奇跡が起きるなんて聞いてないっ!
「大分充実してきたよねぇ」
『良い家だ。精霊達は頑張ったな』
『ふふ、セツの発想も良かったわ。まさか巨木を丸っと家にするなんてね』
『つりーはうすだったか? これなら人目も欺けよう』
きゃっきゃと飛び回る妖精様達。その前には、天へとそびゆる大きな木があった。
複数の樹木が絡まり、一見幹にも見える幅は十メートルもあろうか。木々同士が複雑に絡まる隙間に部屋を造り、セツは新たな家にする。
その空間が広くなるよう、精霊達が頑張って木々を育成してくれた。小ぢんまりとした物だが、寝台やチェストを置いたり、煮炊き用の竈を設えたりするには十分な空間。
小さくとも楽しい我が家である。
「外に畑も欲しいなあ。いちいち買いに出るのも億劫だしね。簡単な葉物や野菜に不自由しない程度で良いから」
長期保存可能な食糧と別に、前世を思い出したセツはサラダやジュース的なビタミンを切望する。この世界に栄養素という概念はない。だから、当然のように寿命も短く、大抵は六十歳前後でこの世を去る。
それを別にしても毎日が充実するよう、セツはコツコツ努力した。
……色んな菌や虫の卵とか、生食には注意が必要なんだよね、たしか。そういったモノは寒さに弱いとか聞いたけど…… 冷凍なんか出来ないしなあ。やれても冷たい井戸水につける程度かな?
そこまで考えて、ふとセツの脳裏に浮かんだ祖父宅の井戸。幼いころから慣れ親しんだアレが、非常に懐かしい。
「井戸水……そうだ。ポンプの井戸が欲しいかも」
『ぽんぷの井戸? ぽんぷとはなんだ?』
「こんな感じで、取っ手をガシャガシャやると水が上ってくる仕組み。出来るかな?」
『自然に汲まれる水があれば良いのね? 任せて♪』
桃色でソバージュ的な髪を揺らめかせる妖精が踊ると、石窯横の木から管が伸び、綺麗な水が湧き出る。その下には水を受け止めるような石製の鉢が出てきて、唖然とするセツを余所に立派な水場が出来上がった。
四隅の一角が削られ、余剰分の水をツリーハウスの外へと流している。
ちなみに、その外にはいつの間にか池が掘られていて、ちょろちょろ流れていく水が溜まっていた。
あまりに自然過ぎる一連の作業。思わず唖然とするセツの前で、石製の鉢を造ってくれたらしい茶色の妖精が、どやっと胸を張っている。
あれだ。神社とかで見かける御手水。なるほど、これならお水は使い放題ね。
「うわあ、なら、ここを二段にして…… そうそう。で、上の段に水切りみたいな格子を…… きゃーっ、すごいっ!」
精霊達は、調子にのったセツの要望にもそつなく応えてくれる。
彼女の望む通り、一段だった石鉢は姿を変え、腰の高さな所から下段にそれぞれ高さの違う石鉢を取り付けた。
一番上は野菜を洗ったり調理したりな水場。中段、下段は汚れ物を洗うための場所。下段で食器の汚れを落として洗い、中段で綺麗にすすぐ。
段差があることで色々使い道の出来る多目的な水場だ。これも祖父宅で見た仕様。近くを通る小川を板で仕切って、上流では籠一杯の野菜や果物を冷やし、下流で洗い物をする。先人の知恵である。
「ふふ、冷たいここに浸しておけば、保存と洗浄の一挙両得ね。助かるわ」
異世界不思議現象。彼等に出来ないことなどないのだろう。精霊王と名乗るだけはあるなと、セツの顔が嬉しそうに綻んだ。
「これがあったら実家の仕事も楽になるのになあ。井戸にも、さっき話したようなポンプがあれば、すごく暮らしに役立つのに……」
少ししんみりとする少女の背中。
だが、精霊王と呼ばれる妖精達と歌姫のやり取りに耳をすませていた精霊らは即座に動く。
後日、再び故郷を訪れたセツが、驚きに眼を見張るまでがお約束だ。
