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54 皇太子妃の問答

「そ、その……私はまだリヒャルト皇子の妃に選ばれると決まったわけでは……」

「そうなの? 選考なんて途中で切り上げてリヒャルトに『誰を妃にしたいか』って聞いたら、あなたしかいないと思うけど……」

「そ、そんなことないと思います!」


 不思議そうに目を瞬かせる皇后に、エルゼは真っ赤になる。


(そりゃあ……あのルイーゼ皇女の誕生祭の件もあって、リヒャルト皇子は私のことを気にかけてくださるけど……エルンスタールの妃になるってことはもっといろいろな素質とかが必要で……)


 わたわたするエルゼに、皇后はにんまりと笑う。


「確かに妃は大変だけど、リヒャルトの愛があれば大丈夫よ! 私も散々な目に遭ったけど、陛下はいつも優しくしてくださって――」

(ひー!)


 少女のようにうっとりと語る皇后テレーゼに、エルゼは何も言えなくなってしまう。

 やたらとネガティブな人物かと思っていたが、このように天然な部分もあるとは何とも不思議な人物だ。

 まぁ、そんなところが皇帝に愛されているのかもしれないが。


「おっと、元はヨゼフィーネが用意してくれた場なのに喋りすぎちゃったわ。後は若い二人でごゆっくり……」


 惚気を披露して満足したのか、皇后テレーゼは立ち上がり、シフォンと遊ぶルイーゼ皇女の方へと歩いていった。

 テーブルに残されたのは、エルゼと皇太子妃ヨゼフィーネの二人だけだ。


「ふふ、お可愛らしい方でしょう?」


 そう言って悠然と微笑むヨゼフィーネに、エルゼはぎこちなく頷いた。


(大物感が滲み出てる……)


 やはり、実際の皇后であるテレーゼよりもヨゼフィーネの方が「皇后」たる落ち着きと威厳があるように感じられるのだ。

 先ほどまでの和やかな空気は一瞬で霧散し、まるで圧迫面接の会場に放り込まれたような緊張に襲われる。


「さて、エルゼ王女。本日はこうしてお越しいただき感謝いたしますわ」

「いえ……こちらこそお招きいただき光栄です……」


 テレーゼの目に見つめられると……不思議と心の中まで見透かされているような気分になってしまう。


「皇太子アルブレヒトが妻、ヨゼフィーネと申します。数年前に今のあなたと同じように花嫁選考に参加し、アルブレヒト殿下の妻となりましたの」


 つまりは、エルゼの先輩だというわけだ。


(きっと圧倒的だったんだろうな……)


 ヨゼフィーネの評判はエルゼもよく知っている。

 エルンスタール皇国の名家のご令嬢であり、非の打ちどころのない才女。

 先ほど皇后テレーゼの苦労話を聞いたばかりだが、ヨゼフィーネに関しては乏しくない評判を耳にしたことがないのだ。

 単にエルンスタール国内出身の妃だからという理由ではない。

 彼女自身が、「非の打ちどころのない完璧な皇太子妃」と皆に認められているからだ。

 そんな彼女の目に、エルゼはどう映っているのだろうか。

 エルゼはとてもじゃないが、ヨゼフィーネのように完璧に振舞うことはできない。

 きっとヨゼフィーネから見れば、エルゼの付け焼刃の淑女教育など児戯のようなものだろう。

 下手に取り繕うよりは、自分らしくあるがままを見せた方がいいのかもしれないが……。


(失敗したらすべてが終わりそう……)


 これは試験ではなく、単に皇太子妃ヨゼフィーネの思い付きだとアーベルは言っていた。

 だがエルゼとしては、選考と同じくらいに……いや、むしろそれ以上に緊張してしまうのだ。

 そんなエルゼの内心に気づいているのかいないのか、ヨゼフィーネはそっと口を開く。


「さて、エルゼ王女」

「はっ、はい!」


 エルゼはもはや反り返りそうなほどに背筋を正した。


「あなたがリヒャルト皇子の花嫁選考会に参加した理由をお聞きしてもよろしいかしら。もちろんこれはわたくしの単なる興味であり、今後の選考には一切関係しないので自由に答えてもらってよろしいわ」


