第六話 シーン十一【心の奥に閉じ込めたもの】
第六話 シーン十一【心の奥に閉じ込めたもの】
八英雄のエルフ、マルウィアルの家を出た一行。
これからレアンの故郷チェリーセの町に帰るための準備をしようと、市場へと向かう。
レアンは商会の名前を聞いてから気分が悪くなったが、みんな心配してくれるので気丈に振る舞い輪に混ざる。
逆に好きな人たちと触れ合うことで、必死に思い出さないようにしていたのかもしれない。
「みなさんはどんな物が欲しいですか?王都だから何でもありそうですね」
レアンが笑顔で聞くと、みんなも気を使ってくれているのかいつも通りに答えてくれる。
「サツキは服が欲しい!今の私服も傷んできてるし、王都のデザインを見てみたい!」
「……私は食べ物、です。おいしいものたくさんあるらしいから」
「私はマジックポーションとか薬草とか、下着とか服が見たいわね♪」
サツキとハヅキ、キョーコの順に聞いたので他の人たちを見る。
「……俺は衣服や砥石というところか」
「ウチはちょっと大きめの道着は欲しいが、あと食い物だな!」
「わしは肉汁したたるうまい物と、可愛い女かのう。くふ♡」
ミヤコとシュウメイとミンクゥまで答えた所で、竜巫女がキョーコにこめかみの辺りをぐりぐりされ「痛いのじゃ!」と叫ぶ。
「あら、みんなバラバラだね。んー……じゃあ、エリアごとに買えるものがある程度決まっているから、用事がない人は待機場所で目印代わりに待つというのはどう?」
サツキの提案に一同頷くと、まず現在いる東区画の服屋さんを探すことになった。
「ほらハヅキ、食べ物に夢中になってないであなたも来なさい。今から北回りで行く予定だから、全員防寒着を揃えないといけないわ」
「……ああ、待って。愛しのチーズケーキ……!」
キョーコに引きずられて、氷の精霊が冷やす役をしている店の前から離れていくハヅキ。
レアンの故郷周辺までくれば冬はそれほど厳しくないが、ふたつある北と西ルートとも雪が強い地帯を一度通らないといけない。
だから冬の装備である毛皮のコートや、厚手の毛布などは必須なのだ。
「ラパン村の近くを通るんだっけ?あそこめちゃ寒いよ!……みんな元気してるといいな」
サツキが話題を出した名前に覚えがあり、確か姉妹が幼少期の何年か暮らしていた場所だと思い出す。
「リーセ領近くまでくれば風が変わり暖かくなるので、そこまで頑張らないとですね」
レアンが相槌を打つと、シュウメイが思い出したように聞いてくる。
「そういえばお前は何が欲しいのだ?さっきいわなかっただろう?」
「あ、そうですね」
慌てて財布の中身を確かめる。
すると、冒険の報酬でキョーコやギルドにもらった銀貨が五〇枚と、ヤーコフからの旅費としてもらった金貨一〇枚があった。
もちろんリーナにあげた指輪や細かい買い物に使っているが、ほとんど使っていない。
合わせて一〇万と五〇〇〇エフの金額は、リーセにたどり着いたときに精算する金額として足りるだろうか。
「……レアンくん。みんなもだけど、必要最低限のものはヤーコフさんからの報酬からまかなうわ。私服はともかく、防寒関係とか保存食とかの支払いは任せて♪」
レアンが悩んでいたのを見ていたキョーコが気を使ってくれる。
「キョーコさん、ありがとうございます」
頭を下げてついていこうとした所で、ふと僧侶の帽子を忘れてきたことに気づく。
フードを被って脇に抱えていたせいもあるが、もう三〇分ほど経っているのに何をボーッとしていたのか。
「すみません、帽子をマルさんのおうちに忘れていました。すぐに戻りますから、買い物が終わったらこの時計の所で待っていてくださいね」
「……忘れ物するなんて珍しいね。うん、わかった!」
サツキが手で合図したのを確認して、レアンは元の道を戻る。
観光地として整然とした地区なので、迷うことなくエルフの家へたどり着けそうだ。
「よし、もうちょっとかな……!」
やがて一〇分ほど歩き家が見えてきた頃に、フードを被ったローブ姿の二人組とすれ違う。
「……おや、もしやあなたは?」
その時、向こうが足を止めてこちらを振り返る。
「……はい?」