こうして無意識に現代知識をばら撒き、精霊らの力を借りて無双するセツ。
後に聖女と呼ばれる彼女は、良くも悪くも、毎日元気にはっちゃけている。
「………………」
「親父…… どうするよ、その金」
ここはセツの家。深い沈黙を打ち破り、項垂れて動かない父親にセツの兄が声をかけた。
そこには金貨が一杯に詰まった袋。セツを問答無用で拐っていた貴族が置いていったものだ。
形として、ジョセフらはセツを雇ったことになっている。この金子がその対価。普通の平民なら何十年も遊んで暮らせる金額だ。
まるで娘を売り飛ばしたかのような罪悪感に苛まれ、セツの父親は懊悩する。
村長に頼んで領主に直訴もした。こんな金は要らない。娘を返してもらってくれと。
だが、しがない男爵でしかない領主では、伯爵家相手に何の手も打てないと説明され、セツの家族は絶望する。
……なんで、こんなことに。
御貴族様の気まぐれで家族を奪われる話はよく聞いていた。妻や娘を妾にとか、子供を下働きにとか、傍若無人な貴族らには、とかく良い噂がない。
……しかし、こちらはその御子息を助けたのに…… 礼を言われこそすれ、娘を拉致られるいわれなどなかったはずなのに。
ぐっと唇を噛み締め、セツの父親は娘の代金だろう金貨の袋を自分から遠ざけた。
それを悔しげに眺めつつ、家の奥に消えるセツの兄。母親も深く嘆いたまま、部屋から出てこない。
まるで火が消えてしまったかのような悲しみに陥るセツの家族を、村の者達が心配そうに見守っていた。
そして数日経ち、奇跡が起きる。
「なんだ、これ………」
セツの家の洗い場に、突如として現れた謎の物体。それは勝手に動き、水が出たり消えたりしていた。
変な管が伸びた壁。その管の上には取っ手があり、それが左右に動く度に出てくる水。
見覚えのない鉢にみるみる溜まっていく水を凝視し、セツの兄が恐る恐る取っ手を動かした。右に動かすと綺麗な水が迸る。そして、左に動かすと止まった。
思わぬ怪奇現象を目の当たりにし、唖然とするセツの兄。その後ろにやってきた母親も、何が起きたのか分からず眼を見開いていた。
そんな彼等の下に誰かが駆け込んでくる。
「ちょ……っ! ちょっと来てくれっ! 名指しなんだっ!」
「名指し……?」
訝りつつもセツの家族は案内に従い、村の広場へと向かった。そこでも展開されている謎現象。
村が共同で使っている井戸が石の囲いで覆われ、家の洗い場同様に変な管が出ていた。そしてその管の横には長い取っ手があり、それがガシャガシャ上下する度に大量の水が管から溢れている。
「ここ見てっ!」
「……あっ?!」
セツの兄と母親は思わず手で口を押さえた。そうしないと叫びだしてしまいそうだからだ。
忙しなく動く長い取っ手。その側面に書かれた流麗な文字。
『セツは元気。これはセツからの贈り物』
微かに発光する文字に眼を滑らせて、セツの兄は涙を浮かべる。なんの奇跡だ、これ……と。
……そうか。あいつは元気か。
思わず泣き崩れる二人を励ます村人達。
その後、仕事から帰ってきて話を聞いた父親は、物凄い勢いで広場に駆け込むと、井戸にしがみついて号泣した。
「生きてるっ! 生きてるんだなっ? セツぅぅーーっ!!」
おんおん男泣きする父親を呆れた眼差しで見つめながら、セツの兄や母親も目尻に涙を浮かばせる。
この奇跡は長く秘匿され、誰もが口をつぐんだ。
自分の与り知らぬ奇跡を後で目にしたセツは、大きく破顔する。彼女が聖女として故郷に凱旋するまで、あと数年。
にっかり笑う精霊王達は、歌姫をこよなく愛していた。それこそ珠玉の宝物みたいに。
そんなこんなで異世界逃亡中のセツは、あちこちフラフラ彷徨いながら、無自覚に奇跡の欠片を撒き散らしていた。
歌姫様のお惚け道中は、まだまだ続く♪