 ヨゼフィーネの問いかけに、エルゼはごくりと息をのむ。


(私がリヒャルトの選考会に参加した理由……)


 真っ先に脳裏をよぎるのは、未来視でみたあの悪夢の光景だ。

 燃え盛る城、血だまりに倒れた家族や使用人……そして、エルゼの命を奪う死神として現れたリヒャルト。

 皆の未来を守るために、エルゼはリヒャルトの花嫁選考への参加を決めたのだ。

 エルゼはこちらを見つめるヨゼフィーネと視線を合わせる。

 彼女は相変わらず悠然とした笑みをたたえて、そのすべてを見透かすような瞳でこちらを見つめていた。

 ……下手なごまかしは、すぐに見破られてしまうだろう。

 ならば、核心的な部分は隠しつつ、ある程度の真実を伝えた方がいい。

 そう判断し、エルゼはゆっくりと口を開いた。


「まず第一に……私の祖国のためです」


 エルゼの大好きな故郷を、そこに暮らす人々を守ることが悲願だ。


「エルゼ王女の故郷は、マグリエル王国でしたわね」

「えぇ、お恥ずかしながらエルンスタールとは比べようもない小国であり、今まで平和に暮らしてこられたのが奇跡のような弱い国です」


 あまりにも僻地の小国だからこそ、周辺国は侵略する価値もないと思っていたのだろう。

 だがひとたび「侵攻する理由」ができてしまえば、あの美しい国は戦火に消える。

 未来視で見た光景で、エルゼは嫌というほど思い知った。


「私はマグリエルの王女として生まれ、故郷のことを大切に思っております。だからこそ、吹けば飛ぶような危うい立場にある祖国の安寧のために、結婚という強固な繋がりをもってエルンスタールの庇護下に入ろうと思ったのです」


 そこまで言って、エルゼはちらりとヨゼフィーネの反応を伺う。

 彼女は気分を害した様子もなく、穏やかに笑っている。


「そのお気持ちはよくわかりますわ、エルゼ王女。わたくしがアルブレヒト殿下の花嫁選考会に参加したのも我が家門の長期的な繁栄のためでしたもの。それで……花嫁選考会がここまで進んだ今、そのお気持ちに変わりはないかしら」


 ヨゼフィーネはエルゼの回答を肯定したうえで、重ねてそう問いかけてきた。

 彼女が問うているのは、エルンスタール皇族の妃としての覚悟なのだろうか。

 そう察しはついたが、気が付けばエルゼはまったく違うことを口走ってしまっていた。。


「今は……リヒャルト殿下のことが、気になっています……」


 そう口に出してしまってから、エルゼは盛大に焦った。


(しまったぁ! 私ったらなんてことを!)


 エルゼの言葉に、ヨゼフィーネは一瞬驚いたようにきょとん、と目を丸くした。

 だが次の瞬間、彼女は見たこともないほどに満面の笑みを浮かべたのだ。


「まぁ……! そこのところ詳しくお聞かせくださいな!」

「えっ……?」

「あら、わたくしだって義弟の恋路のことが気になりますのよ。リヒャルト皇子のどんなところが気になっているのかしら?」

(うぅ、まさかこんなに食いついてこられるとは思わなかった……)


 先ほどの皇后の時もそうだったが、エルンスタールの妃たちは他人の恋愛話に飢えているのだろうか。

 気恥ずかしくてたまらないが、こう求められては拒否することもできない。

 エルゼは頬を染めながらも、ぽつぽつと話し始める。


「はじめは、リヒャルト殿下個人というよりも『エルンスタールの皇子』という意識を強く持っていました。でも、彼のことを知っていくうちに……目が離せなくなって、もっと近づきたいと思ってしまったんです」


