◇23 最期の記憶の夢。
お父さんが帰宅してから、一週間が経つ。
毎日ランニング。時々、魔法の練習。
お母さんが趣味のお茶会に行っている間、私は談話室のお父さんに寄り添われて、ソファーで本を読んでいた。
お父さんは、背凭れにだらしなくぐったりとしては、ぐーかーと大口を開けていびきをかいて寝ている。
慣れっこな姿だ。いびきの音も、聞き慣れた。
お母さん曰く、家で安心しているからこその姿なのだとか。
気を張り続けて警備兵の仕事を頑張って、我が家で休んでいる。そこも可愛いと思っているのだとか。
お母さんがいれば、お父さんは何の躊躇もなく、膝枕をしてもらい、ぐーすかと寝息を立てていたはず。
時には、私を抱き枕にもする。我が家の日常だ。
んー……。
私も眠くなってきた。
読んでいた本を閉じて、私は抱いたままお父さんの膝の上に頭を置く。
身じろぎしたお父さんは、目を開かないまま、ポンポンッと頭を叩いてひと撫で。
深く息を吐いては、すぅすぅと寝息を立てる。
そのうち、また豪快ないびきになるだろうけれど、もう慣れたから気にならず、眠れるはずだ。
――――痛い。苦しい。吐きそうだ。
支離滅裂な光景。
引き裂いた写真を繋ぎ合わせたような。
黒く塗りつぶされた動画の滅茶苦茶な再生のような。
命の灯火が、消えてしまいそうだ。
「……君は、最期の時まで、笑うんだな」
ぐらつく視界の先には、ワンナがいた。
ぼやけていたけれど、少しだけはっきりと見えたワンナは。
泣いてしまいそうな微笑みを浮かべて、見上げていた。
傅くようにして手を握り締めるワンナ。
「最期こそだからでしょ」
絞り出す声は、カラカラの喉を通っていく。
ええ、そう。
これで、最期だ。
もう、おしまい。
黒に染まる光景。
真っ黒な霧が、徐々に晴れていくと思えば。
だめだ。だめだ。だめだ。
もうやめて。やめてって。やめてって。
どうして、そんなことが出来るの?
どうして、苦しませることが続けられるの?
なんで国王であろう者が、国民を苦しめ続けるの?
雑音で掻き消える自分の声が、木霊する。
声が届かない。虚しい。
声が届かない。悲しい。
声が届かない。苦しい。
――――もう時間がない。
終わりにしないと。
目の前で、顔の見えない男が、何かを喚く。
「お父様。これが最後です」
醜く喚き続ける彼に、剣先を突き付けて、告げる。
「償いを」
何度目だろうか。
これは最後。本当に最期だ。
それなのに、聞いてくれない。
聞いたことなんて、一度もなかったもの。
最後まで、私の声は、この人には届かなかった。
目を一つ、閉じて、そして開いた瞬間に。
突き刺した。
絶命するまで、見下ろす。
見届けなければいけない。
これは、私の戦いの終止符だ。
王が息を絶えた玉座の間。
ここまで来てくれたワンナ達は、何も言わない。
ただ、静かに見守ってくれている。私がそう頼んだから。
私も、何も言わなかった。
だけれど。
けれども。
心の中では、ずっと。
ずっと、ずっと、ずっと―――――。
私は――――悲痛な絶叫していた。
それでも。
振り返れば、そこにいてくれる味方のワンナ達には、それは聞かせたくない。
私は何も遺したくない。本当なら、存在そのものはなかったことにしたい。
けれど、そんなことは無理だものだから。
せめて。
笑った私だけを、彼らの中に遺させてほしい。
「君は……酷いことを言うんだな」
陽射しの下。背にする噴水の水音の中で、隣に座るワンナの声が届く。
他の三人も、同意したような視線を注いでいることはわかった。
「それは悪いとは思うけれど」
私はあっけらかんと言う。
本当に、悪いとは思っているのよ。
大事に思ってくれているあなた達には、本当に……。
「わたくしは、あなた達といたわたくしが遺っていれば、それでいいわ」
それ以外が、消え去ってもいいんだ。
いや、消えてほしい。
最後の記憶に戻る。
「……君は、最期の時まで、笑うんだな」
ぐらつく視界の先には、ワンナがいた。
また、ワンナだ。
泣いてしまいそうな微笑みを浮かべて、傅いて見上げていた。
手を握ってくれているけれど、私にもう。
握り締める力なんてない。
「最期だからこそでしょ」
多分。これが最期に見せられる笑みだ。
空を見上げる。
澄んだ水色。最後にもう一度だけ、虹色を見たかった。
でも、もう。時間切れだ。
ゆっくりと、後ろへと倒れる。
噴水の中に落ちる前に。
暗闇に落ちる――――。
「エコー!!」
肩を揺さぶられて、大きな声で呼ばれて、びくりと震え上がった。
お父さんが、私を見下ろしている。
「え……? なに……?」
「何って……苦しそうだったから……呼んでも起きないし……大丈夫か? 怖い夢を見たのか?」
起き上がろうとすれば、お父さんは手伝ってくれた。
怖い夢……?
