60 最高の夜に
ほどなくして、エルゼの自室に舞踏会用のドレスを携えた女官が訪れた。
「わぁ、素敵……!」
煌びやかなドレスに、エルゼは思わず感嘆の声を漏らしてしまう。
マグリエルのドレスはどちらかというと動きやすさに重点を置いており、エルンスタールの者と比べると簡素で軽いつくりをしている。
普段のドレスであれば、エルゼは着用したまま全力疾走ができるほどだ。
だがエルンスタールの、それも舞踏会用のドレスと来れば目も眩むほどの華やかさにうっとりせずにはいられない。
生地は淡いクリーム色のサテンで、光を反射して優雅な輝きを放っている。
エルゼにはそのドレス自体が、神秘的な光を纏っているようにさえ見えた。
曲線美を強調するようにきゅっとウエストラインが絞られ、胸元から腰にかけてはビーズで繊細な模様が刺繍され、きらきらと星のように瞬いている。
肩から伸びる袖の部分は、まるで蝶の羽のように繊細な作りだ。
だがことさらに素晴らしいのは、スカート部分だろう。
プリーツが渦を巻くように広がり、それぞれの生地が優雅に重なり合って壮大なボリューム感を生み出している。
朝露のように真っ白な小さなパールがフリルに散りばめられたそのデザインは、どの角度から見ても、その美しさを損なうことはなかった。
(グロリア様の引き立て役だからどんなとんでもないドレスを渡されるかと思っていたけど、まさかこんなに素晴らしいものを用意してもらえるなんて……!)
エルゼは感動に打ち震えていた。
今夜の舞台はエルンスタールの貴族も大勢集まる大舞台。
あからさまに花嫁候補に差をつけてはまずいとの意識が働いたのかもしれないが、それでもよかった。
「ありがとう……! まさかこんなに素敵なドレスを用意していただけるなんて! 本当にありがとう……!」
目を潤ませながら笑顔で礼を言うと、女官は驚いたように目を丸くした。
「お、お喜びいただけたようなら何よりです……」
目を泳がせながら、どこか後ろめたそうにぼそぼそとそう口にする女官に、エルゼは「おや」と内心で首をかしげる。
(何か裏がありそうな反応ね……)
まだ気を抜かない方がいいだろう。
女官のこの表情は、何かを隠しているようにも見えてならないのだから。
着付けを手伝ってもらいながら、エルゼは注意を払っていた。
そして、用意された靴に足を差し入れた時に事件は起こった。
「きつっ……」
エルゼに用意された靴は、明らかにエルゼの足のサイズよりも小さかったのだ。
花嫁候補としてやって来た時に、一通りの採寸はしてもらっている。
あの時から今になって、急に足が成長したとも思えない。
どう考えても、エルゼの足のサイズにはあっていない小さなサイズが用意されているのだ。
「失礼だけど、サイズを間違えてはいないかしら」
用意された靴はパールやレースのリボンがあしらわれた繊細で美しい一品だ。
だがどうしても……エルゼの足には合わないのだった。
じっと女官を見つめると、彼女はこほんと咳払いをして口を開く。
「皆さま同じ条件で花嫁選考に臨まれております。用意された環境でいかに万全に振舞うか、これも皇妃としての資質を測る一環です。こちらの靴を着用できないということでしたら、残念ながら今回の選考は棄権とみなさせていただきます」
「なるほど、いかにトラブルに対応するかを見ているというわけね」
(ってそんなわけないでしょ!)
冷静に頷くふりをしながらも、エルゼは内心ご立腹だった。
(これも描画の選考と同じね。私だけ不利な条件にして、匙を投げるのを待っているんでしょう?)
きっとこの女官は上の指示で、「こんな靴で踊れるわけがないわ!」とエルゼが言い出すのを待っているのだ。
先ほどのうろたえっぷりからして、おそらく彼女は自身の意志とは関係なく指示を受けただけ。
ここで彼女を詰めてもどうにもならないことはすぐにわかった。
「っ……!」
エルゼは観念して靴に足を差し入れる。
何もしなくてもキリキリと締め付けられ、歩くだけで鋭い痛みが走るほどだった。
だが、ここで投げ出すことなどしない。
「お手伝いありがとう。絶対に、最高の夜にしてみせるわ」
そう言って笑ってみせると、女官は何か言いたげに口を開きかけたが……すぐに何も言わずに口をつぐんでしまう。
(このくらいで弱音なんて吐いていられないわ)
逆境を跳ねのけ、リヒャルトの隣を勝ち取るくらいの気概がなければ、運命を変えることなんてできやしない。
エルゼは鋭い痛みが走るのを悟られないように、にっこりと笑顔を浮かべた。