漁業ギルドと釣りの権利
昨日の夕食はなかなか良いものだった。
少しお高めの宿に近い所にある店で、鉄鍋に入った貝と小さなカニと魚のアラがなかなか良い旨みを出していた。あれはアクアパッツァというのか、それともブイヤベースというのか。二つの違いが俺にはわからないが、多分似たようなものだろう。
調味液の味が絶妙に好みじゃないのだけが残念だったが、やっぱり魚介類の出汁は素晴らしい。薄切りにしたパンを浸して食うとなかなか美味かった。
宿はいつも通り、女は女で、男は男で部屋分けして眠った。綺麗な宿だったんで、観光中はここを拠点にしても良いかもしれない。が、海からは少し離れているのが難点だな。途中で泊まる場所を変えるかもしれないので、とりあえず一日だけ泊まることにした。
翌朝、俺たちは宿の食堂に集まってボサボサのパンを食いながら会議を開いた。
議題は今日の予定である。仕切るのは当然、“アルテミス”団長のシーナだ。
「さて。これでひとまず“アルテミス”全体としての仕事は一区切りね。あと残った書簡の配送は私とナスターシャでやっておくから、他の皆はしばらく自由行動で良いわ。モングレルもね」
「ああ。まぁ、せっかくだし長旅から帰る時もくっついてるだろうけどな」
「あら? アーケルシアが気に入ったなら私達よりも長く滞在してくれてもいいのよ?」
「長旅で水を豊富に使えないのがマジでしんどいから嫌だ。俺は意地でもお前達にくっついて帰るぜ」
「ソロでギルドマンやってる人とは思えないっスね……ナスターシャ先輩の魔法に依存しまくってるじゃないスか……」
元日本人はな……豊富な生活用水に弱いんだ。
忘れかけていた元日本人の衛生観が疼いちまうんだ……。
「全く……そこまで言うなら正式に加入すればいいのに。それで? 私達は今日アーケルシア侯爵の城を訪ねるつもりだけど。他のみんなはどうするのかしら」
「俺は海釣りだな。その前にアーケルシアじゃ漁業ギルドに申請出さなきゃいけないからそっち寄ってからになるけど」
日本だと釣りであれば大抵の場所で結構自由にできたもんだが、この世界だと場所によってはマジで厳しい。特に港で届け出なしの釣りなんかやると、下手すると漁業ギルドの連中にボコられたりするのだとか。アガシ村でクラカスが言ってたことだけどな。まぁ余所者に好き勝手に漁をされちゃたまらないってのはその通りだ。
「あ、私もモングレル先輩についていって釣りやってみたいっス」
「私もー。あ、でも市場も回ろうかなって思ってる」
「……えっと、じゃあ僕も。せっかくだし見てみたいな、釣り」
「……わ、私も良いですか」
そしてなんと全員釣りについてくるつもりらしい。おいおい、竿足りねえぞ。
「む……何よ、みんなして一緒に楽しそうじゃない……」
「なんだよシーナ。お前もやりたいなら貸してやるぞ」
「……私は、今日は良いわよ。忙しいもの。ナスターシャと店を巡るから」
「なんだ。シーナは私と一緒にいるのは退屈なのか」
「そんなこと言ってないでしょ」
「フッ」
ひとまず初日は二手に分かれ、残りの任務をこなす組と釣りして遊ぶ組とに分かれることになったらしい。
しょうがねえ。大人数だがアーケルシアなら竿も売ってるかもしれないし、そういう店を調べながら釣れそうなとこ探してみることにすっか。
まぁ俺の特製リール竿より高性能なものなんて無いだろうけどなぁ!
「じゃあくれぐれもライナ達を危ない目に遭わさないように、よろしく頼んだわね。ゴリリアーナとレオも」
「は、はい!」
「うん、任せてシーナ団長。何があっても絶対に皆を守ってみせるよ」
イケメンじゃねえか……俺もなんか気の利いたセリフを言っておくか。
「今日の昼飯は俺に任せろ!」
「……あっそう」
なんだよその淡白な返しは! 腹が減っては戦はできねぇだろうが!
