32 担任のおまる
次の日。
雪はほとんど溶けてしまった。影も形もない。
7時40分、僕は家を出た。ちょうど、じゃいの家の車が到着した。
「おはようございます、よろしくお願いします。じゃい、葉阿戸、おはよう!」
「はい、おはようございます。こちらこそ、坊っちゃんをよろしくお願いします」
「「おはよう」」
じゃいと葉阿戸はにこやかに声を合わせてきた。
「じゃい、なにかほしいものない?」
「オーデコロンか香水が欲しいでごわす」
「なんかおしゃれだね。じゃあ、クリスマスの次の日あげるね」
「ありがとうだ」
「俺もなにかあげるよ」
「楽しみにしてるでごわす」
じゃいはでかい腹をぽんと叩く。
「食べ物系がいいかい?」
「食えれば何でもいいだ」
ブーブー
メールがきた。
茂丸からだった。
『午後から復帰するぞ! シースーは来週の火曜日な。葉阿戸も誘うか? 葉阿戸の分の金は出してもらうけど』
『昨日、その話になって、葉阿戸も来るって!』
僕は夢中になってメールを返す。
「そう言えば、茂丸の親来てたんだってな。茂丸が手術後、眠っていたのを見て、すぐ帰ったらしいよ」
葉阿戸は窓を小さく開ける。
「へー」
僕は生返事をして寿司のことを考えながら、メールを打つ。
『了解、おっぱいぱーい』
『うぜえ、またな』
僕はケータイをしまう。
「俺の話にそっけない態度とったな」
「ごめん、メールしてて」
「それなら許す」
「悪い」
「で、茂丸何だって?」
「今日は午後に来るって」
「そっか、もう着くな」
車が学校の校門前に着いた。
「ありがとうございました。皆、行こう」
僕は2人を率いるように先頭を歩いた。
「歩くの速いな」
「あと15分しかないし」
「あ、ハート隊だ」
「「「おはようございます。葉阿戸様、じゃい君、蟻音君」」」
白髪の混じった美少年。それと筋肉もりもりの人が数人。そして中肉中背の人も数人。皆、赤い法被に身を包んでいる。
「おはよう。じゃい君、乗っていくか?」
「のてかないと階段がきついだ」
「「「どうぞ」」」
3人が騎馬戦の馬のような体制になる。そこにじゃいが乗っかった。彼らは重みでふらふらしている。
僕と葉阿戸は先に行った。
「葉阿戸、茂丸がシースーは火曜日の部活の後に行くって」
「いいね、わかった、またね」
「じゃ!」
僕は名残惜しく葉阿戸の側から離れた。
「おはよう」
僕は何の毛無しに教室に足を踏み入れる。
教室は強烈な臭気に包まれていた。
教卓の横にアヒルのおまるが置いてあった。それも使用済みのようだ。無論、大の方で。
「くっせ! あれ、何があったの、終硫?」
「いきなりおまる持った先生が来て、うんこして、どっか行った」
「しかも、買ってきたおまるは先生が片付けるのでお昼まで誰も触らないで下さいだと。黒板に書いて出ていったよ」
満は簡潔に説明した。
黒板にそのようなことが書いてある。
「いや、臭い! お昼まで……、こんなの地獄だろ」
「たいが余計な事、言うからだぞ」
竹刀が少しキレ気味に言った。
「竹刀君、たいは皆のために代弁してくれたんだよ」
「大便だけに?」
「いや、うちはそんな事言わない」
「窓あけよう」と僕。
「寒いだろ! やめろ!」
竹刀は怒鳴る。
「寒いのと臭いのどっちがいい」
「エーアイに聞いてみよう」
満は理由のわからない事をいい始める。
「意味ないから。とりあえず、臭いから廊下に出しておこう」
僕は一念発起する。
「廊下が臭くなって迷惑かかるぞ」と満は引き下がらない。
「教室が臭いかよりマシだろ」
「ああもう、臭すぎる。たい、外に出して」
いちが言うと竹刀が真似をする。
「外に出して(意味深)」
「そういうギャグいらないから」
僕はおまるを屈んで持ちあげて、廊下まで運び、廊下の隅に置いた。
(下痢ピーじゃねえか、クソ!)
