子の妻と言ったところだろう。彼らは皆、此方を怯える目で震えながら見ていた。
俺は、3人に向かって語りかけた。
「俺たちが用があるのはシルベールとイヴァンナだけだ。それ以外に危害を加えるつもりはない。なぁ、教えてくれ。どちらの女性がイヴァンナだ?」
俺のその言葉でもう1人は助かると思ったのだろう。
突然、1人の女性がもう1人を指差しながら声を上げた。
「彼女よ! 彼女がイヴァンナよ! ねぇ、そうでしょう?
「え?」
その言葉を聞いたもう1人の女性は、驚いた様に目を見開き小さく声を挙げた。
彼女のその様子を見ただけで、どちらがイヴァンナかなど明らかだった。
指を刺された女性は、ただ信じられない者をみるような目で彼女を見つめた。
「ふうん。お前がイヴァンナか?」
俺は最初に声を上げた女性に語りかけた。
「…ち…違う…」
彼女は俺と距離を取る様に後ずさった。
「あんな言動で誤魔化せるとでも思ったか? 俺も舐められたものだな。だが、良かったよ。お前が人を蹴落としてまで助かろうとする様な心根の醜い女で。実を言うとな。まだ若い女を甚振る事に、少しだけ罪悪感を感じていたんだ。だがこれで迷いは無くなったよ」
俺はニヤリと笑いながら馬車に乗り込んだ。残りの2人はどちらも俺を止めようともしなかった。
「……貴方たち……どうして!? 私たち、義兄妹でしょう?」
そんな彼らを見て、イヴァンナが悲痛な声を挙げた。
「ああ、それな。大体お前が本当に私を兄だと思っていたのなら、私に向かって貴方なんて言わないだろう? 陛下の側妃になってからと言うもの、お前は私をずっと見下していた。 それを今更兄妹だって? 冗談はよしてくれ。私とお前は赤の他人だよ! そこのアンタ。この女がイヴァンナだよ。こっちにいるのは私の妻だ。なあ、用があるのはこの女だけなんだろう? だったらさっさと連れて行って、私たちを解放してくれ!」
男はそう言ってイヴァンナを指差した。
しかし、流石にシルベールの息子だ。とんでもないクズだな。この男は義理とはいえ、イヴァンナの兄なんだろう? まぁ、人を蹴落としてでも自分は助かろうとするところは同じか……。
「……そうか……」
俺はため息を吐いて頷くと、ハンカチに薬品を染み込ませ、イヴァンナの口を塞いだ。
「……な…たす…け…」
イヴァンナは手をばたつかせ必死に抵抗するも、軈て力尽きた。
丁度そこへカイルがやって来た。
「そっちも終わったか?」
「はい、拘束して例の場所に連れて行く様手配しました」
カイルはそう言って頷いた。
「じゃあ、後はお前達の好きにして良いから」
馬車に残った2人に最後にそう声を掛けると、俺とカイルはイヴァンナを攫ってその場を後にした。
「あいつらをあのままにして、良かったんですか? あいつらも私欲の限りを尽くして来たと言うのに…」
途中、カイルが尋ねた。
「ああ、どうせあいつらにはもう行く場所なんてない。屋敷に帰るだけだろう。だが、帰った所で屋敷は既に領民達に寄って占拠されている。俺たちが裁かなくても、領民達によって裁かれるだろうさ」
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「……う…」
シルベールが声を出した。
「お目覚めですか?」
俺は奴に声を掛ける。
「…貴…様!」
俺を見て、そう声を上げたシルベールは、何かに気付いたのか、軈て周りを急に不安そうに見渡した。
「…義父様…」
イヴァンナが彼に声を掛け縋りついた。
彼女はシルベールより少し早く目が覚め、俺たちを見て一頻り騒いだ後、漸く今は観念して大人しくなった。
「…此処は何処だ」
シルベールが太々しい態度で問いかける。まだ自分の置かれている状況が理解出来ていない様だ。
俺は苦笑いを浮かべながら問いかけた。
「さっき、お前を此処へ連れて来た男を覚えているか?」
「男? 何の事だ? 俺は此処が何処だと聞いている!」
彼は声を荒げた。
「おや、分からない? では、教えてやろう。彼はな。イーニア・ロレットの恋人だった男だよ」
途端にシルベールの顔色が変わった。
「……っ! そんな…。奴は死んだはずじゃあ…」
「ああ、やっと思い出したようだな。そう。彼の名はカイザード・ロッシ。お前は彼を此処に閉じ込め、彼から全てを奪った」
「…そんな…。まさか…生きていたのか…?」
彼の顔が恐怖に歪んだ。
「だったら、此処が何処かお前なら分かるだろう?」
俺は笑みを浮かべ、シルベールを見据えた。




