80 あの眩しい笑顔が
それは、エルゼの偽らざる本心だった。
グロリアはエルゼの強大なライバルだ。
華やかな容姿は天性だろうが、それを維持するのは彼女や周囲の者の努力のたまものだ。
名家の令嬢に生まれ、才媛と持て囃され、淑女の中の淑女として周囲に持ち上げられ……彼女の細い肩にのしかかるプレッシャーは並大抵のものではないだろう。
だが彼女は、そんな苦労を欠片も見せようとはしない。
常に悠然と「このくらい当然ですわ」とでも言わんばかりに、彼女は花嫁選考のトップに君臨している。
エルゼは選考の最中に何度も何度も妨害を受けたが、それもある意味彼女が裏工作を可能とする人脈を持ち、操っているということだ。
大国の王族たるもの、清濁併せ呑むことが必要な場面も多々あるだろう。
どの方面から見ても、グロリアほど「エルンスタールの皇妃」にふさわしい人物はいない。
「私とグロリア様は皇妃の座をかけて争う候補同士です。だからこそ……あなたの底知れぬ努力に裏打ちされた実力には感服いたします」
羨望のような、憧れのような。
ただのライバル心だけでない感情を、抱かずにはいられない。
エルゼの言葉に、グロリアは驚いたように目を瞬かせている。
常に完璧な仮面のような彼女の表情が崩れ、年相応の少女の顔が垣間見え、エルゼはくすりと笑った。
「でも、私もグロリア様に負けていない部分が一つだけあるんですよ」
故郷の民への想い。それもエルゼの武器の一つだ。
だがエルゼはグロリアの背景を知らない。
もしかしたら彼女も、家のために戦っているのかもしれない。
だがもう一つ、きっと誰にも負けないと自負する武器がエルゼにはある。
「リヒャルト皇子への愛です」
胸を張って、エルゼはそう告げた。
エルゼが初めて好きになった人。
いずれエルゼの故郷を滅ぼし、大切な人々を殺すであろう人。
好きになるつもりはなかった。
祖国を守るために、皇妃にさえなれればそれでよかった。
それなのに……惹かれてしまった。好きにならずにはいられなかった。
彼の心の奥底に潜む悲しみに、触れてしまったから。
(いつか、あなたを笑顔にしたい)
それがエルゼの願いになった。
彼の背負う重荷を、少しでもいいから分けてほしい。
恐れていたはずなのに。彼はエルゼの大事なものをすべて奪っていく人なのに。
それでも、まるで引力のようにエルゼの心は彼に惹きつけられてしまったのだ。
そしてこの想いだけは、誰にも負けないと断言できる。
きっとこの先、彼以外にこうした思いを抱くことはないとも。
「私はリヒャルト皇子のことが好きです。この想いだけは、誰にも負けるつもりはありません」
グロリアからすれば、なんて幼稚で浅はかな言い分だと笑えることだろう。
だがエルゼにとっては、全身全霊の恋なのだ。
きっと人生で、最初で最後の。
「グロリア様にはグロリア様の、負けられない理由があることはお察しします。ですがそれは、私も同じ。……選考はあと少し。全力でお相手願います」
エルゼは笑顔でそう宣言した。
グロリアは強敵だ。
どう考えてもエルゼでは太刀打ちできる相手ではない。
リヒャルトとの関係が揺らいでいる今、エルゼは絶対的に不利なのだ。
(不思議ね……少し前まで悩んでばかりだったのに。今はすっきりしたみたい)
グロリアの激励のおかげだろうか。
エルゼはいつになくはつらつとした気分だった。
「それでは、お先に戻らせていただきますね!」
エルゼは淑女というにはいささやか元気が良すぎる礼をして、グロリアの横を駆け抜け会場へと戻っていく。
グロリアは何も言わなかった。
呆れているのかもしれない。「なんて無礼な女なのかしら!」と心の奥底では激怒しているのかもしれない。
だがそれでもよかった。
グロリアはエルゼのことをライバルと認めてくれているのだ。
どんな感情にせよ、あのグロリアの心にエルゼが爪痕を残していたという事実が嬉しいのだ。
(よし、頑張らなきゃ!)
