第七話 シーン四【いたずら好きな姉と家族全員との夢】
第七話 シーン四【いたずら好きな姉と家族全員との夢】
レアンは夢の続きを見ていた。
生まれてずっと一緒だった姉との思い出の光景。
その日はレアンは姉が昔に着ていたワンピースを着せられて、町に遊びに来ていた。
念入りにくせっ毛をブラッシングされて髪飾りと化粧で彩れば、どこから見ても愛らしい少女になれる。
「ドルちゃん、行きますよ~♪」
「……待ってくださいエル姉さま。この格好はすごく恥ずかしいです……」
姉エルネスティーヌから手を引かれて、チェリーセの町に遊びに来ていた。
その時姉は十八歳、レアンは十歳で、お供もつけずにふたりで内緒で訪れる。
レアンがエルネスティーヌに女の子の格好をさせられるのは、今に限ったことではない。
姉は昔から妹が欲しいと思っていたらしく、北の大聖堂で預かっていた知人の姉妹を可愛がっていたという話も聞いた。
そしてレアンが生まれて男だとわかり残念がっていた反面、髪の毛や瞳の色など濃い血の繋がりを感じて溺愛したという。
やがて両親に内緒でレアンに女の子の格好をさせては、色んな所に連れて行かれた。
もちろんレアンはいつも恥ずかしがっていたが、エルネスティーヌはそんな弟をニコニコと見ているのだ。
「大丈夫ですよ~……だって私の可愛いドルちゃんですもの~♪」
だが姉はレアンを上から下まで見て、うっとりするような表情を一瞬して町中に入る。
名前の由来は本名のレアンドルの最後から取ったのだろう。
「可愛くないですよぉ……姉さま……だから……ぁぅ」
レアンは抗議の声をあげようとしたが、町の人に姉の存在がすぐに気づかれ声をかけられた。
「こんにちは、エルさん。今日は『お忍び』で散歩ですかな?」
「あらまぁ!こんにちは、エルさんじゃないですか!今日はいつか見た可愛い子を連れて!」
商人である中年の男女に声をかけられる。
「……こんにちは」
レアンは消え入りそうな声で挨拶をして、姉の背後に隠れた。
「そうなんです~♪領主様には内緒ですよ~。この子、可愛いでしょう~?」
エルに前に押し出されると、女の子レアンは顔を真っ赤にしてうつむいてしまう。
恥ずかしくて顔なんて合わせられない。
「そうですね、きっとエルさんみたいな立派なお嬢様になれますよ」
「そうだね!きっと誰もが振り返る美人さんになるよ!」
チェリーセの一般市民が姉に対しては気さくに話しかけてくるのは、姉自身が特別扱いしないでとお願いしているからだ。
もちろん領主であり八英雄でもある両親には敬意を持って接するが、姉がお忍びで来ると普通の少女として接している。
「おう、エルさん!今ちょうどパンが焼けたところだよ!持っていきな!」
「あら、エルさん。美味しそうなパンだね?飲み物いるだろう?グレープジュースあげるよ」
「エルさん、こんにちは。隣のお嬢さんにはこのアクセサリが似合うんじゃないかな?つけてみて?」
「あー、エルさん!レアン様が欲しがっていた本が届いたよ。預けてもいいかい?」
そしてチェリーセの人たちは気さくで親切な人が多い上に、姉は町中の人に慕われていた。
レアンも両手に食べ物と飲み物を持ち、ネックレスをつけてもらい本を紙袋に入れてもらう。
ベンチにでも座って休憩しようとなった時、エルは何かを思い出したように声を上げた。
「あ~、そういえばちょっと用事があるのを忘れてました~。ドルちゃん、ここでお留守番できますか~?」
「え?えっと、でもこの格好だけど……はい、わかりました」
唐突にいわれてレアンは戸惑ったが、エルはニッコリすると「これお願いね~」と手荷物を渡されて何処かに去っていった。
「はむ……はむ……。姉さま、いつ帰ってくるのかな」
出来たてのパンを頂き、ぶどうジュースを少しずつ飲みながら往来の人々を見ていた。
神竜戦争が終わりリーセ公国がフェルナ王国とひとつになり、およそ二〇年。
リーセ領は平和で穏やかな場所だからこそ、お忍びと称してレアンたちが単独で町を訪れることができる。
最初の三〇分はじっとして待っていた。
前を通り過ぎる人がレアンをチラチラと見るが、特に変な視線を向けられたりしていない。
そのうち知らない男たちがやってきて、少し離れたところでこんな話をはじめた。
「今の領主がジョルジュ様になって、うちら庶民との距離は近くなったな」
