1 これが悪夢でありますように
燃え盛る炎の中、エルゼは必死に走っていた。
生まれた時から慣れ親しんだ城は炎に包まれ、あたりにはエルゼを可愛がってくれていた使用人たちが血だまりに倒れ伏している。
(なんで、どうしてこんな……!)
いったい自分たちが何をしたというのだろうか。
国というのもおこがましいほど小さな国で、皆で身を寄せ合って平和に過ごしていただけだというのに。
そんな幸せな日々は、一瞬にして踏みつぶされてしまった。
「誰か……誰かいないの……!?」
生存者を探してエルゼは叫ぶ。
それでも応えてくれる声はなかった。
やがてたどり着いたのは、玉座の間だ。
最後の望みをかけて、エルゼは重い扉を開ける。
その途端、目に飛び込んできたのは――。
「っ……! お父様、お母様!」
玉座の近くで重なり合うように倒れる、両親の姿だった。
「そんな、嘘……」
よろよろとおぼつかない足取りで歩を進めるエルゼの目に、更に信じられない光景が飛び込んでくる。
「お兄様……? お姉様……?」
真っ赤な血に染まった絨毯の上で互いを庇うように倒れているのは、少し前にエルゼを逃がしてくれた兄と姉だった。
――「いいか、エルゼ。静かになるまでここに隠れているんだ」
――「あなただけは絶対に生き残るのよ……!」
「あ、ああぁぁぁ……」
縋るように触れた二人の体は、とうに冷たく成り果てていた。
「なんで、どうして……」
涙に濡れたエルゼの目に、窓の外の光景が映る。
いつもだったら人々のにぎやかな声が響く城下町は、真っ赤な炎に包まれている。
その光景は、まるで世界の終わりのようだった。
(……教えてください、神様。私たちはこんな地獄に堕とされるほどの罪を犯したのですか?)
打ちひしがれるエルゼの耳に、こちらへ近づいてくる足音が聞こえてくる。
のろのろと振り返るエルゼの視線の先にいたのは、見知らぬ青年だった。
「その格好……生き残りの王女か」
身にまとう衣装にも、手にしている剣にも、べったりと血がついている。
その様相が……いや、何よりもこちらを見据える凍るように冷たい視線が、彼がこの状況を招いた張本人だということを雄弁に物語っていた。
目の前の青年が誰なのか……そんなことはどうでもよかった。
青年をまっすぐに睨み、エルゼは問いかける。
「……どうして、こんなことをするの。私たちが何をしたというの……!」
エルゼの激情にも、青年は表情一つ変えなかった。
ただ冥途の土産だとでもいうように、冷たく告げる。
「貴様ら『先詠みの一族』は災厄を呼ぶ存在だ。ここで根絶やしにせねばならない」
「なに、それ……」
存在自体が許されないなんて、そんなことあっていいわけがない。
呆然とするエルゼの前で、青年はゆっくりと剣を構える。
そして、その切っ先がエルゼの心臓を貫く瞬間――。
◇◇◇
「っ……!」
ぱちり、とエルゼは目を開けた。
目の前に広がるのは業火に包まれた城内……ではなく、穏やかな光景だった。
泉のほとりでは小鳥がさえずり、その向こうでは木々がそよ風に揺れている。
遠くに見える城下町は炎上などしておらず、今にもにぎやかな声が聞こえてくるようだった。
(なに、どういうこと……)
ぱちぱちと瞬きをしていると、背後からこちらに近づいてくる足音が聞こえた。
もしやあの青年が……と弾かれるように振り返ったが、そこにいたのはエルゼもよく知る初老の司祭だった。
「おやおや、姫様。その顔はまた瞑想中に昼寝をなさっておられましたな」
からかうような司祭の言葉に、エルゼはぱちくりと目を瞬かせた。
「昼寝……? 私、寝てたの……?」
「おおかた、楽しみにしている本でも手に入れられましたかな? 読書にふけるのも結構ですが、夜更かしはあまり感心しませんぞ」
司祭の言葉に、エルゼはやっと今の状況を思い出してきた。
そうだ。ここは教会裏手の瞑想の場で。
彼の言う通り、昨夜エルゼはずっと読みたかった本を手に入れ、徹夜で読みふけっていたのだった。
そのせいで、日課の瞑想中に寝入ってしまったのだろう。
だとすると、先ほどのあれは――。
(ただの、悪夢……?)
あの場に充満する血の匂いも、城を包む炎の熱さも、家族の亡骸に触れた時の絶望も……今でもはっきりと思い出せるのに。
いつもだったら「ひ、昼寝なんてしてないわ! ちょっと瞑想に集中しすぎたのよ!」と誤魔化すエルゼがおとなしいことに、司祭も違和感を覚えたのだろう。
じっとエルゼの顔を覗き込み、真剣な声で問いかけてきた。
「もしや姫様……なにか未来が視えましたか」
その言葉に、エルゼはどきりとしてしまった。
――「先詠みの一族」
確かにエルゼたちこの国の王族はそう呼ばれている。
だが、あの世界の終わりのような光景がこの国の未来だと、誰かに話せなかった。話したくなかった。
「……ううん、ちょっとお昼を食べすぎたからお腹痛くなっちゃって。瞑想も終わったしゆっくり昼寝してくるわ~」
うーん、と伸びをして立ち上がったエルゼに、司祭は優しく目を細める。
「まったく……きちんと修練を積まねば姉君のような立派な王女になれませんぞ」
「お姉様は特別よ。私はお姉様の引き立て役でいいもの」
司祭に手を振り、エルゼは教会から城へと続く小路を駆け出した。
本当なら、彼に相談するべきだったのかもしれない。
だがエルゼのことを本当の孫のように可愛がってくれている司祭に、余計な心配はかけたくなかった。
(大丈夫。あれはただの夢。現実になることなんて絶対にないんだから……!)
昨日は夜更かしをしてしまったので、体に疲れが溜まりあんな悪夢を見てしまったのだろう。
そう自分を納得させ、エルゼは城へと続く道を急いだ。
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