81 異変
(あっ、グロリア様もお戻りになられたのね!)
エルゼが会場に戻ってしばらく。
いつの間にか、グロリアも戻ってきたようだ。
(なにしろ私はグロリア様にライバルだと認められてるのよ? 情けない姿は見せられないわ!)
エルゼは一人でうんうんと頷き、背筋を正した。
グロリアの激励(?)は迷っていたエルゼの背中を押してくれた。
だからこそ、こうして頑張れるのだ。
「そろそろ狩猟大会の結果も出ている頃でしょうか」
「今年はどんな料理にありつけるか楽しみですな」
そんな会話が耳に入り、エルゼは思い出した。
(そっか、狩猟大会も開かれているんだっけ)
湖に点在する島の中には、ほとんど人の手が入っていない森もある。
豊穣祭の催しの一つとして、そんな島々を舞台とした狩猟大会が開かれているそうだ。
各々狩猟の腕を競い、最も大きな獲物を仕留めたものがその年の最も優れた狩人として表彰されるのだとか。
狩猟大会の最中に狩られた獣の肉は、豊穣祭の御馳走として順次テーブルに並ぶ予定となっている。
(一応はリヒャルトも参加予定なのよね)
ここ最近まともにリヒャルトと話していないので直接聞いたわけではないのだが、花嫁候補たちの噂話に耳を傾けていればだいたいのリヒャルトの動向はわかる。
彼も狩猟大会にエントリーはされているようだ。
……もっとも、彼がこういった行事に本気で向き合うかどうかは疑わしいが。
彼が真剣に獲物を仕留めようとしている姿を想像し……エルゼはぶるりと身を震わせた。
夢の中とは言え一度彼に殺されたことのあるエルゼは、本気の殺意を剥き出しにしたリヒャルトの恐ろしさがよくわかっている。
(はぁ、狩られる獣の方に同情しちゃうわ)
そんなことを考えた時だった。
にわかに、会場に一角が騒がしくなる。
悲鳴、怒号、驚愕や困惑の声……。
明らかに、何か不測の事態が起こったようだ。
エルゼは慌ててそちらの方へ走る。
人の輪を縫うようにして、中心にいたのは……。
「魔獣だ! 見たこともない魔獣が出たんだ!!」
おそらくは狩猟大会に参加していた貴族だろう。
その若い男性は、一目で高級品だとわかる衣装を身に纏っている。
その腕のあたりが、べったりと赤い血で染まっていた。
「逃げ遅れた奴もいる! しかも一頭じゃない! 他の場所からも悲鳴が聞こえた!!」
「そんな、嘘……」
「まさかここにもやって来るのか!?」
つい先ほどまでのんきにパーティーを楽しんでいた者たちの間に、一斉にパニックが広がっていく。
「早く逃げるのよ!」
「やめろ、押すな!」
「痛っ!!」
(まずい、このままじゃ……)
どこへ行くかもわからずに駆け出す人。
推されて倒れる人。
怒号や悲鳴を上げる人。つられて泣き出す人……。
賑やかなパーティー会場は完全なる恐慌状態に陥ってしまった。
エルゼがなんとかしなければと、口を開きかけたその時だった。
「皆さま、落ち着いてください」
凛としたよく通る声が、会場中に響き渡る。
皆一斉に声の方へと振り返る。
そこにいたのは……いつも通りの落ち着き払ったグロリアの姿だった。
「状況がわからない以上、やみくもに逃げるのは危険です。わたくしが先導しますので、城内へ避難をお願いします」
エルゼは素直に感心してしまった。
この状況でも、グロリアは少しも動揺していない。
これもきっと、彼女の幼いころからの努力の賜物なのだろう。
彼女は会場に配置された警備の兵にてきぱきと指示を飛ばしている。
「大丈夫です、まだここは安全です。慌てずに城へ避難してください。花嫁候補の皆さまは来賓の方々のご案内を」
しっかりとエルゼたち花嫁候補への指示も忘れない。
どうすればよいのか、とあたふたしていた花嫁候補たちも、グロリアの言葉にしっかりと頷いた。
「どうぞ、わたくしの手に掴まってください」
「大丈夫です。急がず列を作って進みましょう」
グロリアや花嫁候補たちの先導で、慌てふためいていた者たちも少し落ち着きを取り戻したようだ。
「この場に残っている人はいませんね!?」
エルゼは念のため最後尾についた。
何度も何度も会場を見回し、誰も取り残されていないことを確認する。
(魔獣が出たなんて……狩猟大会に参加した人たちは、リヒャルトは、大丈夫なのかしら……)
どくりと心臓が嫌な音を立てる。
リヒャルトの無事を確かめたい。
だが、今のエルゼにはその手立てがない。
(……大丈夫。あのリヒャルトだもの。魔獣相手に後れを取るなんてことはないわ!)
初めてエルンスタールの王宮へ向かう道中で、エルゼは彼に助けられたことがある。
少なくとも、並の魔獣では彼に歯が立たないだろう。
(今は、私たちが無事に避難を終えることだけを考えなきゃ!)
そう自分に言い聞かせ、エルゼは迷いかけていた足を進める。
パーティー会場から王宮までは少し距離がある。
このまま何事もありませんように……とエルゼは願っていたが、残念ながら天はその願いを聞き入れてはくれなかった。
「キエエェェー!」と耳をつんざくような奇声が、背後からこちらへ迫っていた。
「魔獣が……!」
エルゼは背後を振り返り、思わず顔をこわばらせてしまった。
湖の上空に、普段ではありえないような黒く大きな鳥の群れが見えた。
あれが魔獣だろう。
一匹一匹は大人が両手で抱え込めるほどの大きさだ。だが集団に群がられれば、武器を持たない者ではなすすべがない。
「大丈夫、このペースなら間に合います! 落ち着いて城へ向かってください!」
再びパニックに陥りかけた人々を落ち着けるように、エルゼは声を張り上げた。
大丈夫、あと少しだ。
落ち着いて行動すれば、最悪の事態にはならない。
何度も何度もそう言い聞かせて、エルゼは怯える人々を鼓舞して足を進めた。
だが、振り返るたびに上空の鳥の群れとの距離は縮まっていく。
「さぁ、早く中へ!」
ついに列の先頭が城の入り口へたどり着いたようだ。
人々は慌てて城の中へとなだれ込んでいく。
だが、焦りと気のゆるみが足をもつれさせてしまったのだろう。
「あっ!」
エルゼの前を走っていた貴婦人がその場で転倒してしまったのだ。
「ご無事ですか!?」
エルゼは慌てて貴婦人を助け起こす。
だがその時、すぐ背後から怪鳥の鳴き声が鼓膜を震わせた。