「そうだな。リーセは元々貴族の格式を重んじる土地柄だから、考えられないよな。ジョルジュ様がフェルナ王国の属領になると決めた時は、古い貴族たちと相当揉めたらしい」
「まぁそうりゃそうさ。ひとつの国だった土地を、属領として差し出すっていうんだから仕方ないかな」
「それでもさ、今となってはよかったと思う。神竜戦争での傷を乗り越えるのは、国としての団結が必要だったと今なら思うよ」
「だな」
レアンはそんな彼らの話を聞きながら、父のしたことは間違っていなかったとあらためて思う。
父からはその当時の話は聞かされてないが、他の周りの人たちから聞かされて知っていたのだ。
男たちが去りレアンが帰らぬ姉の帰りを待っていると、今度は他国から来たらしいラフな格好の男女が近づいてきた。
「こんにちは、お嬢ちゃん今日はひとりかい?」
「こんにちは!またこれはお人形さんみたいに可愛らしい子だねぇ」
声をかけられてレアンはどうにか「こ、こんにちは。人の帰りを待ってます」とだけ返すと、ワンピースの裾を所在なげに握る。
レアンは人見知りなところがあり、なかなか初対面の人とうまく話すことができないのだ。
まして女の子の格好をしているのだから、余計に不安ばかりが先立つ。
「そっかー……俺たちは南方から来たんだけどさ、このあたりだとどこが歴史的な建物とかがあるんだか教えてくれないかい?」
男に聞かれてレアンはとっさに考えると、こう答えた。
「……そうですね。この近くだと、東の伯爵家の城は五〇〇年以上の長い歴史があります。あとはイウリファス様をまつる北の大聖堂は、もう一三〇〇年前に建ち増築されて大きくなったと聞いています」
するとふたりは驚いて、女性がレアンの手を取り引いてくる。
「なんて詳しいの!そうだ、お願いだからお城まで案内してくれない?ね?」
レアンからすると露出の激しいお姉さんに迫られて、そちらを見ないようにして首を横に振る。
「あの、ここからお城まで馬車でも一日かかりますよ。それにボク……私も姉と一緒に帰らないといけないので」
「そこを何とかさー。土地勘なくて困っている俺たちを助けると思ってさ」
「ねえ、ご飯とかおごってあげるからさ!いいでしょ⁉」
押しの強い開放的な男女に絡まれて困っていると、不意に男女の間に人影が割って入った。
「あら~♪ねぇ、うちの可愛いドルちゃんに何か御用ですか~?」
「うわっ⁉人の気配がしなかったぞ!」
「きゃっ⁉誰⁉」
人影はエルネスティーヌで、普段は見せない機敏な動きでレアンを抱き寄せる。
「エル姉さま!」
思わずすがりついてしまうと、頭を撫でてくれた。
「ああ、すまない。この子がえらくリーセのことを詳しいから、ガイドを頼めないかなって」
「本当に連れていくつもりはなかったんだから!冗談のつもりだったの!」
男女は謝ると、姉はいつも笑顔を絶やさない表情を消してこう告げる。
「この子に何かあったら絶対許しませんからね?……そこの通路を右に曲がって、左手に観光ガイドの店があります。……そこで頼んでみてください♪」
最後の方だけ笑顔に戻ってふたりに告げると、男女は『ありがとうございました!』と怯えた顔で頭を下げて足早に去っていった。
「エル姉さま……」
「あら♪ごめんね。もう怖いお姉ちゃんはいないから♪大丈夫だからね~♪」
不安げに見上げたレアンを、エルネスティーヌは抱きしめてキスをしてくる。
そのまま唇を強く押し当ててきて、吐息がまじりそうなほど濃密にキスを繰り返すと頭がボーッとしてきてしまう。
レアンにはそれが姉弟のする普通のキスではないのはわかっていたが、姉の肉厚な唇には逆らえなくて自分の唇すら溶けてしまいそうな熱さだった。
「……っ……姉さま……!」
「……っ♪はぁっ……♪ふふ、レアンったらお顔真っ赤よ♪」
やがてふたりが離れて姉を見ると、熱を持った潤んだ瞳で見つめられる。
「……っ!姉さま……!」
レアンが恥ずかしくなり顔を両手で隠していると、エルは優しく抱きしめてきた。
「本当は用事はすぐに終わっちゃって、もっと早く帰れたの。それで遠くからレアンを見ていたら、モジモジしていて可愛すぎて♪だからこっそり様子を見ていたの♪ごめんね」
エルは基本的に母と同じように優しいが、時々意地悪なことをして困らせてくる。
そして謝罪の代わりに、姉弟以上のキスや抱擁で埋め合わせされる。
そんな風に振り回されるレアンは、姉の魅力に逆らえないでいたのだ。