お父さんの膝の上で、魘されていたのか。
「うん……大丈夫」
俯いて、額に手を当てれば、ちょっと汗が張り付いていた。
大丈夫だ。
ちょっと記憶が、滅茶苦茶に蘇っただけだもの。
それにしても、最悪だ。
一番思い出してほしくない部分を、取り戻すとは。
実の父親の心臓を、剣で突き刺さす記憶なんて……。
悲痛な絶叫を呑み込んだ。
身を裂かれそうなほどの酷い感情の爆発の絶叫を。
彼らの記憶に、残さないためにも。
大事だった。とても大事だったワンナ達の中に遺りたかったのは、そんな叫びを上げる自分ではなかったから……。
記憶を取り戻すなら、順番に戻ってきてほしかった。
いきなり、そんな重たい感情と経験を押し流してこないでほしい。
時系列も、滅茶苦茶だったな……。
走馬灯って、あんな感じだろうか。
「エコー」
お父さんが、私の前にしゃがんで、両手で私の顔を包んで上げさせた。
「本当は、つらいんじゃないのか? 大丈夫なんかじゃないのか?」
痛々しそうに見つめてくるお父さん。
「クロードもそうだが……怖かったり、不安になったら、言ってほしい。クロードは、血が繋がっていなかったから、ちょっと不安になって、大好きなエコーにちゃんとお兄ちゃんだって思われたくて、確認でフライングした。エコーは、どうなんだ? あの事件で、本当は怖さが残ってるんじゃないか? だから頑張ってランニングしたり、魔法の練習して、自分を守りたいんじゃないか? お父さんに話してくれ、エコー」
真剣に慎重に、お父さんは尋ねた。
クロードお兄ちゃんのように、見逃してしまわないように、私に問う。
本当はトラウマとして残っていて、それで怯えているのかもしれない。
一見、前向きな変化は、恐怖による影響だと。
今のは、それの表れなのかもしれないと、考えてしまうのも無理ないだろう。
拉致事件に遭ったあとだもの。それ以外、考えられない。
まさか、前世の前世の記憶に魘されたなんて、わかるわけがないもの。
いい親とは、こういう人のことなのだろうか。
和気あいあいと抱き締め合っては笑い合うだけじゃない。
ちゃんと見つめて、それから声を聞こうとする。
子どもを、ちゃんと気にかけて、大人として見守って育てていく。
前世も、前世の前世も、いい親には恵まれなったから……。
新鮮なんだね……溺愛も、ちゃんとした親の言動も。
「お父さん」
顔を包むお父さんの左手に自分の手を添えて、すりすりと親指で撫でる。
「さっきのは、なんだが滅茶苦茶で、ぐちゃぐちゃだったんだけど……怖いんじゃなくてね、苦しかった夢だったの。叫びたかったけれど……叫べなくて……それで多分、苦しかったの」
「叫べなくて、苦しい夢……?」
「うん。ただの悪い夢だよ。そうでしょ? 起きれば、お父さんがいるし、お母さんもいるし、お兄ちゃんもいる。大丈夫だもん」
微笑んで、私は伸ばした手をお父さんの頭の後ろに伸ばして、そっと引き寄せて、腕で包み込んだ。
いい家族がいるのだから、大丈夫。
悪夢のような家族がいた、前世と、前世の前世とは、違う。
「大丈夫じゃなかったら、ちゃんと言うから。大丈夫。あの事件は、本当に大丈夫だよ。お父さんが捕まえてくれたんだもん」
