クランハウスのお得意様
氷室の拡張工事を再開するので、俺はまた“アルテミス”のクランハウスへと赴いていた。
土砂の運び出しに使える頑丈なカラビナ付きの袋、ジェリークラーケンの透明な軟骨を使った簡単な防塵ゴーグル、そして終わった後の風呂を見越した香料入り石鹸等アメニティの数々。準備は万端だぜ。
「あっ、モングレルさんですか。どうもどうも」
「え? ぁあどうも」
で、クランハウスに来てみたら見知らぬ女が出迎えてくれた。
歳は三十くらいだろうか。紺色のショートカットで、こう言っちゃなんだがどこにでもいそうな雰囲気を持つ人だった。
……いや、見知らぬってほどではないかもしれない。昔何度かギルドで見た覚えがあるような気はする。
「何年か前に“アルテミス”で活動してた?」
なんかランプの魔人みたいな聞き方になってしまった。
「あ、よくわかりましたね? そうです、前は現役で魔法使いやってました。あ、私イゾッタっていいます。……あれ? 昔何かの任務で一緒だったり……?」
「イゾッタさんですか、どもども。いやいや、こっちがなんかどっかで見覚えがあるなーって思っただけで」
「あ、なるほど。あ、ここで話すのもあれなんでどうぞ中入ってください」
「ういっす」
見慣れない人に出迎えられはしたが、なるほど思い返してみれば確かにこのイゾッタという人は“アルテミス”のメンバーだったかもしれない。
モブっぽい雰囲気のせいでいまいち印象には残っていないが、ギルドで見かけることはあった。……と思う。
「モングレル先輩、おっスおっス」
「やっほー、モングレルさん」
「ようライナ、ウルリカ。工事の続きをしに来たぜ」
“アルテミス”は昨日貴族街で色々仕事をしてきたらしいから、今日は休みのようだ。リビングには他のメンバー達が集まって山盛りの豆を鞘から外していたり、鳥の羽をカットして矢羽を作っていたりと軽作業に勤しんでいるようだった。いつ見ても真面目なパーティーだ。
「この人はイゾッタ先輩っス。私が入る前は“アルテミス”の水魔法使いとして活躍してた人っス。最近は、狩猟はやめちゃったらしいんスけど……でもたまにクランハウスに来て色々やってくれる神的に良い人っスよ」
「あ、はい、あはは……家庭持った今じゃ、水を貯める仕事だけ受けて狩猟からは離れてます……“アルテミス”にはお世話になったので、時々遊びに来る感じで……」
「なるほどなぁ。けど家庭持った後も“アルテミス”に力貸してくれるなんて、ライナ達からしてみたらありがたい存在だよな」
「っス」
「ほんとほんと! 私も入った当初は色々良くしてもらったしさー」
「あ、あはは、照れるー……」
“アルテミス”のOGの事情もちらっと聞いたところで、話ばっかしているのもなんなので早速キッチンから氷室へと潜る。
すると地下には既にナスターシャとレオの二人が待っていた。なんならレオは既に作業を始めている。てかなんかいつもより明るいな? 魔導松明の調子が良いのか?