「ありがとう、たい。匂いがマシになった!」
いちはキラキラした目で僕を見やる。
僕は授業の用意をするとともに、後ろの黒板にトロフィーと賞状があるのを見つけた。
(僕に嫌がらせしたいのか、称えたいのかどっちなんだよ、くそ担任)
キンコンカンコーン
僕は慌てて、ズボンとトランクスを脱ぐ。
がらら
担任が入ってきた。
「おはようー、あれー? おまるはー?」
「僕の独断と偏見により、退出させました」
僕は勇気を振り絞った。
「だめだがねー! 先生がいつトイレしたくなるかわからないんだからー。元に戻せー」
「臭いので嫌です! おまるにしろなんて言ってすみませんでした! 勘弁して下さい」
「男同士の約束だー、おまるを元に戻せー、成績に直結するぞー。異北井、お前直せー」
担任が指名したのは真面目な男子だ。
ウィイイン
足の施錠が外れる音がする。
「は、はい」
都零はおまるを元の位置に戻した。
「マジかよ!」
「お昼になったら先生が片付けるー」
「賞金はどうなったんですか?」
「今日の終礼で、皆に千円ずつ分けるー」
「いくらもらったんですか? 10万くらいのはずですけど」
「ああ、残りの8万でこのおまるを手作りしてもらったー」
「ずさんな金の使い方やめてください」
「ああ、なんか追いうんこしたくなってきた」
「職員トイレでして下さい! お願いします!」
僕の悲鳴に満ちた叫びも虚しく、担任はカチャカチャとベルトを外して、ズボンを脱いでいく。
ブリビュ! ブチチチッ!
おまるに座りうんこする担任の姿が、僕らの目の前にあった。
担任は教卓の中からトイレットペーパーを出してケツを拭いている。
激臭がクラスの皆に伝わっていく。
「じゃあそういうことで。他の授業のときも来るかもしれないからよろしくねー」
担任はズボンとトランクスを履き、何事もなかったかのように立ち去った。
「どうするんだよ、たい、下痢の匂いが……、吐きそうだ」
「皆、ごめん」
「鼻が慣れたのかな、臭くなくなってきた。皆、慣れるよ、たいを責めないで!」
いちは僕の味方でいるようだ。
「「「あの、クソ担任ーーッ!」」」
がらら
「英語の授業を始めます」
英語の教師、和矢が入ってきた。ラジカセを手に持っている。
「先生、そのおまるについてどう思いますか?」
「担任をいじめた罰ですよね。臭いけど我慢します」
「僕らは別に担任をいじめたわけではないのですが」
「それではプリントを配ります。英会話を流します」
和矢がラジカセのCDをセットした。
英会話がこの異質な空間に流れる。
僕は授業に集中出来ず、絵を書いて時間を潰した。
キンコンカンコーン
がらら
「それでは、皆さん復習を忘れないことです」
和矢は逃げるように出ていった。
「俺、もらいうんこしそう」
不良グループの仲間の賭野沢比井湖がお腹を力ませている。
ぶりい! ボチャン!
「ペーパーある?」
いちが後ろを向き、声をかけていた。
「ない」
「良かったらこれ」
「ありがとう! いち、大好き! 愛してる!」
「あ、いいえー」
いちは比井湖の机にペーパーを置くと、前を向いた。
次は選択科目だ。しかし、生物の授業は場所は変わらず、教室で行うこととなっている。
「じゃあな、臭い部屋の皆」
比井湖は嫌味ったらしく言ってきた。
「クソー、漏らせ!」
僕は声を大にする。
「茂丸じゃないんだから」
「「「はははは」」」
こんな自体の中皆は笑っている。
僕は(正気じゃない)と思ったが、笑うしかなかった。