手向けの五輪挿し
「あら、モングレルさんはまた長期野営ですか」
「おうよ。冬場の長期野営も好きだけどな。やっぱ夏の方が寝る時に気を遣わなくても良いから楽なんだよ」
俺はこの日、ギルドに長期の野営を申請することにした。
結構こうやって前触れ無く長期キャンプをやってるので、ミレーヌさんの反応も“またやるんだなー”くらいのもんである。
「魔物除けさえ無尽蔵にあればバロアの森に住めるんだがなぁ」
「うふふ。バロアの森の開拓は東から順調に進められていますよ。モングレルさんもそちらのお手伝いなどをしたらいかがですか?」
「いやぁ……そっちは時々でいいよ。適当に天幕張って野営するのが好きなんだよ、俺は」
バロアの森の東側入口付近は、順調に開拓が進められている。
森の中に道を通し、馬車で行ける距離を延長することで資材の搬入を楽にしようという開拓だ。別に農地を拡張しようっていう工事ではない。木材メインだな。
その事業の副産物として、俺らギルドマンが森の奥に行きやすくなった。日帰りでバロアの森を行き来するのが今後更に楽になっていくことだろう。
「はい、7日間ですね。受理しました。くれぐれも、お気をつけて」
「よっしゃ、ありがとうミレーヌさん。お土産は何が良い?」
「では、モングレルさんの元気な姿をよろしくお願い致しますね」
はーい了解しました。元気に戻ってきまーす。
レゴール支部の剛腕受付嬢の守りは季節問わず鉄壁だぜ……。
一旦宿屋に戻り、準備していた荷物を背負って出発する。
東門からシャルル街道を通ってバロアの森に入り……そのまま奥へは行かず、東進する。
鬱蒼と茂る森の中、いつもはある程度抑えている身体強化をフルで稼働させ、足早に目的地を目指す。
今回の長期野営……という名の旅行の目的地は、シュトルーベだ。
元シュトルーベ開拓村。21年前に滅んだ俺の故郷である。
だから背中の荷物は野営セットばかりではない。
そういう物も当然あるが、腹持ちの良い行動食、大げさな医薬品など、普段はあまり引っ張り出さないようなものまで入っている。
何より満載した荷物のほとんどは装備品だ。こいつらを担いでいくのがまた一手間なんだが、まぁ仕方あるまい。色々と試してみて、このセットが一番しっくりくるからな……。
目的にたどり着くまでの道中は二泊だけする。これは正直言って、この世界の馬車がトチ狂った速度で移動しているようなものである。
これが堂々と街道を使った上、ギフトを全く包み隠さず発動させて全力で移動しても良いとなればもっと短縮できるだろう。やろうとは思わんけど。
途中でエルミート男爵領の森に入り、ラトレイユ連峰を掠めるように移動する。
足場が不安定だが仕方ない。人の全く入っていない道を選ぼうとすると自然とこうなるんだ。
「グアアッ!」
そしてそんな場所を通ろうものなら、普段は見かけないような魔物と遭遇することだってある。
威嚇するため二本足で立ち上がったのは、巨大な黒い熊だった。
全長は三メートル近くはあるだろう。腹に特徴的な黄色い三日月型の模様が入っている。
クレセントグリズリー。ラトレイユ連峰に生息している、出会ったら普通にヤバい魔物シリーズのうちの一体だ。
山道で走るのもなかなか速いので、俺がこのままこいつを無視して背中を見せながら走ってもワンチャン追いつかれる可能性がある。
それに雄叫びを上げられながら追跡されても目立つだろうし、野営中に追いつかれて寝込みを襲われるのはもっと面倒だ。
「運のない奴だな、お前も」
「グアアアッ……!?」
だからここで仕留める。
それに……ちょうど良かった。
「今日の晩飯、まだ用意してなかったんだよ」
真正面から一気に距離を詰め、クレセントグリズリーの頑強な頭蓋骨にバスタードソードを振り下ろす。
熊系魔物の部位でも最も防御力の高い頭蓋骨。実際、クレセントグリズリーは俺の一撃を前に回避する素振りも見せなかった。
「ガッ……」