豊穣祭はまだまだ続いているのだ。
ここへ来た時よりもずっと軽い足取りで、エルゼは駆け出した。
一方、グロリアはエルゼが去った後もずっと同じ場所に佇んでいた。
(なによ、なんなのよ)
あの能天気な王女の顔が頭から離れない。
別に彼女が何か特別なものを持っているわけではない。
ただ物珍しさから評価を得ているだけの変わり種。グロリアが冷静に対処すれば、とるに足らない存在だ。
それなのに……。
――「私とグロリア様は皇妃の座をかけて争う候補同士です。だからこそ……あなたの底知れぬ努力に裏打ちされた実力には感服いたします」
初めてだった。そんなことを言われたのは。
グロリアはエルンスタール皇国の名門公爵家の娘だ。
リブナー公爵家の令嬢たるもの、このくらいできて当然だと言われ続けてきた。
誰よりも華やかで、誰よりも優雅で、誰よりも優秀で。
それが当たり前なのだ。少しでも欠けていてはいけなかったのだ。
会う人皆が、グロリアを褒めそやした。
皆、今目の前にいるグロリアが生まれた時から完璧だったと信じ込んでいた。
それも当然だ。
グロリアは決して表には出さなかったのだから。
……「リブナー公爵家の娘」であるために、グロリアが積んできた血のにじむような努力を。。
なのに、あの王女……エルゼはグロリアが隠していたものを見抜いた。
彼女はできて当然だとは言わなかった。
グロリアの成果だけでなく、その裏に隠れた努力まで見つけて評価してくれたのは彼女が初めてだった。
「だから、なんなのよ……」
グロリアはきゅっと唇を噛みしめた。
……そうしなければ、胸の奥底から湧き上がってくる今まで経験したことのない感情が溢れそうになってしまうから。
エルゼはグロリアの敵だ。
彼女が弱っている今だからこそ、徹底的に叩き落すための計画だってある。
グロリアはただ落ち着いて、エルゼを排除することだけを考えればいい。
そう、わかっているのに……。
――「私はリヒャルト皇子のことが好きです。この想いだけは、誰にも負けるつもりはありません」
あのまっすぐな声が、眩しい笑顔が、頭から離れない。
グロリアはリヒャルトのことを愛しているわけではない。
リヒャルトのことは幼いころから知っていた。
彼の妃になるのだと、周囲から言い含められていた。
それでも、グロリアはリヒャルトに対して胸を高鳴らせたことはなかった。
いわば、彼はトロフィーだ。
重要なのはリヒャルトの人となりではない。愛情なんてなくていい。
ただ彼が「エルンスタールの皇子」であり、グロリアが「エルンスタールの皇妃」となることだけが重要なのだ。
だからグロリアにとってのリヒャルトは、そもそも好き嫌いを論じるような相手ではなかったのだ。
どうせ、リヒャルトの方も同じだろう。
彼が自身の花嫁候補に興味を持っていないのは明白だ。
グロリアが彼の妃となったところで、愛情の欠片もない仮面夫婦となるのはわかりきっている。
だがそれを嫌だと思ったことはなかった。
エルンスタールの皇妃となるのは自身に課せられた使命なのだ。それ以上でも、それ以下でもない。
……エルゼのバカげた宣言など、気にも留めずに捨て置けばいい。
いつものグロリアならそうしていた。なのに……。
――「グロリア様にはグロリア様の、負けられない理由があることはお察しします。ですがそれは、私も同じ。……選考はあと少し。全力でお相手願います」
あの花咲くような眩しい笑顔が、どうしても頭から離れないのだ。