「ああ、モングレルさん。来たんだね、おはよう」
「よう、おはようさん。おっ? ちょっとスッキリしたな。土砂の運び出しやってくれたのか」
「うん、ついさっきまで、地下の作業と一緒にね。ここからの地下作業はモングレルさんに任せるよ」
「モングレル。魔導松明は新しい物を借り受けたので、これを使うと良い。時間が前の物よりも長く、輝度も高い物だ。非常に高価な物なので、壊さないように」
「お、おう」
ナスターシャが指でトントン小突くそれは、一昨日の物よりも明らかに作りが豪奢な魔導松明だった。
借りたってどっからだよってツッコミを入れたくなるが、なんとなく深入りすべきじゃない気がするからやめておくぜ……使えるものはありがたく使うけどさ。
「じゃ、後は灯りが続く限りはやっておくよ。つってもそろそろ終わりが見えてるけどな」
「うむ。もう少しすれば図面通りの広さにはなるだろう。それ以降は専門の工事業者を入れるので問題ない。掘削さえ先に終わらせておけば、以降の工事も長引くことはないだろう」
“アルテミス”としては本当に長々と余所者に居てほしくないらしい。
まぁ女所帯だし気持ちはわかるけどな。
そうして始まった、おそらく最後になるであろう氷室掘削作業。
今回はゴーグルを付けながらの作業になったが、かなり快適だった。
ジェリークラーケンの軟骨、つまりイカの中に詰まっているプラスチックみたいな透明な組織を使った手製の防護ゴーグルなわけだが、こいつがなかなか良い仕事をしてくれている。
バチバチ飛んでくる破片を防いでくれるのはやっぱり良い。物だらけの部屋から探して引っ張り出してくるだけの価値はあった。
……が、透明度が微妙なのと、ゴーグルの中が蒸れて曇るのがちょっと難点だな。グラスタイプの方が良かったかもしれない。良い材料があったら作ってみるか。
「先輩先輩モングレル先輩、私に何か手伝えることないっスか」
「おお? ライナか? 降りてきたのかよ、危ないぞ」
階段の方に振り向いてみると、そこには既に作業する気満々のライナが立っていた。しかもキャミソールじみた薄着である。そりゃ動いてればその格好でも寒くはないだろうが……。
「土砂を袋に詰めたり、こっちの滑車のロープに付ける作業なら大丈夫スよね? そのくらいなら私にもできるっスよ。ウルリカ先輩もレオ先輩もそのくらいなら大丈夫って言ってたっス」
「まぁお前たちのクランハウスだし、そっちが良いなら手伝って貰えるのは助かるが……わかった。じゃあやってもらえるか?」
「っス!」
そういうわけでライナが参戦してくれることになった。俺としてもなんだかんだで話し相手が居ながらの作業は気が紛れるので助かるわ。
それにライナだったら小柄だし、この狭めの氷室の中でも邪魔になることはないだろう。
「モングレル先輩、最近何か買ったりしたんスか」
「おー? まぁいつも通り色々買ってるぜ俺は。雑貨もそうだが、鍋の中に入れるものとかで色々注文付けて作ってもらったりな」
「鍋の中っスか?」
「そうそう。鍋の中の具が浮いてこないようにするための蓋とか、蒸し料理で使うやつなんかだな」
「蒸し料理……あ、またあれ食べたいっスね、蒸し三日月」
「蒸し……あーあれな。そうだな、また今度作ってみっか。そん時はライナも呼ぶぜ」
「わぁい」
餃子も良いな。餃子の話してたら餃子食いたくなってきたわ。
試作はしたものの結局屋台飯になることのなかった蒸し餃子。今度は自分用で色々な味で食ってみたいもんだ。あのダッチオーブンで本当に蒸し料理ができるのかも試してみたいしな。
「レオ先輩、これ運んでもらって良っスか?」
「うん、まかせて。滑車お願い」
「っスー」
「ライナ、その滑車重いだろ。大丈夫か?」
「ばりキツいっスこれ……でもギリギリいけるっス……!」
「無理はすんなよ? ほんと……」
話しながらでもキビキビ働くライナだが、土砂の運び出しは掘るよりも重労働だ。袋に詰め込む土砂を少なめにすることでどうにかできているようだが、それでもライナは俺よりもずっと汗にまみれていた。
「工事って大変なんスねぇ……」
「そりゃ大変だぜ。まぁあれだよな、こういう慣れない作業をやってると普段使わない筋肉に負荷がかかるから、辛いよな」
「良い運動にはなるっスけどね……」
ちらりとライナの方を見ると、キャミソールが汗で透けそうでちょっといかんことになっていた。
「おいライナ、先に上行って風呂入ってこいよ」
「……え、な、なんか臭いっスか?」
「匂いは別に良い匂いだよ。そうじゃなくて、汗だくだろ。俺と一緒に入るわけにはいかないんだから、先入ってこいってことだよ」
「……そっスか。じゃあ、はい。お先に……」
ライナがちょっと口をモゴモゴさせながら階段を登っていった。
……良い匂いとかちょっと変態みたいな発言になったな今の。事案が過ぎる。いや、この国じゃ事案でもなんでもないか。
「最後の追い込みだ……ちゃっちゃと済ませるか」
そこからは無心で作業を続け、その間は高級魔導松明の灯りは少しも陰ることはなく順調に進んでいった。
全ての掘削作業は事故なく無事に終わったのだった。
「いやー、この風呂も今日が最後か……悲しくなるね」
仕事上がりには“アルテミス”の風呂で極楽気分だ。
しかしこの極楽も今日までだと思うと名残惜しさがデカいな。かといって、わざと風呂の回数を増やすためにダラダラ仕事するわけにもいかないしよ。
せっかくだから今日はいつもより少し長めに入らせてもらうことにしよう。
「あー、エールうめぇ……氷室かぁ……良いな……」
ナスターシャから貰った冷えたエールを飲みつつ、ぼんやりと発明品について考える。
氷室……冷蔵庫……断熱……スターリングエンジン……色々なキーワードが頭を掠めるが、なんとなくピンとくるものはない。
この国のそこそこしっかりした家は断熱構造もわりとマシだからな。けどここらへんにちょっと手を入れるだけで燃料の消費がかなり抑えられると考えると、深掘りするのもアリか……?
