京香編 7-1
大上さんが肩に抱える通り魔は、中学生の京香を襲った男だということが管理事務所について分かった。それは京香の母親からかかってきた電話で知らされた。
二~三台のパトカーと救急車のサイレンが近づいてくる。
男の刑は、傷害と殺人未遂で済むだろうが、仮出所中だろうし、おそらく実刑を食らうだろう。
「京香、大丈夫か?」
「はい。涼様を狙ったこの男は極刑に値しますが、真剣で止めを刺そうとした私たちに手を出すことは無いでしょう。それよりも涼様こそ、本当に頬の傷は大丈夫ですか?」
「ああ、大丈夫。かすり傷だよ」
にじむ血を、京香は自分の白いハンカチで拭き続けてくれたおかげで、血はすぐに止まった。
夏休みに入り地方検察庁で事情聴取を受けることになったが、警察に顔が広い、高倉家、真原家、鎬家の息女という事もあって、短時間で済んだ。
俺たち五人は解放された後、両親は家の車で地方検察庁を後にした。俺に気を使ったのだろう。
「もう日が落ちます。色々ありましたが、帰りましょうか」香澄がそう言うと、大上さんはベントレーの扉を開けた。
「ちょっと待って」俺は意を決して、言葉を発した。「俺は、香澄の車に乗る資格はない」
珍しく香澄は口を開けたまま、俺の言葉を待っていた。三人がいる場所で告白するのが筋だと思った。
「ここではっきりしたいんだ」
栞のつばを飲み込む音が聞こえた。
「ごめん京香、待たせた。俺と、付き合ってほしい」
香澄と栞は一瞬で固まった。
その言葉に京香は、「はい、お買い物でしょうか?」と筋違いの言葉を返した。
「いや、そう意味じゃなくて、その、男女の、そう恋人というか、好きと言う意味で……」
一瞬何を言われたのか判然としない様子だった京香だったが、その意味を知るにつれ、俺に向って走り、胸に飛び込んできた。そして俺の背中に手を回し、震えながら泣き出した。
それを見た栞は、涙を流しながらも気丈に俺たちに背を向け、一人で最寄り駅のある方向に向って去る。
香澄は両手で顔を覆い、その場にしゃがみ込んで肩を震わせ泣き出した。
誰かが幸せになることは、犠牲を伴うこともあるのだと強く感じた。俺の決断が遅かったことで香澄や栞を悲しませることになってしまったが、俺は京香を選んだ。あえて二人の前でいう事で三人の諍いを止める意味でもあった。
香澄は両手で顔を覆ってまま、悲哀の表情を滲ませた大上さんによって車に乗せられ、微かなエンジン音をたてながら検察庁を去った。
ようやく静けさが戻った検察庁の前で、京香は顔を上げ、滔々と流れる涙を隠すことなく俺に言った。
「涼様、私は以前から……、一年前からお慕いしておりました」
「ああ、分かっていた。ごめんな。その想いに答えられなくて」
京香は胸の中で静かに首を振る。「私が一方的に押しかけて、お世話を焼いていただけです。涼様に好かれようと必死になっていました」
「知っている。いつか諦めてくれるだろうと思っていたけど……」
「諦めようがありません!」そう言って、京香は踵を上げ突然キスをしてきた。ゲームの中でやったキスとは違った、温もりのあるキスだった。
俺も目を瞑り、そのキスを受け入れた。お互い夏の温度にさらされ、口の中が乾燥した、粘り気のあるキスだった。やがて京香は唇を離した。太陽の熱に中てられたような真っ赤な顔で、俺を見つめた。
俺は照れ隠しに、「ファーストキスが検察庁の前だなんて、ムードが無かったかな」と、からかうように言った。
「申し訳……、いえ、すいません」
「うん、もうかしこまった言い方はいいよ」
「はい」
「帰る足が無くなったけど、歩いて近くの駅まで行こう」
俺は栞と同じ電車に乗らないように気を配ってゆっくり歩くと、京香は隣に続き俺の袖を摘まんだ。その手を俺は握り、京香は頬を染めながらも手を握り返してきた。