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69 裏切り

 結局あの後、リヒャルトと何を話したのかエルゼはろくに覚えていなかった。

 リヒャルトが手配したのか、気づけばエルゼの足の傷は駆けつけた侍医によって丁寧に手当てされ、部屋に戻されていたのだから。


(リヒャルトが心を閉ざす原因となったあの事件は、私と同じ「先詠み」が裏で糸を引いていた……)


 そんなの、彼が先詠みを恨むのも当然だ。

 恨みが募り募って「先詠み」の一族が治めるマグリエルを滅ぼすのも……納得はできないがその動機の理解はできる。


(私は、どうすればいいの……?)


 エルゼは故郷を守るためにこの地へやって来た。

 もちろん、その思いは少しも変わっていない。

 エルゼがリヒャルトの妃になることができれば、リヒャルトは物理的にマグリエルに手出しができなくなる。


(私が正体を隠したまま彼の傍にいて、マグリエルが先詠みの国だと気づかれないようにすれば……)


 表面上は、丸く収まるのかもしれない。

 ……でも、それでは彼が救われないままではないか。

 それに何より――。


(リヒャルトは先詠みのことを滅ぼしたいほど憎んでいる。……当然、その対象には私も入っている)


 その事実が、胸に重くのしかかってくる。

 彼を騙して傍にいて、それでいいのだろうか。


(それは、リヒャルトに対する裏切りではないのかしら……)


 最初からそのつもりだった。

 愛するマグリエルの民を守るためなら、どんなことだってするつもりだったのに……。


(それでも、リヒャルトに嘘をつき続けるなんて……!)


 彼がただの血も涙もない殺人鬼なら、こんな風に悩むこともなかったのに。


(でも、あなたが違った)


 過去の悲しい事件によって心を凍らせてしまった、悲劇の皇子様。

 その凍り付いた心を解かし、その奥にある本当の彼に触れてみたいと思ってしまった。

 そのためには、エルゼの方も嘘をつくことなく純粋な心で彼に向き合う必要があるだろう。


(……でもそれは、私だけでなくマグリエルのすべてを危険に晒すことになる)


 自身が「先詠み」であることを告げれば、エルゼの命が危ういだけではなくマグリエルへの侵攻を速めてしまう可能性もあるのだ。

 ……そんなこと、できるわけがない。


(言えない、言えるわけがない……)


 エルゼの身勝手な想いで、家族を、民を、あの美しい国を危険に晒すわけにはいかないのだ。


(リヒャルトは、私が憎悪する「先詠み」の一人だと知ったらどう思うかしら)


 そんな暗い考えが頭から離れない。

 驚き呆然とするだろうか。

 怒りと憎しみに駆られ、あの悪夢のようにエルゼの命を奪うのだろうか。


(せっかく、近づけたと思っていたのに……)


 この国に来て、いろいろと駆け回って、最初は視線も合わさず会話すらしてくれなかったリヒャルトがやっとエルゼのことを気にかけてくれるようになったのだ。

 エルゼはそっとサイドテーブルの引き出しを開け、中に入れられていたものを取り出す。

 手触りだけで一級品だとわかる、センスのいいクラバット。

 エルゼが足に怪我を負っていると知ったリヒャルトが、応急処置に巻いてくれたものだ。


(リヒャルトは優しい。私が真実を告げれば、きっと彼は苦悩するでしょうね……)


 エルゼを殺すにしても、リヒャルトは苦しむだろう。

 エルゼの裏切りに、多少なりとも気にかけていた相手を自ら手にかけ、失う虚しさに。


(私は、リヒャルトにそんな思いはさせたくない)


 それが都合のよい逃げであることはエルゼも頭で理解していた。

 どんなに言い訳を並べ立てようとも、結局エルゼはリヒャルトに嫌われることに耐えられないのだ。


(私って最低……)


 自己嫌悪でどうにかなりそうだ。

 大きくため息をつくエルゼの膝に、心配したシフォンが飛び乗ってくる。


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