非常に政治的でハイレベルな交渉
「絶ッッッッッッッッッッ対に嫌だ」
「おや」
「ほらやっぱり言った通りっス」
「だよねー、断るって思ったー……」
その日の朝。閑散とした市場で中古の布地を見繕ってきた俺は、アルテミスの三人に出会った。
ナスターシャ、ライナ、ウルリカ。正直ライナとウルリカだけなら全然構わなかったんだが、ナスターシャが真っ先に声をかけて来た時の嫌な予感は正しかったようだ。
「随分と嫌がるな」
「今の話聞いて笑顔で頷く奴がいるかよ。何するかわからん貴族の苦行に付き合えるか」
家出した貴族? 謀略じみた依頼?
地雷要素の塊じゃねーか。人工火薬の発明は俺が死んだ後にしてもらえねえか?
「私もモングレル先輩の気持ちはすげー良くわかるっス。あんま気が進まないスもん」
「まー、私はちょっとブリジットさんに同情する気持ちもあるけどね」
「いや俺も個人的にはわからなくはないぜ? 女性貴族の警護なんて剣を振るでもないお飾りみたいなもんだろうしな、そら退屈だろうよ。でも間違いなく恵まれた職ではあるんだ。俺も親の立場ならさっさと栄転してくれと思っちゃうね。だが俺はその騒動に巻き込まれたくないわけよ」
何のために俺がブロンズに留まってると思ってんだ。こういう面倒な依頼が来て欲しくないからだぞ。巻き込むなや。
「ふむ。任務そのものは一日で、報酬は弾むが? アルテミス側でも色を付けても構わない」
「金はまぁ魅力的だけどな。だからって貴族の御令嬢と一日一緒なんてやってられるかよ。何かあれば責任を取らされるんだろうが」
そもそも金自体必要無いんだけどな俺は。必要になれば稼ぐ手段はある。やらないのは金を持っているイメージがつくと犯罪に巻き込まれるからだ。
この任務は俺にとってデメリットばかりでメリットが皆無なんだよ。
まぁ、あからさまに金なんていらないアピールをするのも不自然だから、守銭奴っぽい振る舞いをすることはあるけどな。こういう場面じゃ完全拒否しかねえ。
「ちなみに、具体的な報酬金額はこれだな」
「……」
何かが書かれた小さな端切れを見せられたので、とりあえず見るだけは見ておく。
……ふ、ふふふーん。ま、まぁ結構もらえるやん……。
「モングレルよ。お前は何を畏れている?」
「そりゃあ貴族だろ。何されるかわかったもんじゃないんだ。怖いに決まってる。お前たちアルテミスみたいに、貴族とかお偉いさんとの付き合いに慣れてるわけじゃねーんだよ、こっちは」
「過剰な畏れだな。サムセリア男爵家は小さな家だ。世の中を動かせるほど大した権力もない。ギルドに多少色を付けて依頼を出すのがせいぜいの、貧乏な家だ」
閑散とした市場の中央に建つ大きな石像。その土台に背を預け、ナスターシャは豊満な胸を反らせた。でかい。
「……モングレル先輩、どこ見てんスか」
「胸」
「視線も意思も隠す気がないんだ……」
「最低っス」
そりゃまあお前たちは虚無だからな。男はこういうのに目が行っちゃうんだよ、しょうがないだろ。
見られるのが嫌ならローブだけじゃなくて厚着してくれ。こんな季節なんだから。
「私の胸が気になるならば、触っても構わんぞ? 護衛依頼を受けてもらうがな」
「ナスターシャさん!? ちょ、ちょっとそれはさすがに」
「……」
「モングレル先輩なにめっちゃ考え込んでんスか!」
「痛っ、蹴るな蹴るな」
仕方ないだろ男なんだから。ウルリカもわかってくれるだろ?
