12 絶対にまた会えるから
予想もしなかった突然の邂逅に、エルゼは瞬きすらできずに固まってしまう。
リヒャルトはそんなエルゼをじっと見ていたが――。
(……あれ?)
なんとリヒャルトは、そのままエルゼから視線を外し再び廃墟の残骸の方へと視線を移したのだ。
まるで、エルゼなど取るに足らない存在だというように。
(た、助かった……)
あの夢のようにいきなり斬り殺されるのでは、と怯えていたエルゼは安堵のあまり脱力しそうになってしまう。
だがはっと我に返り、足に力を入れた。
(安心している場合じゃないわ! これって……ものすごいチャンスじゃない!)
なぜかは知らないが、現在リヒャルトは一人のようだ。
話しかけるには絶好のチャンスである。
……正直に言えば、彼のことが恐ろしくてたまらない。
あの夢の中の地獄のような光景が、次々と無慈悲に斬り捨てられていく山賊の姿が頭をよぎる。
何か彼の不興を買えば、エルゼも同じように斬り捨てられるのは容易に想像ができる。
だが――。
(ここで動かなければ、未来は変えられない……!)
怯えて立ち止まったままでは、やってくるのは祖国滅亡の未来だけ。
マグリエルで待っている皆を守ると決めたのだ。
せっかくのチャンスを、みすみすドブに捨てるような真似をしてたまるか……!
エルゼはぎゅっとシフォンを抱きしめながら、震える足を一歩踏み出した。
そのまま草を踏みしめるようにして、リヒャルトの方へと近づく。
「……風が気持ちいいですね」
微笑みを浮かべ、声が震えないように気を付けながら、エルゼはそう声をかけた。
完璧な第一声である。
後はリヒャルトの反応を伺いながら、会話を続けようと試みたが――。
リヒャルトはまるでエルゼの声など聞こえていないとでもいうように、完全無視を決め込んだ。
さすがのエルゼも、この至近距離でスルーされたことに愕然としてしまう。
(え、今の絶対聞こえてたでしょ? 聞こえてて無視? どうなってんのよ!)
さきほどまでの恐怖はどこへ行ったのかというくらいの、猛烈な怒りが湧いてきた。
(私だったらせっかく話しかけてきてくれたのを無視はしないわ! 何時間でも雑談できるわよ!)
そもそも国民全員が家族というような小国マグリエルと大国エルンスタールでは勝手が違うのだろうが、ここまでの塩対応はさすがにない。
意地になって、エルゼは再びリヒャルトに話しかけた。
「こんなにいい天気だと思わず歌いだしたくなりませんか? ヨーロレーイッヒー!」
特別サービス! とばかりに得意のヨーデルを披露したが、リヒャルトはぴくりとも表情を動かさなかった。
(嘘! 私の特技を無視できるなんて……どれだけ表情筋動いてないの?)
夢の中でも今でも、エルゼはリヒャルトの表情らしい表情を見たことがない。
常に能面のような無表情。マグリエルを侵略しエルゼを殺した時だって、彼の人形のように美しい顔には何の表情も浮かんでいなかったのだ。
(こんな人、初めて……)
恐怖よりも、打算よりも。
ただ、純粋に興味をひかれた。
エルゼはさらに一歩リヒャルトに近づき、問いかける。
「……ここで、何をしていらっしゃったのですか?」
知りたかった。エルゼやマグリエルの民を無表情で殺戮した彼が、どうしてこんな、何もないような場所に一人でいるのか。
いったいこの場所の何が、彼を突き動かしているのか。
エルゼの問いを受け、初めてリヒャルトは反応らしい反応を示す。
廃墟を見つめていた彼の視線が、明確な意思をもってエルゼの方へと移された。
その瞬間、エルゼはひゅっと息をのむ。
彼の瞳はエルゼを殺したときと同じく、凍り付くような冷たさをたたえていたのだから。
「失せろ」
たった一言、彼はそう発した。
その響きは、まるで抜き身の刃のような鋭さを帯びていた。
ぴりぴりと肌を刺すように、緊迫した空気が漂う。
エルゼがあと少し彼の気分を害するような行動を取れば、彼はためらいなく剣を抜き、あの夢のようにエルゼを斬り捨てるだろう。
はっきりと、そうわかった。
だが、それでもエルゼは言わずにはいられなかった。
「あなたの瞳の奥に……深い悲しみが見えます」
凍れる瞳のその奥に……確かに悲しみの光が揺らめいているのを、エルゼは見てしまったのだ。
――『先詠み』とは、『世界と相対する力』
かつてエルゼはその教えを信じ、様々な修練を積んだ。
そのおかげなのだろうか。人よりもほんの少しだけ、表情や仕草から他者の感情を読み取ることに長けているのだ。
きっと常人なら、今のリヒャルトからは「圧倒的強者に蹂躙される恐怖」しか感じないだろう。
だがエルゼは確かに……分厚い氷の奥に秘められた悲哀を見つけたのだ。
リヒャルトにとっても、エルゼの返答は予想外だったのだろう。
今まで頑なに無表情を貫いていた彼の顔に、初めて驚愕の色が浮かんだのだ。
(この人は深い悲しみを抱えている。だからここに来たの? いったい、彼に何があったの……?)
更に踏み込もうと、エルゼはリヒャルトの方へ足を踏み出そうとしたが――。
「ちっ……」
リヒャルトが軽く舌打ちし、エルゼははっと我に返る。
「……もうここへは来るな」
冷たくそう吐き捨てて、リヒャルトはエルゼを押しのけるようにして王宮の方へ去っていく。
その背中に向けて、エルゼはとっさに呼びかけた。
「私たち、絶対にまた会えます! その時はもっとお話ししましょうね! 約束ですよ!」
リヒャルトは足を止めなかった。振り返ることもなかった。
(でも、届いてるよね)
そう信じ、エルゼは大きく息を吐く。
「はぁ、緊張した……。シフォン、大丈夫?」
腕の中のシフォンに呼びかけると、小さなウサギはやっとぴくりと耳を動かした。
リヒャルトがいた時はまるでぬいぐるみのようにぴくりとも動かなかったのだ。
きっとシフォンもリヒャルトの放つ威圧感に気圧されていたのだろう。
『……うん、だいじょぶ』
「よかった。怖かったでしょう?」
『うーん……でも』
シフォンはつぶらな瞳でリヒャルトの去った方向を見つめ、ぽつりと呟く。
『あの人、悲しそうだったね』
「…………そうね」
シフォンもエルゼと同じことを感じ取ったのだろう。
(彼はいずれマグリエルを滅ぼす死神。人の命を奪うことを何とも思っていない冷血漢。でも……)
どうしても、頭から離れない。
彼の冷たい色をした瞳の奥に潜む、深い悲しみを秘めた光を。
(私が彼の妃になれば、わかるのかしら……)
――絶対にまた会える。
リヒャルトに言った言葉は嘘じゃない。
今日のようなチャンスが何度もあるとは思えないが、花嫁選考が始まれば嫌でもエルゼとリヒャルトは顔を合わせることになるのだから。
(リヒャルト、私のこと覚えていてくれるかしら)
次にあったら聞いてみよう。それをきっかけに、仲良くなれるかもしれない。
そう自分に言い聞かせ、エルゼはリヒャルトの後を追うようにその場から立ち去った。




