6 予期せぬ襲撃
「この峠を越えれば、いよいよエルンスタールです」
「本当!? やっとなのね……」
慣れない長旅で疲弊していたエルゼは、大使の言葉に歓喜した。
故郷を発ったあの日から、エルゼはひたすら馬車に揺られてエルンスタール王宮を目指している。
「先詠み」の特異性もあり、エルゼは今まで故郷を出たことがなかった。
初めの頃は馬車の中から見える外の景色にわくわくしたものだが、長時間座りっぱなしだとあちこちが痛くてたまらない。
今はとにかく、一刻も早くエルンスタール王宮についてくれと願うばかりだ。
「とはいっても、エルンスタールって広いからここから何日もかかるんでしょう?」
「ここまでの道中に比べれば短時間で済みますよ。もう少しの御辛抱です、エルゼ王女」
「ふふ、あなたもここまで連れてきてくれてありがとう。体は痛いけどすごく楽しかったわ」
故郷を出る際に泣いてしまったせいか、同乗する大使はことあるごとにエルゼを気遣いいろいろと話を振ってくれていた。
おかげで、エルゼはさほど困ることなくここまで来られたのだ。
素直に礼を言うと、大使はふっと目を細めて笑った。
「……こちらこそ、エルゼ王女とご一緒できて光栄でした。こんなことを言うのは無礼だと承知しているのですが……あなたは、どうにも私の娘に似ているようで放っておけなかったのです」
エルゼはきょとん、と目を瞬かせた後、快活に笑う。
「ふふっ、よく言われるわ、それ。娘とか妹とか孫に似ているって。親しみやすい王女ってことでしょ?」
「……気を悪くされないのですか?」
「どうして? 私は嬉しいわ。王女だからって距離を取られるよりも、いろいろと話せるほうが楽しいもの」
それは、まぎれもなくエルゼの本心だった。
その言葉を聞いた大使は驚いたように目を丸くした後、ぽつりと呟く。
「あなたのような方なら、もしや……」
だがエルゼが聞き返そうと口を開きかけた途端、突然馬がいななきを上げ、馬車ががたんと大きく揺れる。
「うぎゃ!」
「いったい何が――」
「襲撃です!」
状況を把握する前に、御者が怯えたような声を上げる。
まさかの事態に、エルゼは呆然としてしまった。
(え、襲撃……?)
おそるおそる窓から外の様子を伺うと、前後の馬車に乗っていた護衛が襲撃者と思われる者たちと争っていた。
「くっ、こんなところで山賊の襲撃とは……!」
焦燥をあわらに、大使はそう呟く。
(これが、山賊……)
マグリエル王国はあまりにも田舎で山賊すらやって来ない。
初めての経験に、エルゼの心臓がどくどくと嫌な音を立てる。
(そういえば、お姉様がエルンスタールの情勢を教えてくれた時に言っていたわ……)
エルンスタールはマグリエルとは比べ物にならない大国だ。
だがその分領地ごとで争うことも多く、今も場所によっては情勢が安定していないという。
治安が悪い場所を通る際は十分気を付けるように言われたのだが――。
(こうなっちゃったらどうしようもないわ!)
山賊は思ったよりも数が多く、護衛も苦戦しているようだ。
その様子を見ていた大使が、御者へ指示を飛ばす。
「……やむを得ん。彼らが注意を引いてくれている間に我々だけでもこの場を離脱するぞ」
「そんな、私たちのために戦っている者を見捨てるというのですか!?」
エルゼは驚いてそう声を上げたが、大使は苦渋に満ちた表情で静かに首を横に振った。
「エルゼ王女。我々の任務はあなたを無事に王宮まで送り届けることです。……たとえ何人犠牲が出ようとも」
「そんなの……」
「どうか、ご理解ください」
深く頭を下げられ、エルゼはやるせなさに唇を噛んだ。
(小国の王女でしかない私のために、命を落とすかもしれない人がいるなんて……)
だが、エルゼとてここで死ぬわけにはいかないのだ。
祖国を、大切な者たちを守るためにも。
(どうすればいいのよ……)
己の無力さを思い知り、ぎゅっとこぶしを握った時だった。