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 捕まるなんて聞いてないっ!


「……う~、どうしたら良いのさぁ~」


 大きな樽の中に潜み、周囲に耳を欹てるセツ。


 明け方近いのだろう。空が白々としているが、テオドアの兄達とその従者らは未だにセツを探していた。逃げ出した深夜からこっち、すでに何時間も走り回って彼女はクタクタである。

 

「遠くには行っていないはずだ。テオが幾ら渡したか知らないが、まだ馬車も動いていない。探せっ!」


 ……探すなっ、諦めてようぅぅっ!


 声高に叫ぶのはジョシュア。三兄弟の長兄だ。三人ともテオドアと同じ金髪碧眼だが、実際には従兄弟で身体の弱いテオが療養に身を寄せている伯爵家の嫡男様らしい。 

 非常にガタイが良く、セツとは身の丈三十センチほども差がある。見下ろすように睨まれ、彼女は小動物のように縮こまるしかなかった。


「だからっ! もっと穏便に行きましょうってっ! あの娘がテオの問題を解決してくれるやもしれないんですよっ?」


 少し焦燥気味に口を開いたのはエドワード。三人の中で一番物腰の柔らかい人物だ。

 他の二人は髪を短くしているのに、彼だけは背の中程まで伸ばしていた。テオドアも襟足だけ長くしていたので、この辺は個性かもしれない。

 三兄弟の次男。セツに対して妙に親切で、彼女は他の二人と別の意味でエドワードを警戒する。

 チャラ男とまでは言わないが、やけに軽く調子が良い彼。普通の娘なら、ああいった王子様然とした姿や好感を抱かせる台詞に心ときめかせるのだろうが、あいにく前世を思い出してしまったセツには通じない。

 以前のセツなら通じたかも知れないが、今のセツから見たら胡散臭いことこの上ない人物だ。

 

 ……知ってるわ~、優しげな顔で近寄ってくる親戚の男どもによく似たあの笑顔。腹に一物も二物も持ってる顔だもの。


 前世は裕福な家庭…… というか、お嬢様と呼ばれる立場だった彼女は、十三歳にして達観せざるを得ないほど、人間の薄汚い裏側を見てきた。

 酷く悪どいやり口で金を稼ぐ両親。その煽りを喰らい、逆恨みや報復のスケープゴートにされたセツと弟。もろ犯罪的なことに巻き込まれたのも数しれず。中学生に上がってからは、性的な対象にも見られ、男の狡猾さを身を以て学習させられた。

 幸い父親の助けが速く、どれも大事には至らなかったものの、セツを人間不信に陥らせるのに十分過ぎる過酷な暮らしだった。

 その経験が彼女の脳裏に囁くのだ。あの手合いは油断のならない蛇だぞと。


 そんな辛辣な評価を少女から受けているとも知らず、エドワードは困惑げにジョシュアへ食って掛かっていた。

 そこに嘴を挟んだのは三男のダニエル。


「そんなことより、あの『歌』とやらだっ! 不味いだろ、あれっ!」


 ……何が不味いのさ。あんたらが歌えって言うから歌っただけじゃないのよっ!


 末っ子のダニエルは、本気で真剣にセツを収監しようと追ってきている。


 テオドアを迎えに来た彼等は、少年の安否を確認してから詰め寄るようにセツへ近寄ってきた。そして尋ねたのだ。『貴女は魔女なのか?』と。

 周りの家族や村長に聞こえないよう小声だったが、酷薄な冷たさを帯びた声に驚き、セツは思わず全力で首を横に振った。

 それでも疑惑は晴れなかったらしく、彼らはセツの家族が止めるのも無視して彼女を迎えの馬車に押し込み、拉致同然に連れ去ったのだ。

 相手は御貴族様。セツの家族には何も出来ない。それでも止めようと頑張ってくれた両親や兄に、セツは微笑んで見せる。


『きっと何かの誤解があるだけよ。少し行ってくるわ』


 欺瞞だ。家族も村長も村の誰もがそう思った。貴族に拉致られた者が無事でいた試しはない。大抵は見るも無惨な結果が待っている。それでも戻れたなら僥倖だが、半数は戻ることもなく消息を断つ。

 世間一般の身分的な常識が頭をかすめ、この世の終わりのような顔をするセツの家族達。

 そんな悲壮感で溢れた人々に見送られ、テオドアの兄らに連行されたセツは、別邸とやらに着くやいなや、歌を歌えと命令されたのである。


『歌えって…… ここで?』


 無言で頷く三兄弟。


 カラオケでもあるまいし、人様の前で披露することに慣れていないためセツは少し戸惑う。だが、有無を言わせぬ真剣な三人の眼差しに気圧され、とうとうと静かに歌った。

 彼女が披露したのは『荒城の月』。テオドアに聞いた話が事実であるなら、この世界は音楽が廃れて長いはずだ。今時の歌やテンポの早い物は、多分彼等に理解出来なかろう。色々考えた末の選曲である。