背の高い男から声をかけられて、レアンは足を止める。
なぜか嫌な予感がした。
レアンは振り返らず、王宮からの追手という可能性も想定し逃げるか考える。
「……あの、あなたとはどこかでお会いしませんでしたか?」
だが、そのうち向こうから近づいてきて前に回り込まれた。
レアンは下を向いて、フードを深くかぶり目を合わせないようにする。
「いえ、そんなことはないかと。別の方ではないですか?」
レアンの耳に入る声の響きに、急に寒気がして震えが止まらなくなる。
「……失礼」
すると勝手に男がレアンの被っていたフードを外して、男自身も被り物を脱いで素顔を見せる。
「あ……ああ……!」
その顔を見てレアンの目が見開かれた。
男は驚いたあと、優しさと狂気のこもった瞳の中にレアンの心を拘束する。
「……その目は私の可愛い人形がする目です。……お久しぶりです。あなたは私の人形の中でもとくにお気に入りの子でした。毎日楽しかったですね……レアン」
男がやわらかくも底冷えのする声で、耳元にささやく。
今から約一年前、故郷から宮廷鑑定財団によって連れ出され最初に奴隷として仕えた男。
「リグルス……様」
「今でも様をつけてもらえるとは嬉しいです!毎日可愛がった甲斐がありましたね!」
レアンが心の鍵をかけて、みずから開けないようにしていた悪夢の記憶がよみがえってくる。
わずか三ヶ月だったが、純真無垢だったレアンに人間の負の感情を刻み込んだ男。
それがアウレー商会のリグルスだった。
「あ……あ……」
レアンの手の震えが全身に移って、自分を抱いてそれを抑えようとする。
だが、次第に大きくなるばかりで収まる気配がない。
「覚えてますか?ナイフで毎日毎日あなたの体に愛のしるしをつけていったことを。あなたはいつも決まっていいましたね?『……リグルス様、どうかお許しください』と。あなたは私の愛に泣きながら応えてくれたのです」
「ああ……!ああ……!」
「そうそう、よく火であぶったナイフを当てた時のあなたはとても喜んでくれました。肉の焦げる芳しい香りがふたりを虜にして。あなたは鎖に繋がれながらも、それさえも幸せの証と全身で跳ねて喜びを表現しましたね!そして下からもあふれんばかりの喜びを表現してくれたんですよ!」
「あああ……!あああ……!」
リグルスは少年の苦しむ様を愛情と感じて悦ぶ、歪んだ心の持ち主だった。
嫌がれば嫌がるほど行為はエスカレートして、どの少年も数ヶ月も保たずに壊れていく。
レアンは信じる神イウリファスにすがり、必死に心の平穏を保とうとしたのだ。
「……今は別のご主人様に可愛がられているようですね。私の愛が深すぎたのか、一〇〇日目に自分の世界に閉じこもってしまい、つらいお別れをさせてしまいましたね」
「ああああ……!ああああ……!」
やがて神への祈りさえもできなくなり、ついにプツンと糸が切れるように心を閉ざした。
自分自身を守るために。
「……ご主人様、そんなやつ置いて行こう。僕にも同じことしていいから」
そこでリグルスの隣にいた小さな人影がフードを取ると、レアンと見た目が同い年くらいなエルフの少年が、不満そうに口を尖らせる。
「カイ……!ええ!あなたにも差し上げましょう、私の愛を!……レアン、あなたがもし望むならいつでも戻ってきていいのですよ」
カイという少年に微笑んだリグルスは、最後にレアンの耳元にまとわりつくような声でささやいた。
「……愛しいレアン」
「あああああ……‼あああああ……‼」
リグルスたちが去った後、レアンは座り込んで壊れたように声をあげる。
清廉潔白な両親の元で育ち、姉からも屋敷の人たちからも、もちろん父と母からもたくさんの愛情を注がれた。
だからこそたった一〇〇日だが永遠のような一〇〇日間は、レアンの体と心に消えない深い傷を残したのだ。
「おい、君!しっかりしろ!」
そのうち遠巻きに見ていた通行人に心配されて肩をゆすられるが、おぞましい記憶が押し寄せてきてすべてを拒絶する。
上空から舞い落ちはじめた雪が、レアンの体を白く染めていく。
心の奥に閉じ込めた記憶は、呪いとなってレアンの心を凍らせるのだった。
(続)