俺とシーナの間に溝が出来た一幕ではあったが、貴重な観光の時間を無駄にはできないってことで、すぐに行動を開始した。
昨日よりは多少減った荷物を背負い、“アルテミス”の若者連中と一緒にアーケルシアの街を歩く。
「だいたい海とか川で漁業やってる地域ってのはな、漁業権に滅茶苦茶うるさいんだ。入会地ってレベルじゃねーぞ。他人の私有地くらいに思っておいた方が良い」
「はえー、そうなんスか」
「まぁ勝手によその山に入って狩りをされても困るもんねー」
「じゃあ僕らみたいな余所者は海に近づけない……というわけではないんだよね?」
「ああ。さすがに地元の漁業ギルドに所属してる連中と同じことができるってわけじゃないが、一部の漁業権は金で買えるらしい。もちろん、数日限定のやつだけどな」
これはクラカスから聞いた話だ。いわば釣り代ってやつだな。ここで魚取らせてやるから金払えってやつだ。
しかし貝はまた色々と面倒臭いらしい。手続きが高かったり、そもそも許されてなかったり。
「ここが漁業ギルドだな。お、なんかそれっぽい道具も売ってんじゃん」
港に程近い、巨大な倉庫の近くに漁業ギルドの建物はあった。
普通のギルドとは違い、内装は事務所とか管理小屋に近いだろうか。酒場のようなものは一切なく、漁師達の溜まり場にもならないような雰囲気である。
「いらっしゃい。なんか用かい?」
受付には一人の男性が座りお茶を飲んでいた。
客を前にしてもお茶をズズズと飲むこのふてぶてしい接客スタイルは別に珍しいものではない。
「ああ、しばらくアーケルシアに滞在して、魚釣りをやろうと思ってましてね。とりあえず三日分の許可が欲しいんですけど」
「釣り、三日分ね。貝拾い、突き漁、投網とやり方によって料金が変わるよ。もし色々やるんであれば、一番高い漁法の券がおすすめだけど」
「あー……いや、どれもやらないかな? ほら、これですよ。竿に糸つけて魚を釣るやり方で」
なるほど、漁のやり方で変わるわけか。網とかめっちゃ高そうだな。
「弓とかで射るのはどうなんスかね?」
「剣で獲るのは駄目なのかな」
「水中は見えないからなー、自信ないな……」
「ラ、ライナさんの貫通射ならどうにか……狙えそうではありますね……」
受付のおっさんはしばらく考え込んだ後、“ちょっと待ってな”と言って事務所の奥へ引っ込んで行った。
誰かと話しているらしい。
「なあ、釣り糸を使った釣りってのは券いると思うか? ギルドマンの人らが釣りしたいってんで申請にきたんだけどよ」
「は? 釣り糸かー、わざわざそんな獲り方で申請しに来たのか。真面目な奴もいたもんだねぇ。銛とか網じゃなけりゃ別にいらんだろ、ガキ共も勝手にやってるしな。あ、ただ船上は別だぞ」
「わかってる。無しでいいな」
おや? どうやら話が思わぬ方向に流れてきたな。
受付のおっさんが戻ってきた。
「釣竿と糸を使った釣りは券が必要ないそうだ」
「マジっすか」
「ただ、陸地から船の邪魔にならんようにやることが前提だぞ。漁師の邪魔になるようなことをすれば揉めるからな。あと、船の上から釣りをするのはそれとは別に券が必要になる。そっちの漁業権は売ってるが、どうするね?」
「んー、いや。船釣りも興味はあるけどまずは陸からやってみたいんで、それはまだ良いです。すいませんね、手間かけさせちゃって」
「なに、構わないよ。あんたらのように真面目に許可を取ってくる連中なら大歓迎さ。俺らに隠れて密漁をやらかす不届き者に見習わせたいもんだね」
「うわぁ、そんな連中がいるんですか」
「そりゃいるさ、下手すりゃ毎日な。海岸近くは夜も衛兵や自警団が見回りしてるから、あんたらはくれぐれもやってくれるなよ?」
「ははは、やりませんよ。趣味でやってることですから。……あっちに並んでる商品、見させてもらっても?」
「おう、見てってくれ。後ろの子たちもやるのかい?」
「っス。海の釣りは初めてっス」
