違和感
きっとこれは、呪い。前を向いて生きることをあきらめてしまった私への、呪い。
少年漫画のような冒険も、ドラマのようなロマンチックな恋愛も、何度も夢見てあこがれた非日常がこの身に降りかかったというのに。何もせず、無意味に過ごした日常を、うんざりするほど何も変えることをしなかった日常を、親切にも破壊してくれたというのに。
日常を色付けるための努力を怠った私に慈悲をかけてくださった偉大なる存在がいたとして、私はきっとその御方の前にひざまずき、こう言うだろう。
「あさって来やがれ!!!」
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大学の講義が一限からある日の前日の夜早くにはもうすでに夢の世界に旅立っているような、後先考えて生きている人間の一人に私が数えられることはない。それはもう疑いようがないが、それでもいつかは早寝早起きを文字通りに実行できる強い人間になりたいと今日の今日まで願い続けて幾星霜、ついぞその日が来ることはなかった。部屋の隅にかけられた時計の針は二時を指している。そう、私は今絶賛夜更かし中なのだ。
寝なければいけないことはもちろんわかっている。だが、スーパーマーケットに並んだ半額シールが貼られた魚にも劣る私の腐った目は、スマホの画面に固定されてしまっている。
幾度となく繰り返された「今日」が大した意味もなく終わってしまうという恐怖を、不確定で何が起こるのかわからない「明日」が来てしまうという不安を、少しでも和らげるために味のしないネットに転がった情報を脳に詰め込んで、「今日」は無価値ではなくそしてまだ終わらないと思い込むという、あまりにも滑稽な行為に興じるためだ。
その目に映るたいして面白くもない流行りのネットミームに乾いた笑みをこぼしたり、天気予報を見て明日は朝から雨かと嘆いたり、あなたの夢かなえますなどとのたまう広告を消し損ねて変なサイトに飛ばされてイライラしたり、そんなこんなで時間をつぶすうちにようやく襲ってきてくれた睡魔を受け入れ、夢の世界へと堕ちてゆく。
昔、果たしてこんな寝方は大丈夫なのかと気になり調べたが、待っていたのは後悔だった。どうやら寝るというよりかは気絶に近く、体に負担をかける行為らしい。どうせやめないのだからこんなこと知らなければよかった。というか、調べる前から分かり切っていたことだった。
そんな自傷行為じみた睡眠から目覚めて迎えた水曜日の朝。時計が家を出るちょうどの時刻を指していることを理解した脳が急速に覚醒し、不快な汗をかきながらもともと食べる気もない朝食を抜いて最寄り駅に向かって急いで家を飛び出た。
坂などなく平坦で、信号すらない単純な一本道に並ぶ一軒家、アパート、コンビニ。何も変わり映えしない景色には、やはりいつもと同じく生気のない目をした人が行き交っていた。私がこうして走っているのも特段珍しいことではない。いつものことだ。
まだ走り出してから数十秒しかたってないというのにすでに悲鳴を上げ始めた体に鞭をうって駅を目指しながら、あと何回講義をサボってもいいのか数えれば、あと二回しか休めないらしいことが分かった。心の中の悪魔の、あと二回も休んでもいいでしょという無責任な誘惑の声に、そうやって何単位落としてきたんだと怒り気味に天使が返す。体は疲れているのに頭は無駄に元気らしい。
「間にあ、合った......!」
家から駅まで大した距離でもないしそこまで必死に走ったわけでもないが、やはり寝不足だからかかなり疲れてしまった。ただでさえ暑いというのにさんさんと照り付ける太陽が体力を奪っていく。だがしかしまぁ、おかげでいつも通りの時間の電車に乗れそうだ。いつもより人が多いことを妙に思いながらも、あまり気にせず電車の到着を待った。
だが、電車は来なかった。嫌な予感がして見上げた電光掲示板には、二日前にも見た運休の二文字が堂々映し出されていた。
よし、サボろう!
悪魔の圧勝だった。一昨日同じ理由で講義に行かなかったというのに、私の天使はかなり弱いらしい。
やはり無駄に元気な頭で、何かがうまくいかないとすべてがどうでもよくなってしまうこの性格はいつ直るのだろうか、いやこれはもはや私の性質なのだからどうしようもないかなどと言い訳がましいことを考えながら、さっき走ってきた道をゆっくりと歩きながら引き返した。
通常七分の道のりをたっぷり十二分もかけて帰宅した私は、荷物を床にほっぽりなげ冷蔵庫から缶ビールを取り出し、ベッドに座ってスマホのアニメサブスクアプリを開いた。
朝から飲みながらアニメを見る。こんな幸せなことがあるかと思いながら、楽しみにしていたアニメの最新話を探す。昨日の夜のうちに更新されているのだ。
だが、そうすることは、できなかった。
「あれ、配信日は水曜日のはずだよね?おかしいな。」
思わずつぶやいてしまいながら曜日を確認しようと、手に持っているスマホで確認する。そこに表示されていたのは「月」の一文字だった。
酔っているのかと先ほど取り出した缶ビールに目をやると、期待とは裏腹にその蓋は固く閉じられたままだった。
ということは、ただの勘違いか、それとも。
「夢......?」
稀に、やけにリアルな夢を見ることがある。現実との区別がつかないほど精巧なそれは、今までも私の記憶を混乱させてきた。
だから月曜日と火曜日を過ごした記憶は、本当の昨日である日曜日の夜に見た夢なのかもしれない。また夢か、と、そう思いながらも、頭の中の違和感をぬぐいきることはできなかった。
何はともあれ今日が月曜日がというなら、講義は一限しかないので、電車が止まっているなら今日は暇だ。運休により欠席しますと教授に連絡だけして、その後は漫画を読んだりゲームをしたりとぐーたらな一日を過ごした。
そうして迎えた夜。布団に横になって程なく、今朝のことを思い出していた。
遅刻しそうになって駅まで急いで走ったのに電車は運休。理由は人身事故だったっけ。ついてない。一昨日も同じ理由で電車が運休していたような気がする。
あれ?この「一昨日」の記憶は夢なんだし、もしかして正夢?
今朝にも感じた違和感が、心臓の音を大きくする。
やはり昨日の記憶は夢なんかじゃないのではないかと、そんな考えから抜け出せない。
だが私の、雀の涙ほどもないストレス耐性は、この疑問を良く考えることもせず正夢だったのだと結論付けた。
そんな不安をあおることを考えないようにするために、またいつもと同じようにネットの中に潜り込むようにして、眠りについた。
そして迎えた朝。目覚ましに起こされてしばらくボーっとした後、なんとなく安心したくて、火曜日であるはずの今日の日付を確認した。
さすがに動揺はしたが、あまり驚きはしなかった。そうなるかもしれないと、考えなかったわけではないから。
どうやら今日は、日曜日のようだ。
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