けどそこらへんの素材に関して俺は全然詳しくないんだよな……。
「うおっと、危ねぇ。風呂で寝落ちするところだった。そろそろ上がっておくか」
うっかり湯船でウトウトするところだった。人様の風呂桶で溺死とか冗談にもならねえよ。もう上がっておこう。
「地下の広さは図面通りいったみたいね。お疲れ様、モングレル。早めに終わって何よりだわ」
「うむ。これから工事を入れれば、雪の季節には氷室も間に合うだろう」
「おー、こっちも風呂とか飲み物とか色々世話になったしな。いい仕事だったぜ」
風呂上がりの俺はリビングで皆と話している。
普段だったらこういうよその集まりに腰を据えるってことはないんだが、今日が俺が請けた工事の終わりってこともあって、風呂上がりのお茶まで貰って話しているところだ。
「やっぱりモングレルさん仕事早いよねー。前にお風呂場の工事した時なんて時間掛かりすぎてたし、ちょっと怖かったしさー」
「そうね。少人数で仕事が早いのは正直助かるわ。……また似たようなことがあれば、モングレルに頼もうかしらね」
「報酬が貰えるなら喜んでやってやるよ。風呂がつくなら尚更な」
「本当にお風呂好きっスね……」
「綺麗な風呂限定だけどな。レゴールの公衆浴場はきったねぇし、蒸し風呂は俺の宿からだとちょっと遠いし混んでるしショボいしなぁ……」
温泉が無いってのがこの国の最大の欠点だと思うわ本当に。
どっかの山っぽい場所に湧いてねえのかなぁ温泉……。
「あ、お風呂といえばですけど……レゴールに新しい公衆浴場が出来るみたいですよ」
「え、そうなんスかイゾッタ先輩」
「マジかよ」
「あ、はい。西門近くらしいですけど……レゴールも人が増えてるからなんですかね」
「西門かぁ……」
ちと離れてはいるが、綺麗な風呂なら許容できるぞ……いや、綺麗なのは施設がどうこうじゃないな。利用者の問題だ。つまり……どうせきったねぇな! やめておくか!
「……モングレル。前に持ってきてた香り付きの石鹸があるなら何度かうちのお風呂を貸してあげても良いわよ」
「え、本気で言ってるのか?」
「……一応は」
シーナがちょっとバツの悪そうな顔で提案してきた。
そんなにあの石鹸が気に入ってたのか。ほうほう……石鹸で釣れてしめしめって思いが半分、シーナくらいの奴が執着するレベルの品をポンと人前に出した反省が半分ってところだな。
「今までに何度か仕事などを通してお前の人柄を見たが、時々の利用であれば問題あるまい。シーナだけでなく、私や他の者も同じ判断だ。“アルテミス”としては入団しても構わないと思っているのだからな。そのくらいは懐を緩くするということだ」
「……そりゃどうも。ま、石鹸で良いなら今度またどこかで見つけて持ってきてやるよ」
「ああ、頼むぞ」
「シーナ団長もナスターシャさんも、あの石鹸好きだよねー。ま、私も好きだけどさ。爽やかな香りがして良いよねー」
「スースーするっス」
石鹸作りか。……正直手間な作業ではあるんだが、そいつが入浴チケットになるなら仕方ない。今度まとめて作ってみるとしよう。
今度からは分量をしっかりメモっておかないとな……。
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