 その冷たくも悲しい目に秘められた真実を。

 分厚い氷に覆われたその中の本当の心を。

 見せてほしいと思った。知りたい、分かち合いたいと思ってしまった。

 そして、その片鱗を知ってしまった時には……既に「エルンスタールの皇子」ではなく、「リヒャルト」自身に引き寄せられていたのだ。


「私は、リヒャルト皇子だからこそ……もっとお近づきになりたいと思っております」


 少し熱っぽい声で、エルゼはヨゼフィーネにそう告げた。

 その言葉を聞いて、ヨゼフィーネはにんまりと笑う。


「なるほど。あなたは『エルンスタールの皇子の妃』ではなく、『リヒャルト皇子』の花嫁を目指していらっしゃるというわけですね」

「…………はい」


 あらためて口にされると恥ずかしいが、エルゼがこくんと頷いた。

 そんなエルゼの様子を見て、ヨゼフィーネは微笑ましいものでも見るような顔をしている。


「うふふ、わたくしは応援しておりますわよ、エルゼ王女。花嫁選考を勝ち抜くというのが絶対条件ですけど、あなたならリヒャルト皇子とよき夫婦になれると思いますわ」

「ふ、夫婦……」


 その響きに、エルゼは赤面した。 

 リヒャルトの妃になるために遠い祖国からここまでやってきた。

 破滅の運命を変えるために、少しでも彼のことを知ろうとしつこくリヒャルトのことを追いかけ探った。

 だがそうまでしておきながら……実際に「夫婦」となった時のことを今まで想像していなかったのだ。


(ふ、夫婦になったとしたら……あんなことやこんなこともあるのよね? い、一緒のベッドで寝起きしたり……)


 自分とリヒャルトがそうなった時のことを想像し、エルゼの頭は一瞬で沸騰しそうになってしまった。

 駄目だ、あまりにも刺激が強すぎる。

 次にリヒャルトと会った時に、どんな顔をすればいいのかわからなくなりそうだ。

 真っ赤になってわたわたするエルゼを、ヨゼフィーネはいつになく優しい目で見つめている。


「……あの方の言っていたことが、よくわかりましたわ」

「えっ?」


 何のことかわからず首をかしげるエルゼに、ヨゼフィーネはくすりと笑う。


「まだ花嫁選考会は途中です。あなたもいろいろと思い悩むことがあるでしょうけど……あなただけの持ち味を、なくしてはいけませんよ」

「……はい、ありがとうございます」


 不思議な人だ、とエルゼは思った。

 一部の隙も無い完璧な皇太子妃として振舞っているかと思いきや、年頃の少女のような顔をする。

 このエルンスタール王宮の中で生き残るには、そのくらい仮面の使い分けが大事なのかもしれない。


(きっと私には無理だけど……)


 だがヨゼフィーネは「自分のようになれ」とは言わなかった。

 むしろ、エルゼの持ち味をなくしてはいけないと言ったのだ。


(私とヨゼフィーネ殿下の役割は違うってことかしら……)


 そんなことを考えていると、ぱたぱたと愛らしい足音が聞こえてくる。


「エルゼ王女!」


 見れば、駆け寄ってきたルイーゼ皇女が何か言いたげにもじもじしているではないか。


「どうなさいましたか? ルイーゼ皇女」


 そう優しく問いかけると、彼女はシフォンを抱っこしたままおずおずと口を開く。


「あの……エルゼ王女も、一緒に遊んでもらえませんか?」

「え?」


 エルゼが驚いていると、慌てたように皇后がルイーゼ皇女を諫め始める。


「おやめなさいルイーゼ! エルゼ王女はお忙しくされているのよ! エルゼ王女、この子の言うことはお気になさらず――」

「いいえ、是非ご一緒させてください!」


 エルゼは意気揚々と椅子から立ち上がった。

 マグリエルにいた時も、よく城下の子どもたちと遊んだものだ。


(そうよ、私は私。変に意識せず私の思うままに振舞うことこそ、きっと私に必要なことなんだわ)


 まるで幼い子どものように全力で、エルゼはルイーゼ皇女と遊びにかかった。

 中庭には楽し気な笑い声が響き渡り、皇太子妃ヨゼフィーネはその光景を微笑ましい視線で見つめるのだった。


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