『……千代の松が枝、わけ出でし。昔の光、今いずこ……』


 シン……っと聴き入る三人の兄とテオドア。


 歌の番数が進むにつれ、どこからか咽びが聞こえた。真剣な面持ちで聞いていたテオドアの兄達の顔がいつの間にか俯き、何かを堪えるように拳を戦慄かせている。


「……間違いない。伝承にある『歌』というモノだ」


 はあ…っと大きく息を吐き出して、ジョシュアが奥歯を噛みしめるように顔を歪めた。その瞳は潤み、目尻が赤くなっている。

 下を向いたままなエドワードの膝には数滴の水玉模様が描かれ、ダニエルに至っては声を押し殺して泣く始末。

 歌に感情移入し涙するのは珍しくもない。地球の前世を持ったセツは、特に何も違和感を持たなかった。


 ……が、三兄弟は違ったのだ。


「やはり危険だな。このように胸を締め付ける想いを他者に与えられるというのは…… これが人々を狂わせ、戦に誘うというのも納得だ」


 ……斜め上半捻りに納得すんなっ!


 思いっきり曲解され、そんな理由で火炙りにされるなど冗談ではないとセツが口を開きかけた途端、末っ子のダニエルがボロボロ泣きながら彼女を後ろ手に捕えた。


「……悪魔がっ! これで周りを洗脳していたのだろう? ……こんな気持ちにさせられたら、誰だってお前の言いなりになる他ないよなあっ?!」


 ……どんな気持ちだよっ! 昔の栄華を偲ぶだけの歌じゃんっ!! この世界でも分かりやすい歌を選曲したのに、なんでこうなったの?!


 あれよあれよという間に両手を縛り上げられたセツは、ご丁寧に猿ぐつわまで噛まされる。


「俺達を操るのは無駄だからな? 歌わせないぞ? ……くそぅ! 先程の歌も没落を仄めかす歌だったな? ……今の時代をそのようにする気なのか?」


「……へぅ? ふぁ…… うーっ?!」


 忌々しげに睨みつけてくるジョシュアの言葉を理解して、ようようセツも合点がいった。

 あの歌詞を深読みしたなら、今の時代もいずれは歌のように朽ちるという、不穏な予言に聴こえなくはない。

 ここが中世観の強い世界だということに、セツは理解が及ばなかった。迷信や呪いが絶賛生きている世界だ。しかも音楽という概念のない異世界。歌詞に心を震わされても恐怖でしかないだろう。

 特に、歌を識らない三人には効果覿面。事実、荒城の月に感情移入し、涙してしまった彼らの受けた恐怖は如何ばかりなモノだったか。


 ……選曲、しくったぁーっ!! これならまだ、意味不明なアニソンでも歌った方がマシだったわぁーっ!!


 うわああぁぁっ!! と混乱するセツが彼等に拘束され、運ばれようとした時。

 かたん……っと小さな音が鳴り、部屋の隅でテオドアが立ち上がった。

 その足取りは覚束なく、ふらふらと千鳥足な少年をダニエルが慌てて支える。


「大丈夫かっ? ああ、これだから邸から出したくないんだ! すぐに薬師を……っ!」


 青褪めた顔のテオドアは呼吸も荒く、微かに震える指先で縋るようにセツの袖を引いた。その行動に驚きつつも兄ら三人は少年を心配げに見守る。


「……セツ。歌っ……て?」


「は……?」


「歌……が、足りない…… 歌って?」


 ……歌が足りない? そりゃ、家ではずっと歌ってたけど。……そういや、捕まってからこちら、歌ってなかったかも。


 必死の形相で、はくはくとテオドアは唇を震わせる。まるで酸素を求めるかのように、セツへ歌を強請る少年。


 訝しげに瞠目する三兄弟。しかし、そんな彼らを余所に、テオドアの様子はどんどん酷くなっていった。

 じわりと弱っていく少年を見かね、ジョシュアが大きく舌打ちしながらセツの猿ぐつわを外す。


「……手紙にあったことが本当なら。……試してやる、歌ってやれ」


 なんのことやら分からないが、確かにセツは自宅でもテオドアの具合が悪くなると歌ってやっていた。常に彼女について周り、歌を強請っていた少年。

 取り敢えずと、セツはテオドアの望むとおりに歌ってやる。選曲は三日月娘。しっとりと言葉を紡ぐ彼女は、息を荒らげる少年を撫でるように柔らかく歌った。

 セツが全番歌い切ったころ、テオドアの呼吸も落ち着き、少年は穏やかな寝息をたてはじめる。

 どこか身体が悪いのだろうかと、セツがテオドアの顔を覗き込んでいた時、周囲で大きく息を呑む音がした。


「……本当に? ありえんっ!」


 ……なにが?


 陶然として自分を凝視する三兄弟と、セツの間に横たわる温度差。


 それに気づかぬまま、禁断の沼に足を踏み入れてしまったセツだった。


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