2 夢であった人
マグリエルは雄大な山脈の麓に位置する、小さな小さな国だ。
領土のほとんどを山々や森林が占めており、その圧倒的な自然美は宝石とも例えられるほど。
そんなマグリエルの王族は、「先詠みの一族」と呼ばれる希少な力の使い手だった。
代々王族の男子は豊作や好天などの「吉兆」を予見し、女子は嵐や干ばつなどの「凶兆」を視ることができる。
その力を用いて、マグリエルの民は昔から厳しい自然と共に暮らしてきた。
エルゼはそんなマグリエルの第二王女である。
鮮やかな夕日色の髪に、くりくりとした胡桃色の大きな瞳。
気品の求められる王女にしては少々元気すぎるともいわれるが、皆に愛されすくすくと育ってきた。
だが残念なことに「先詠み」の能力には恵まれなかった。
今まで、一度たりとも未来を視たことなどないのだ。
第一王女であるエルゼの姉――ウルリカは優れた「先詠み」の使い手であり、優秀な姉と平凡な妹とで比較されることも多いのだが……それでもエルゼは卑屈になることなくのびのびと成長してきた。
周囲の者たちが能力の優劣に関係なくエルゼを可愛がってくれたことが大きいだろう。
「おや、姫様。そんなに急いでどうしました? おやつの時間はまだですよ」
「さてはいたずらをしでかしたのがメイド長にバレたんでしょう?」
すれ違う使用人たちは、皆気さくに声をかけてくれる。
人口の少ないこの国では国民が皆家族のようなものであり、中でも末王女であるエルゼは皆の娘や妹のように愛されていた。
「もう、そんなんじゃないんだから!」
使用人の軽口に応酬しつつも、エルゼは幸福を噛みしめていた。
城は燃えていないし、血だまりに倒れていた使用人たちはこうして元気にしている。
やはり、あれはただの悪夢だったのだ。
嬉しくなって踊るように軽やかに走っていると、通りがかった使用人の一人がエルゼを呼び止めた。
「姫様、もうお戻りになっていたのですね。国王陛下が姫様をお呼びですよ」
「え、お父様が?」
「……また何かやらかしたのですか?」
「な、なにもしてないわ! ……たぶん」
使用人に礼を言い、エルゼは足を進める。
(何かお父様に叱られるようなことがあったっけ?)
瞑想中に昼寝をしてしまったことなら、さすがにまだ伝わっていないはずだが……。
不思議に思いながらも、エルゼは教えられた部屋の扉を開ける。
中には父である国王だけでなく、王妃である母、それに兄と姉が揃っていた。
やって来たエルゼに真っ先に声をかけてきたのは、姉である第一王女ウルリカだ。
「あらエルゼ、思ったよりも早かったのね。何か司祭様に迷惑をかけてない?」
「大丈夫よ、お姉様。今日もばっちり瞑想してきたんだから」
「ふふ、本当かしら。後で司祭様に聞いて――」
「あー! それよりみんな揃ってどうしたの? 珍しいじゃない!!」
慌てて誤魔化しながらそう聞くと、父が神妙な顔をして口を開く。
「ふむ、一応お前にも知らせておこうと思ってな。……エルンスタールからの通達だ」
「エルンスタール? あの大国の?」
「あぁ。第二皇子の花嫁候補を募っているので、王女を一人送るようにと」
「えぇっ!?」
思ってもみなかった話に、エルゼは慌てて皆が集まるテーブルへと近づいた。
「それって強制なの?」
「……断ればエルンスタールとの関係が悪化することも考えられる。送らざるを得ないだろう」
「大丈夫よ、エルゼ。私が行くわ。どうせこんな小国の王女が花嫁に選ばれることなんてないのだから、留学だと思って楽しんでくるわ」
ウルリカはそう言って微笑んだ。
(確かに、優秀で器用なお姉様なら安心ね。適度に好印象を与えつつ、花嫁には選ばれないようにうまく立ちまわれそうだし……)
そんなことを考えながら、エルゼは父が手にしていた親書に目をやる。
その瞬間、目を疑った。
「え…………」
親書には一人の青年の絵姿が記されていた。
エルゼはその姿に見覚えがあった。
ひったくるように父の手から親書を奪い取り、穴が開くほどその絵姿を見つめる。
淡い色合いの金の髪。氷のように冷ややかな青の双眸。
初めて目にするはずなのに、フラッシュバックする光景。
……間違いない。ここに描かれている人物は――。
(夢の中で、私や皆を殺した人だ……)
おかしい。あれはただの夢のはずなのに。
何故、会ったこともない相手が――。