いやダメだな、わかってくれなさそうな目で俺のこと見てるわ。
「サムセリア男爵家はただひとえに、娘の出奔を阻止したいだけだ。そのために今回、何の獲物もいない冬の森を延々と歩き回るだけで良い。ブリジットを退屈させればいいのだから、無理に楽しませる必要はない。仮にその必要が生まれたとしても、ブリジットの相手は私達が行う。モングレル、お前はただ前衛役として居ればそれで構わん」
「……なんでわざわざ俺を雇う? そっちにも近接役はいるだろ」
「ゴリリアーナは優秀だが、彼女一人だけだ。一年前にはもう少しいたのだが……今回は警護対象が増えるという意味でも、前衛は厚くしておきたい。お前の懸念の通り、失敗はできないのだからな」
冬の森は魔物が少ない。だが、時折現れる魔物は酷く気性が荒く、手強かったりする。
近接役に負担が掛かることもありえるだろう。そういう意味でも、ナスターシャの判断は間違っていない、か。
……でもこの女、他にも何か思惑があるような気がしてならない。
そこらの貴族のように欲に目が眩んでいる雰囲気はないが、それとは別に厄介そうなオーラを感じるんだ。
主に目つきが怖いし。
んー……さすがに俺も貴族のことはアルテミスほど詳しくないからな。
サムセリア男爵家。力が無いって言うなら、そうなんだろうが。
本当かぁ? 裏取りもできないから全くわからん。
……例えば前衛をゴリリアーナ一人で受け持つ場合、貴族を守りながらアルテミスの後衛を守らなければならないわけだが、するとどうしてもアルテミスの後衛が危なくなりがちだよな……ライナとウルリカもそうだ。いや、こんな仕事をしてる以上、危ないのはみんな同じだから考える必要はないんだけどさ。うーむ。
「……そもそも、俺の人種を明かしたくない相手だ。サングレール人の血が入ってるのが丸わかりだろ。バレたらまずい」
「隠せば良い。その程度の白髪ならば、頭に包帯を巻いて兜でも被れば隠し通せるだろう。なんならお前はギルドからの依頼を受けず、正体を隠して合流してもいい。金はこちらで払おう」
「グレーなことはしたくねーな……他にもいるぜ? 俺以外にも腕の立つ近接役はよ」
「モングレル先輩、ほんとに来たくないんスね……」
やりたくないですよ、ええ。心の底からな。
だからそんな目で見るのはやめなさい。
「私が見るに、モングレル。お前の剣技はギルドでも有数の技量であると思っている」
「どうもありがとう、とは言っておくけどな……」
「それに知らぬ仲でもない。ライナとも付き合いが長いのだろう。我々を助けると思って、どうだ。一日仕事くらい、やってみせないか」
うーん、悩ましい。
サムセリア男爵家ってのがしょぼいとこなら正直大丈夫かなって思いも芽生えてきた。
それに俺が貴族を嫌いすぎても、金払いの良い仕事を頑として拒否し続けるのも不自然ではあるしな……。
……逆にこんなタイミングだからこそ、堂々と臨時収入を抱え込むチャンスか?
これまで踏み切れなかった便利アイテムの製作に着手できるなら……いやいや、落ち着け。前向きになってるぞ俺。
冷静に判断しろ。メリットとデメリットを比べるんじゃない。デメリットの総量を注視するんだ。俺は今までそうやって生きてきたじゃないか。
「ふむ……思っていた以上に頑なだな。あと私の権限で行える譲歩と言えば、せいぜい任務終了後にアルテミスのクランハウスに招待して、温かい風呂を用意してやる程度のものだが……」
「えっ、風呂?」
「? そうだが」
「目つき変わったっス」
「反応すごかったね」
「まさか俺が一回の風呂で頷くと思っちゃいないよな?」
「……私は火魔法が苦手だ。沸かすのに苦労する。二回がせいぜいといったところか」
「二回だぁ……? それでお願いします。是非とも任務にお供させてください」
俺はビシッと頭を下げて、今回の件を快諾した。
「いや、確かにお風呂は良いもんスけど……そんなにガラッと態度変えちゃうほどスか……」
「冬の風呂のためなら仕方ねえんだ……」
大衆風呂はアホみたいに高いくせにくっそ汚いんだ。まるで別物なんだ……。
さらに高い金出して入れる綺麗な風呂屋は女の子が一緒に入ってくるせいで落ち着かねえんだ……。
「……釈然としないが、受け入れてくれたことには感謝しよう。よろしく頼むぞ」
「任せてくれナスターシャ。あ、でも貴族の相手は全面的に頼んだわ」
「……よくわかんない人だなぁ、モングレルさん」
「そういう人なんスよ、ウルリカ先輩」
こうして俺は明日、風呂に入る権利を得た。やったぜ。
……冷静な判断? デメリット? なんだっけそれ。頭の痒みの話?