「おお、そうかいそうかい。楽しんでってな」
漁業ギルドの中には釣り竿の他、小さめの網や銛なんかも売っていた。
武器屋では置いてない道具だからなかなか新鮮だ。
釣り糸もあるにはあるのだが、スカイフォレストスパイダーのものとは違うらしい。もうちょい太めの、はっきりと視認できる薄い色のついた糸だ。頑丈そうではあるんだが、ちょっと魚に警戒されそうだなぁ。
「あそこにある網は使っても良いんスか?」
「ははは。あのくらいの小さな網は許可なんていらんよ。投網とか罠とかには厳しいけどな」
こうして見ると釣り関係の道具は少ないように見える。なんていうか、釣りは子供の遊びの一つみたいな……本格的にやるような漁法ではないような扱いをされている感じだ。
それよりは銛だとか、網の方が道具が充実している。……あ、木製の足ヒレあった。やっぱこういう場所には似たようなのあるよな。
俺たちはしばらく物色した後、タモとなる長柄の網とチャチな釣り竿、それと興味本位で糸を一巻き分買って漁業ギルドを出た。
思いがけず漁業権買わなくてもいいって話になったもんだから、ついつい奮発しちまったぜ。
「権利買わなくても良かったんスねぇ」
「なー。クラカスめ、あいつそこまで詳しくなかったな」
「じゃあ釣り竿でお魚を釣る分にはお金かからないってことじゃん! 良いねーそれ!」
ウルリカよ……男なら釣りで黒字を出そうなどと思うな。
黒字を出すのは漁師や海人さんだけでいい。釣り人なら赤字になれ……!
「けどさ、モングレルさん。釣りって餌が必要なんだよね? そういうのはどうするつもりなのかな」
「ふふふ……レオ、釣りってのはなにも針に餌を吊るすもんばかりじゃないんだぜ。こういう擬似餌を泳がせれば、そんなものは必要ないのさ」
「……小魚の人形か。こんなので食いつくのかな?」
「それが案外食いつくんスよ」
「み、湖では何匹か、当たりましたもんね……」
俺たちはしばらく港を歩き、落ち着いて釣りが出来そうなスポットを探して回った。
船が停泊している所は人が多いし、邪魔になりそうだ。そういうのは避けよう。
時々小さな子供達が桟橋あたりで竿もなく糸だけ垂らして釣りをやってたりするが、この街の釣りはあのくらいのもんなんだろうか。……まぁ堤防近くの根魚を狙うのであれば充分なんだろうな。
「あー、向こう側砂浜になってるー!」
「わぁ、すごいっス! ちょ、ちょっと行ってみないっスか!」
「ほーん、砂浜か。いってらっしゃい」
海岸沿いに歩いていくと、岩場が途切れて砂浜が見えてくる。海水浴場ってほど長くはないが、天然のものにしてはなかなかいい感じの浜辺だ。波も穏やかだし、海水浴を初体験するには丁度いい場所かもしれないな。
ライナとウルリカは子供らしく砂浜に向かって走り出し、レオはそれを見かねて保護者っぽいタイミングのズレ方で追いかけ始めた。
残されたのは少しソワソワしているゴリリアーナさんだ。彼女も砂浜に興味があるのかもしれない。
「さぁて、俺はここらの岩場でやってみるかな。ゴリリアーナさんはどうだい、一緒に釣るか? 向こうで遊んでるライナ達のとこ行ってても良いが」
「……た、楽しそうですけど。私は釣り、やってみたいです……あの、前にやったきりなので……教えてもらえますか……?」
「おお、良いぞ良いぞ。せっかくだし一緒にリールまきまきするかー。ほら、今回はちゃんとリール三つあるからな、ゴリリアーナさんもルアー釣りできるぞ」
荷物を下ろし、流木で良い感じに下を整え、ラグマットを敷き、釣りの陣地を構築。これでよし。あとはもう竿を振っていくだけよ。久々の海釣りだ。楽しんでいこう。
「きゃー足が沈むー!」
「うわぁあああ! 持ってかれるっス!?」
「二人とも気をつけなよー!」
海水浴場ではしゃぐガキの騒ぐ声をBGMに、時々ゴリリアーナさんにやり方を教えながら、俺は昼前の釣りを楽しんだのだった。
尚、釣れなかったもよう。