61 私だって負けないわ
舞踏会の会場となる大広間には、既に多くの貴族たちが集まっていた。
「三日続いた舞踏会も今夜で最後ですか」
「最後だからこそ、真打ち登場といったところでしょうね」
「リグナー公爵令嬢か……可哀そうだが他の花嫁候補は引き立て役にしかなれないだろうな」
エルンスタールの名門中の名門、リグナー公爵家のご令嬢であるグロリアがラストダンスを飾るのは既に皆の知るところとなっている。
その他の花嫁候補は前座に過ぎないと、自然と察するものだ。
今夜の主役は間違いなくグロリアだ。
誰もがそう思っていた。
やがて楽団が演奏を始め、大広間の入り口の扉が開かれる。
いよいよ、花嫁候補たちの入場だ。
一人一人、着飾った花嫁候補たちがしずしずと歩いてくる様は壮観だった。
「ほぉ……」
「絵になる光景ですな」
貴族たちは感嘆のため息を漏らしながら、大輪の花のように美しい花嫁候補たちを眺めるのだった。
皆それぞれ、自身にあった美しく華やかなドレスを身に纏っている。
まるでエルンスタールの栄華を示すようなその光景は、どんな絵画よりも見ごたえがあることだろう。
「おや、あれは……」
「マグリエルのエルゼ王女ですね」
終わり際に入場した一人の花嫁候補に、会場中の視線が集中する。
小国マグリエルの王女――エルゼ。
花嫁選考会が始まった時には誰も気にしていなかった泡沫候補でありながら、機転を利かせて優秀な成績を収めているダークホースだと、今エルンスタールの社交界の中でグロリアと並ぶほどに注目されている花嫁候補だ。
そんな注目を一身に浴びながらも、エルゼは会場に向かって優雅に一礼して見せる。
その美しい所作に、会場からは賞賛のまなざしが送られる。
だが当のエルゼは、それどころではなかった。
(痛っ……思った以上に痛いわ……)
足に合っていない靴は、身動きするたびに足に鋭い痛みが走る。
靴の中では血が出ているのか、ぬるついた感覚すらあった。
だがそれでも、エルゼは痛みに悲鳴を上げたくなるのを懸命に堪え、笑みを浮かべてみせる。
(この痛みがなんだっていうのよ……。マグリエルの皆を待ち受ける未来を考えれば、なんてことはないわ……!)
これも試練の一つ。
今までだって、邪魔をされつつもなんとか乗り越えてきたのだ。
今更、弱音を吐いたりなんてできるはずがない。
(平常心、平常心……)
ともすれば顔を歪めてしまいそうな痛みを、必死に見ないふりをする。
そのおかげで、緊張感はどこかに消えてしまった。
(ダンスが終わるまで、それまででいいからなんとか持って……)
エルゼはそう願いながら、前の花嫁候補に続いて所定の位置へと進んだ。
さて、エルゼの次……つまりは最後の花嫁候補として入場を果たしたのは、大本命のグロリアだ。
彼女が姿を現した途端、会場中がどよめいた。
(すごい……!)
今宵のライバルとはいえ、エルゼも思わず目を奪われてしまった。
グロリアが身に纏うのは、まさに大輪の薔薇の花のような真っ赤なドレスだったのだ。
波打つ絹のフリルが幾重にも重なり、その端々は金糸の刺繍で縁取られている。
その生地は軽やかでありながら、豪華さと重厚さを併せ持ち、グロリアの優雅な動きを少しも邪魔していなかった。
ふんわりと広がるスカートは、まるで豪華な庭園の一角を切り取ったかのように贅沢に布が使われている。
裾は幾重にも重なりあい、まるで薔薇の花びらが咲き乱れるようだった。
ドレスの裾は床に広がり、グロリアが身動きするたびにまるで風に揺れる薔薇の花弁のように動き、見る者を誘っているようだった。
……間違いなく、このドレスこそが舞踏会の花だ。
誰もがそう確信せずにはいられなかったことだろう。
先ほどまで注目を浴びていたエルゼや他の花嫁候補の存在が、一瞬で霞んでしまうほどに。
(さすがね、グロリア)
エルゼは二重の意味で感心した。
一つは、ともすれば公平性を疑われてしまいそうなほど豪奢で華やかなドレスを、グロリア陣営が堂々と出してきたこと。
そしてもう一つは……目も眩むような華やかなドレスに負けることなく、優雅に振舞うグロリアだ。
きっとあのドレスを着こなし、少しの苦労も見せず優雅な動きを体現するには並大抵ではない努力が必要なことだろう。
それを、グロリアはこの大舞台でやってのけたのだ。
少しも不安も、緊張も見せず。
自分こそがこの舞台の主役であると自負している者にしかできない芸当だ。
(敵ながらさすがね……)
エルゼはしり込みしそうになるのを堪え、自身の隣へやって来たグロリアへ微笑む。
状況が全く異なるとはいえ、エルゼもグロリアも大きなものを背負い、努力してきたのだ。
(……私だって負けないわ)
いよいよ、舞踏会の始まりだ。