だが、強大な魔力を帯びた俺の剣はその頭蓋骨を半ばまで断ち切ってみせた。
脳への深刻な一撃だ。クレセントグリズリーは一瞬で身体の力を失い、地面に倒れ込んでしまった。
ほい、討伐完了。……よし、バスタードソードに欠けは無し。たまに気を抜くとどうでもいい事で欠けたり傷ついたりするからな。
「……ちょうど良い。そろそろ野営にするか」
クレセントグリズリーの討伐証明でもあり、薬としても活用されている胆嚢を採取し、あとは比較的美味い足肉をちょっと拝借し、残りは捨て置くことにした。
この日の夜は熊肉パーティーである。……まぁ、熊肉だしね。あんまり美味いもんでもない。
翌日は再び山道を走ってシュトルーベを目指す。
北を指さない方位磁石は相変わらずよくわからん方向を指しているが、磁石そのものにつけられた目印の傷がなんとなくの方向を示してくれる。自信がなくなったら街道沿いに近づいて確認すれば良いだけだ。それだけで迷うことはないだろう。
手作りの携帯食はカロリー高めで作ったのでまぁまぁイケるんだが、味と単純な行動食としてのカロリーを考えるなら自作するよりもケンさんの店でお菓子を買ったほうが賢いかもしれねえな……。
お菓子を食事って聞くとピンと来ない人もいるかもしれないが、そういう人は食習慣を見直したほうが良いかもしれんぞ。パンがなければケーキで代用できる。お菓子とはそういう代物なのだ。
「……熊の胆嚢、取ったはいいけど乾き切るまで面倒見るのがめんどいな……」
この日は特に襲ってくる魔物も居らず、山道に咲いていた月見草を採取するだけに終わった。
夜はガンガンにお香を炊きつつ、外に吊るしておいた胆嚢を眺めながら眠りにつく。
熊胆は薬としてなかなか高価なので、是非とも無事に持って帰りたいもんだな。
正直、帰るまでの間に乾燥してくれる気は全くしないが……宿のどこに吊るしておこうか……。
「ふー……ただいま」
そうしてほぼ予定通りの旅程を経て、俺はシュトルーベ開拓村へと到着した。
まあ、今や廃墟の残り滓みたいなもんが残っているだけで、ほとんどが自然に飲まれかけている場所でしかないんだが……崩れた壁面や屋根、そして地形なんかはやっぱり、懐かしい故郷の名残を感じさせてくれる。
……この辺りには特に伏兵はいないだろう。だいたいもっとサングレール寄りの場所に出るからな。村そのものには、全く人が踏み入った気配はない。俺のスカウト技術なんて一ミリも信用できないが、多分な。
村に拠点を作ろうとした年は盛大にお礼をしてやってるから、向こうさんも学んではいるだろう。
「おーい、今年も来たぞー」
石造りの簡素な墓は健在だった。獣や人に荒らされた様子もない。植物に侵食されて、パっと見た感じ墓かどうかわからないのはいつものことである。
俺は相変わらずいつもここらで咲き乱れているタンポポを一輪だけ摘んで、ポケットの中の月見草と一緒に両親の墓前へと捧げた。
サングレールのタンポポとハルペリアの月見草。父さんと母さんはこの花を気に入っていた。
どっちも食用にできたり、薬にできたりで無駄がないってのも理由ではあったんだろう。開拓民らしいワイルドな感性だ。
「いやー……今年はちょっと早めに来たけど、まぁ良いよな。ちょうど多めの時間を取るのに都合が良くてさ。少しだけ前倒しして来てやったんだよ」
墓に聞こえるくらいの声で独り言をこぼしつつ、墓の周りの草を適当に刈っていく。
バスタードソードの刃先でザックザック。適当なのは許してくれ。丁寧にやってもどうせ来年またボーボーになっちまうんだから。
「ああそうだ、去年言ってたアレ、持ってきたんだぜ。わざわざ容器ごと持ってきてやったんだから感謝しろよ、ほら」
俺は荷物から毛皮と布でぐるぐる巻きにした瓶を取り出し、墓に見せびらかした。
少しだけ飲み残しておいたウイスキーである。
「最近はたまーに店で見かけるようになったんだけどなー、やっぱまだ流通が安定してねえんだよこれ。コーンウイスキーも悪くはねえんだけど、やっぱ俺としてはこの琥珀色が一番だね」
