67 過去を思い出すように
「……母は、エルンスタールの貴族にしては飾らない人間だった。庭園で育てられている花だけではなく、辺りに生えている野草を部屋に飾ったりする変わり者だった」
過去を思い出すように、リヒャルトはゆっくりとそう話す。
きっとそれは、彼の中で大切にしまっていた思い出なのだろう。
エルゼはただ、リヒャルトがその大事な思い出を共有してくれたことが嬉しかった。
「とても、素敵な方なんですね」
単なるお世辞ではない。エルゼは心からそう思ったのだ。
その思いは、リヒャルトにも伝わったのだろう。
「……あぁ、そうだな」
彼はいつになく柔らかな雰囲気で、頷いたのだ。
「妹も母に似ていた。皇女だというのに外を走り回り、よく小動物を追いかけまわしていたのを覚えている」
「……ルイーゼ皇女に似ていらっしゃるのですね」
「育ち方は違うのに不思議なものだ」
……もしかしたら、だからこそリヒャルトはあまりルイーゼと顔を合わせないようにしているのかもしれない。
……まだ完全には心の整理がついてはいないのに、理不尽に命を奪われた幼い妹のことを思い出すのはつらいだろう。
「それに、どちらかというとルイーゼよりも……」
リヒャルトの視線が意味深にこちらを向き、エルゼは首をかしげる。
そんなエルゼに、リヒャルトは少し……よくよく彼のことを観察している者でなければわからないほど、ほんの少しだけ、表情を緩めたような気がした。
「いや……なんでもない」
リヒャルトはふい、と視線をそらしてしまう。
「俺は二人とは似ておらず、昔から不愛想で口数も少ない子どもだった」
「あはは、想像つきます」
「だが、二人はそんな俺を嫌がることなく、変えようとすることもなく、いつも温かく接してくれた」
ぽつぽつと、埋もれていた思い出を掘り出すように。
リヒャルトはゆっくりとそう語った。
(リヒャルトは、本当に二人のことが大切だったのね……)
断片的な言葉を聞いているだけでも分かる。
彼がどれだけ、母と妹を大事にしていたかということが。
(彼から愛情や優しさ……温かな感情を奪ったのが、あの事件なんだ……)
当時の皇后が自身の息子を皇位に就けたいがゆえに、リヒャルトを殺そうとしそれに彼の母親と妹が巻き込まれてしまった忌まわしい事件。
完全な部外者であるエルゼでさえも、「その事件さえなければ……」と思わずにはいられなかった。
不意に、先日お茶会に招いてくれたヨゼフィーネの顔が頭に思い浮かぶ。
彼女は皇太子――例の事件のきっかけの一つとなった第一皇子の妃だ。
エルゼは第一皇子のことを遠目にしか見たことはないが、あのヨゼフィーネが妻として彼を支えているのだからきっとただ者ではないのだろう。
「兄君……第一皇子のことを、恨んでいらっしゃいますか?」
おそるおそるエルゼはそう問いかける。
リヒャルトはまるでその質問を予期していたかのように、動揺の欠片もなく答えてくれる。
「いや、恨んではいない」
はっきりとリヒャルトが口にしたその答えに、エルゼは存外ほっとした。
エルゼは第一皇子がどんな人物なのかは知らないが、ヨゼフィーネはエルゼを励ましてくれたのだ。
彼女の夫と好きな相手が険悪な関係ではないというのは、朗報だった。