京香編 7-3
三階から階段を上り、五階に着いた。その間も京香は俺の手を握ったままだ。
「ここが私の部屋です」と言って、ある一室のドアのノブを回して俺を招き入れた。そこは想像していたとおり、ゴミ一つない整然とした部屋だった。先程京香からしていた柑橘系の香水の匂いが漂っている。
「へぇ、予想通りというか綺麗にしているんだなぁ」
あまりにも京香と一緒にいた時間が長かったためか、初めて女の子の部屋に入ったという感じがしなかった。
「誉めてくれて、ありがとうございます。ささ、涼様こちらのクッションに」
京香に背中を押されて、ベッドサイドにあるテーブルのクッションに座らされた。八畳ぐらいの広い部屋は、無駄な物を出来るだけ減らした、白を基調としたシンプルな部屋だった。フローリングもピカピカに磨き上げられ、本棚には料理、ファッションその他諸々の本が立てかけられている。
本棚から三教科の教科書とノート、筆記用具を取り出した京香は、斜め向かいのクッションに座った。
「私どうしても理数系が苦手で、二年生に上がるときも、涼様のクラスに行きたかったのですが、願い叶わず……。夏休み中にどうしても克服しておきたくて。三年生は絶対Aクラスに、と思いまして」と、言いながら、おそらく最も苦手にしているであろう物理の教科書を開く。
「物理より、基礎となる数学からやろうか」と俺は提案した。
「はい! そうですね」と、すぐに数学の教科書に置き換える。
そんな会話していると、ドアがノックされた。
「はい」と京香が応じると、ドアを開けたのは沙耶子さんだった。
「二人っきりのところ、ごめんなさいね」と言いながら、さっき渡した大黒堂の最中と、麦茶らしきものを載せたトレーを持ってきた。透明なグラスに入った麦茶には氷が入っていて、カランと涼しい音が鳴る。
「お母様! 休憩にはまだ早いです!」と京香は恥ずかしいのか、突然入ってきた母親を非難した。
「私、これから町内会の会合に出なくてはいけないので、帰りは買い物も含めて四時過ぎになるわ。涼君もゆっくりしていってね。あ、晩御飯食べていくでしょ」
俺は一瞬迷ったが、「じゃあご馳走になります」と頭を下げた。母さんには後でメールしておかなくては。
「それじゃあ、二人とも頑張ってね」と、なにやら含み笑いを見せて部屋から出ていった。
「ところで、お祖父さんと仁刃さんは? 久しぶりに挨拶したいんだけど」
京香は顔を赤らめながら真剣な眼差しで、「今日、明日と福島まで剣道の指南に行ってます」と答えた。「そう、夕方まで二人っきりです」
「あ、ああ……そう……」と、まるで鎬家の陥穽に嵌った事を確信したような声を出してしまった。