小さな二枚の皿を墓前に置き、それぞれにウイスキーを注ぐ。
うん、焦がした樽の芳醇な香りが漂ってくる。
「すげえよな、レゴール伯爵は。あんな素人の図面だけでよくこれを……あ、今年レゴール伯爵が結婚するんだぜ。って、俺は伯爵の顔も知らねえんだけどな。……けどまぁ、それでも多分良い貴族だとは思うからさ。……今回は悪い目に合わないかもしれないし、俺は信じてみるよ。とりあえず、一度はな」
墓の前に座り込み、水を飲む。ついでに携帯食も齧り、人心地つく。
「……31だよ、俺。そろそろ健康診断受けたいんだけどなぁ……けどまぁ、表面上はピンピンしてるよ。どこも痛くはないし、調子も悪くない」
開拓村は腰を悪くする人が多かった。
普通の農家以上に、地面の重いものをなんとかする仕事が多かったからな。それと比べたら俺たちギルドマンは気楽なもんだよ。
「結婚はまぁ……まだ勘弁してくれ。よし、この話はおしまいな」
二人が生きてたらこの話題が永遠に続いていただろうが、生者の権限でスキップさせてもらいます。良いだろそれくらい。
「あ、そういや夏に別の旅行には出かける予定だぜ。また例の後輩たちと一緒にな……しかも行き先が海だぜ。良いだろ、海。釣りしてくるんだぜ。……今のところ、それを一番楽しみにしてる」
……うん。一人で話してるとすぐに話題カードが切れちまうな。
「去年はトワイス平野で小競り合いみたいな戦争もあったからな。正直今年も……どうなるかはわかんねえけど。去年はこっちの方は侵攻がなかったみたいだし、良かったよ」
立ち上がって、荷物を開く。そこに詰まっているのは装備品の数々。普段は任務で持ち出さないようなものばかりだ。
それを一つずつ入念にチェックしながら装着していき、全身を重装備で固める。
「今年もあいつらが入ってこれないようにするからな。安心して眠っててくれよな」
夏が始まる。鬱陶しい虫が跳び回る季節だ。
虫は何度でも何度でも湧いてくる。僅かな水たまりから。小さな腐食から。
だったら俺は何度でもそのムシケラ共を駆除してやろう。湧き出る度に踏み潰してやろう。
なに、お盆のついで参りってやつだ。俺だって一年ぶりの墓参りの時くらい、墓石を綺麗にしてやるくらいの信心は持っているってだけの話だよ。
「“蝕”」
ギフトを発動し、深い息を吐く。
……さて、見回りを始めようか。
見つかった奴は、諦めろ。今日に限っては、俺は加減をするつもりはない。
今まで毎年、俺はそうやって過ごしてきた。
だから今年も同じようにやっていく。
結果から言うと、今年も建設途中の砦がいくつかあって、そのうちの二つを破壊して終わった。
一つは粗末な石造りで、もうひとつはそれから少し離れた崖上に隠すように建てられていた半木造の小さな詰め所のようなもの。こいつは探し当てるまでにちょっと時間が掛かった。
「う、嘘だ」
「そんな、シュトルーベの亡霊が、どうしてッ……!?」
「逃げろ! 散開だ! 裏口を使えッ……!」
「殺せ! こいつを仕留めれば俺らは英雄だぁッ!」
堂々と入り口から入っていけば、そこには山賊じみた風貌の兵が五人ほど待機していたが、連中の大半は砦と運命を共にすることになった。
『“金屎吐”』
この砦は土台の石積みから壊れ、木造部分も燃えてあえなく崩れ去った。
「許し……」
運良く裏口から逃げ果たせた一人も、百メートルほど離れた場所で俺に追いつかれて事切れた。
生き残りはいない。少なくとも今日この日、俺の感知できる限りでは。これもまあ、例年通りのことだ。
『ここはお前たちの土地じゃない』
それから更にあら捜しするようにシュトルーベの周辺を歩き回ったが、他に目ぼしい施設は見つからなかった。
去年よりはやや軍の気配が濃かったが、それでも規模は小さいままだ。
このままさっさとシュトルーベを諦めてくれよ。
俺は絶対に諦めねぇんだからな。