53 影の苦労人
エルゼはより一層気を引き締め、二人へと向き直る。
「ご挨拶が遅れました。マグリエル王国第二王女、エルゼと申します。本日はお招きいただき、心より感謝申し上げます」
エルゼの挨拶に、ヨゼフィーネは穏やかな笑みを浮かべて応えてくれる。
「こちらこそお会いできて嬉しいわ、エルゼ王女。どうぞこちらにお掛けくださいな」
「ありがとうございます」
ヨゼフィーネが指し示した席に、エルゼはドキドキしながら腰を下ろす。
皇太子妃ヨゼフィーネに、皇王の妻である皇后。
今このテーブルで相対しているのは、大国エルンスタールの女性のツートップなのだ。
(これは緊張するなって言う方が無理でしょ……!)
自然体でいるのが一番だとわかってはいるのだが、どうしても体がぷるぷると小刻みに震えてしまう。
そんなエルゼの様子に気づいているのかいないのか、皇后は申し訳なさそうな表情を浮かべて口を開く。
「勝手にお邪魔してごめんなさいね。悪いとは思ったのだけれど、ルイーゼを一人で行かせるわけにもいかないくて……」
恐縮したように身を縮こませ、そう口にする皇后の姿に、エルゼは「おや」と内心で驚く。
(あら、なんというか……私の思っていた皇后陛下のイメージとは違うのね……)
大国エルンスタールの皇王の隣に立つ、威風堂々たる皇后陛下。
それが、エルゼの抱いている皇后のイメージだった。
だが今目の前にいる女性は、何というか妙に人間味があるような気がする。
「あらためまして……エルンスタールの現皇后、テレーゼと申します。皇后といっても称号だけで、実際は何もできないのでどうぞお手柔らかに……」
「まぁ、そんなことはありませんわ、皇后陛下。わたくしたちはいつもあなたに助けられておりますもの」
やたらと謙遜した自己紹介をする皇后に対しても、ヨゼフィーネは悠然とした笑みを崩さない。
どちらかというと、エルゼの抱いていた皇后のイメージに近いのはヨゼフィーネの方だったようだ。
「うぅ、でも本当に私は皇后なんて器じゃないの。ヨゼフィーネみたいに厳しい花嫁選考を勝ち抜いたわけでもないし……」
皇后は相変わらず、低姿勢でそう零している。
いったいなぜ彼女はこんなにもネガティブなのだろうか、と考え、エルゼははっとした。
(そうだわ。現皇后はあの事件の後に嫁いできたから……)
もともとの皇后が自身の息子である第一皇子の立場を危ぶみ、第二皇子リヒャルトを殺そうとした凄惨な事件。
第二皇妃が巻き込まれて亡くなり、関与が発覚した皇后も幽閉となったその後に嫁いできたのが、今目の前にいる女性なのだ。
……いわば、火消し役のようなものなのかもしれない。
事件を知っている者からは腫物のように扱われたり、間に合わせの皇后だと逆に軽んじられたりすることもあったのだろう。
特に、彼女は他国の出身だと聞いている。
それはもう、エルゼが想像する以上にやりづらい環境だったのだろう。
(でも、たとえ表向きにでも今の皇族が明るさを取り戻しているのは、皇后とルイーゼ皇女のおかげよね)
外からやって来たエルゼが、リヒャルトに真実を聞くまでまったく気づかなかったほどには。
とても凄惨な事件があったとは思えないほど、今のエルンスタール王宮は平穏だ。
その陰には間違いなく、彼女の努力があったに違いない。
「先のルイーゼ皇女の誕生祭では、あのような形で中断することになってしまい大変残念に思います。私もずっと気にかかっていたので、このような形でルイーゼ皇女、それに皇后陛下とお会いできる機会を頂けたこと、心より嬉しく思います」
エルゼがそう告げると、皇后はほっとしたように表情を緩めた。
「エルゼ王女……! こちらこそ、ルイーゼの誕生祭という場で賓客であるあなたを危険に晒してしまったこと、ずっと申し訳なく思っていたの。この場を借りて、謝罪を――」
「その必要はございません、皇后陛下。あの件については皇后陛下を始め、エルンスタールの皇族方に非があるものではございませんので。私もこうしてピンピンしておりますし、どうかお気になさらないでください」
……湖にいないはずの海魔に襲われたのは、おそらくはエルゼを陥れようとした何者かが仕組んだものだろう。
誰が犯人なのかはわからないが、少なくとも皇后やルイーゼ皇女に非はない。
リヒャルトの態度からしても、皇族が事件の裏で糸を引いている……という可能性は低いだろうと、エルゼは考えていた。
「……あなたは本当にお優しいのね、エルゼ王女」
「エルンスタール皇国の光たる皇后陛下、それにルイーゼ皇女殿下に憧れておりますので」
エルゼがそう言うと、皇后テレーゼは一瞬驚いたように目を丸くした後……花が咲くように笑った。
「ありがとう。……本当にありがとう」
感極まったようにそう口にする皇后の姿を見て、エルゼは悟る。
(きっとこの御方は……私の想像以上に苦労されてきたのだわ)
そんなエルゼの想像を裏付けるように、皇后テレーゼはぽつぽつと語り始めた。
「……他国出身の妃ということで、私も散々苦労したわ。それこそ、嫁いでくる前には想像できなかったほどに。皇后と言っても私はしょせんよそ者の女。あからさまに軽んじられることも少なくはなかった。……エルンスタール皇族の妃には、それほどの重圧があるの」
エルゼはごくりと息をのむ。
どんな想像より、伝聞より、身をもって苦労した彼女の言葉は重かった。
「くじけそうになることも一度や二度じゃなかったわ。でも……私にはルイーゼがいた。この子にはつらい思いをさせたくないと、毎日必死にあがいたの」
結果がどうなったのかは……きゃっきゃと笑いながらのびのびと駆け回るルイーゼ皇女の姿を見れば明らかだ。
多少周囲の侍女が厳しい傾向はあるようだが、今のところルイーゼ皇女がすくすく育っているのは疑いようがない。
「……なんて、脅すようなことばかり言うのはよくないわね。確かにつらいことも多いけれど、私でもなんとかなったんだもの。エルゼ王女、あなたならきっと大丈夫よ」
「ぇ……?」
まだ花嫁選考の途中だというのに、まるでこれから嫁いでくる前提のような言葉にエルゼは目を丸くした。