「……ああ、そうだ。あんな悪者は、しっかりと捕まえた。大丈夫だ。エコー、約束だぞ? ちゃんと言ってくれよな」
「うん」
お父さんは私を抱き締めると、ポンポンと頭の後ろを掌で叩いた。
お父さんの温もりを感じて、目を閉じる。
……キャットリーナは、私だったのだな。そう思えた記憶だった。
どんな扱いをされようとも、家族という情に縛られてきて、苦しんだ。
前世なんて、まだマシに思える苦しみだったと思う。
何も遺したくない。そんな気持ちも、わかる。
民を苦しみ続けた傲慢な王の血筋なんて、遺したくなかった。自分で最後にしたかったんだ。
大事な味方になってくれたワンナ達には、せめて笑った姿だけを遺したかった。
でもね。前世の前世の私。キャットリーナ姫。
あなたは、多くを遺した。
そして、想像以上に、ワンナ達の中で大きな存在として、遺っているんだ。
神になってまで新たな生を与えるほど。
300年も、待ち続けるほど。
とんでもないほどに、キャットリーナは遺っている。
◆◆◆◇◇◇◆◆◆
300年前。
のちに【約束の広場】と呼ばれることになる噴水広場。
ワンナはいつもと変わらない賑やかな人々の声を遠くに聞きつつ、支えた彼女を見下ろす。
水飛沫を上げる噴水。
そこに落ちてしまう前に、受け止めたが、波打つ白金色の髪は落ちてしまい、水に浸かっている。
ゆっくりと引き寄せれば、水から上がった髪から、ポタポタと水滴が落ちた。
「悪い……お前達。来るまで、引き留められなくてさ」
振り返ることなく、ワンナはやってきた友人達に謝罪を向ける。
それに対して、彼らは何も言わなかった。
ただ、ワンナの腕の中で、もう息をしなくなったキャットリーナを見つめる。
眠っているような白い顔に、ポタポタと水滴が落ちた。
声を押し殺して泣くワンナの涙だ。
まるで、キャットリーナの流した涙のように、頬を伝う。
小さな龍の姿をしたガシュナナルゼは、空に向かって咆哮を上げた。
悲しみを吐き出したが、それでも足りなく、小さく小さく、泣き声を零しては俯く。
ワンナは震える腕で、冷たくなっていく身体を抱き締めた。
水を吸い込んだ髪とともに、ポタポタと水滴と涙が、噴水の水場に落ちていく。
「キャットの最後の願い通り……オレ達で火葬しよう」
キャットリーナの濡れた頬を、ヴァンファルガーは拭って、そう静かに促す。
「ああ……わかってる……」
放しがたくても、最後の願いを叶えてやらなくてはいけない。
大きな龍の姿に変わったガシュナナルゼの背に乗って、キャットリーナの遺体を火葬するための場所へ向かう。
「…………なぁ、アスタリークア」
「……なんだ?」
呼べば、精霊のアスタリークアは人の形となって、隣に現れた。
長い髪が、風で舞い上がる。
「オレ。神になろうと思うんだ」
真上を見上げて、ワンナは告げた。
抱えたキャットリーナの身体をしっかりと片腕で引き寄せて。
「キャットリーナに、もっと違う、自由に生きられる人生を与えられる神になる」
もう涙を流していない瞳は、遥か遠くを見つめていた。
2024/07/25