「う、うん……。大丈夫だよ、エル姉さま」
「ありがとう♪じゃあ、帰りましょうか♪ねぇ、今日はこっそり一緒にお風呂に入りましょうか♪」
「う、うん……」
そしてふたりは館に帰り、使用人たちの協力の下一緒にお風呂に入った。
「いたたた……打ち身のあとが痛いです」
「あら~。どこ?見せてみて?」
剣術の稽古での軽いけがは日常茶飯事で、そのたびに母と姉には心配される。
いつの間にか出来ていた腫れた箇所を、母の神の奇跡で癒やしてもらうチャンスを逃していたのだ。
「首の下というか鎖骨のところです」
「あら……痛そうね。どれ~……ちゅっ♪」
「あう!やめてください姉さま。それは恥ずかしいです……」
「私は恥ずかしくないわ~♪だって、私はレアンのおむつまで変えていたんだから。ちゅうっ♪」
「あうう……!」
「ふふふ♪可愛いレアン♪……大好き♪」
姉はレアンの恥ずかしがる様子を楽しんでいるようで、肩を合わせて隣合わせで湯船につかった。
やがて夕食の席になり、親子四人でテーブルを囲んだ。
「……それで、エルとレアンは昼間どこへ行っていたんだ?」
「少し町まで視察ですわ~♪領主の子どもたるもの、領民の様子は把握しておかないといけませんので」
父ジョルジュが昼間館にいなかったふたりに尋ねると、姉エルネスティーヌが堂々と答える。
すると母オリアーナがいつも絶やさないニコニコ顔で、小さく拍手する。
「あら、偉いわね~♪エル、レアン」
「いえ……そんなことはないです。もう十歳ですので……」
レアンはしどろもどろになりながら、理由にならない言い訳をする。
父はそんなふたりを見て短く「ふむ……そうか」と口にすると、そのまま食事を続けた。
レアンとエルが視線を合わせると小さく頷いて、ふたりの行動はお見通しだが深くは追求しないということだと目で合図した。
「そうそう♪今度ね、フルーツ採りに招待されてるの。家族みんなで行きましょう♪」
そんな中、母オリアーナはのんびりとした口調で提案してくる。
するとジョルジュは手にしていたフォークを止めて、テーブルに置く。
「うまく時間を作ろう。エルとレアンもいいな?」
「はい~♪まぁ、楽しみです~♪」
「は、はい!わかりました!」
エルとレアンも返事をして、後日家族全員でフルーツ狩りへ出かけることになった。
領主として多忙な父と、聖女として北の大聖堂にいることが多い母との水入らずの時間はとても楽しかった。
四人そろって出かけることは年に数回しかなく、穏やかな時間が過ごしたことを思い出す。
このまま戦乱も起きず、平和で静かに暮らせると思ってたあの頃。
「……あ……朝」
レアンは目覚めてあたりを見渡すと、そこが野営地だと気づく。
随分ぐっすり寝た気がして顔を触ると、頬に濡れた跡があり驚く。
確か昨日は『記憶のカケラ』のアイテムに願って、家族の思い出を見せてもらったようだ。
「あ、あれ?……どうして……こんな」
しかし、心は穏やかだが何故か涙が溢れて止まらない。
レアンは確かに幸せな夢を見ていたはずなのにと思っていると、サツキがやってきてタオルを差し出した。
「レアン……いい夢ば見れたと?」
「はい。グスッ……でもどうしてかわからないですけど……涙が」
レアンはサツキからタオルをもらい顔に押し当てるが、止まらない。
「レアン……」
するとサツキが優しく抱きしめてきて、背中をトントンと叩いた。
まるで赤ちゃんをあやすような膝立ちのサツキの優しさに、余計に涙があとから出てくるのだ。
「サツキさん……記憶のカケラで家族全員の夢を見れました。すごくはっきりと、いつもの夢よりもっとはっきりしていて。ボク……幸せだったんです。グスッ……だから嬉しいんです。それなのに……せっかくアイテムまで出してもらったのに、涙が止まらなくて。ごめんなさい」
「ううん。レアンの故郷までもうすぐやけんね。それまでは、サツキたちが家族の代わりばなってやるけん」
「サツキ……さん……っ!」
レアンはようやく気づいた。
過去の幸せな記憶が大きいほど、それが今ここにないと寂しさも増すことに。
だからレアンはもう過去の幸せな時間にすがるのはやめようと誓った。
必ず故郷に帰り、また幸せな時間を取り戻すため。
だからどうか我が神イウリファス様。
父さま、母さま、姉さま。
今を乗り越える力を、どうかお貸しください。
(続)