婚約破棄された没落貴族の私が、元婚約者にざまぁみろと言って、王国滅亡の危機を逃れ、ごくありふれた幸せを手に入れるまで。
「イルミナ様、あなたとの婚約を解消したい」
冷たい眼差しが私を捉える。
言い放ったのは婚約者のクロイス様。彼はそれ以上喋らず、返答を急かすような空気を醸し出してくる。
結果、私はこう言うしかなかった。
「……承知、しました」
聞き終えるや、クロイス様はさっと席を立った。
金色の髪をかき分け、一言。
「では、これで失礼します」
もう私を見ようともしない。
本当に、冷徹の貴公子と呼ばれる通りの人だ。会う度にそう思ってきた。それも今日で最後だろうけど。
整った顔を持つ彼は、しばしば女の子達に騒がれている。
そして私は、全くつり合ってない、としばしば陰口を叩かれた。
騒いでいるあの子達に言ってやりたい。あなた達は実際に冷徹に扱われたことがないから、キャーキャー言ってられるのよ、と。
などと考えている内にクロイス様は部屋から出ていってしまった。
……二年以上続いた婚約を、必要最小限の言葉で終わらせた。
まったくなんて人だ……。
ため息と共に私も席を立った。
改めて自己紹介させてもらうね。
私はイルミナ・トレイミー、十七歳。カテリッド王国の名門トレイミー家の末裔だ。名門とは名ばかりで、今や没落に没落を重ねた超没落貴族だよ。
伝え聞くところによれば、ご先祖様は立派だったらしい。
並外れた精神力を備え、心の中に独自の精神領域を作ることができたんだとか。そこに魔法を取りこんで改造したり、あるいはゼロから構築したり、と色々すごかったみたい。あと、精神でつながることで人間以外のものとも会話できたって、……本当かな。
とにかく、その力で王国に多大な貢献をした我が家は名門貴族となった。
だけど、それも昔の話。
代を追うごとに特別な力は弱まり、百年ほど前からはもう完全に普通の人だ。
しきたりで私も魔法を習得すべく、子供の頃から修練を積まされたけど、はっきり言って全く才能がない。
魔法の元になるマナ。それを錬るには集中力が必要で、私は徹底的に苦手だった。習得できたのはろうそくよりちょっと大きな火を灯す魔法だけ。たいまつには負ける。
没落貴族、ここに至れり。もう私の代で滅ぶ勢いだ。
たった今、最後の希望も断たれてしまった。
クロイス様の屋敷を出ると、一人の男性が心配そうに駆け寄ってきた。
私は彼に苦笑いを返す。
「婚約破棄されてしまったわ。ごめんね、トレンソ……」
「お嬢様のせいではありません。謝らないでください」
トレンソは私と同い年の十七歳で、一緒に育った幼なじみでもある。
彼は代々我が家に仕えてくれている家系の末裔。
特にその先代、トレンソのお父さんには本当にお世話になった。
早くに両親を亡くした私を育ててくれた上、あらゆるツテを頼って今回の婚約話をまとめ上げた。
全てを成し遂げた彼は力尽きるように病気で倒れ、ついに去年、この世を去ることに。最後までトレイミー家の再興を信じていた。
クロイス様の家は多くの魔法使いを輩出する、王国で今最も勢いのある一族だ。もし私が結婚して複数の子供を産めば、トレイミー家の復活もなる。
はずだったのに、この有り様……。
自分の情けなさに打ちひしがれていると、目の前に一台の馬車が。
降りてきたのは花のように愛らしい令嬢だった。
「セファシア……」
「あ、イルミナ……」
彼女も私の幼なじみで、実力派貴族の令嬢セファシアだ。
小さい頃はよく一緒に遊んだのに、いつからか距離ができるようになった。一度セファシアが手紙を握らせて、知らせてくれたことがある。
家から、私とは付き合わないように言われていると。それでも自分はずっと友人だと思っていると。
めちゃいい子でしょ? 私が男なら結婚したいくらいだよ。
すれ違い際、セファシアは私に何か声を掛けようと。
しかし、使用人に追いたてられるように屋敷の中へ。
「イルミナ! ごめんね……!」
彼女の声を遮るが如く、扉がバタンと閉まった。
どうしてセファシアがクロイス様の屋敷に来たのか。
そんなの決まっている。新たな婚約者となるためだ。背景にはこのカテリッド王国の昨今の情勢が絡んでいる。
近々、北の隣国と戦争になるともっぱらの噂。
各貴族は少しでも力が欲しいところ。古びた看板だけの没落貴族より実力派、ってことだね。
「だからって破棄したその日に婚約するかね! ほんと信じられない! セファシア可哀想すぎ! 私も可哀想だけど! 古びた看板だけで悪かったな! これ言ったの私か!」
私は馬車の御者台で憤慨していた。
今は婚約破棄された帰り道。
隣ではトレンソが馬の手綱を握っている。彼はため息混じりに。
「馬車から落ちますよ、お嬢様。これ以上落ちるのは嫌でしょ」
「これ以上って何! 私! 婚約破棄されたてなんだから労わってよ!」
「俺は正直、少しほっとしています。親父には悪いけど……」
「何? ごめん、ジョスニムの啼き声でよく聞こえなかったわ」
「……このバカ馬、タイミング良く、いや、タイミング悪く啼きやがって」
「ジョスニムの悪口はやめて。当家の数少ない財産の一頭なのよ」
本当はちゃんと聞こえていた。
トレンソの気持ちには気付いてる。
茶髪で黒目、顔もスタイルも平凡。村娘と言われた方がまだしっくりくる容姿の私に好意を抱いてくれていると。
いつもこうやってはぐらかしてきたけど、もういいのかもしれない。
婚約破棄された今なら。
トレンソは日によく焼けたガッシリした体格。
まさに私の大好物……、いえ、好みなのよ。
「トレンソ、あのね」
「あ、お嬢様、帰りも回り道しますよ」
……あなた、馬並みにタイミング悪いよ。
「……そうね、野良神の目撃情報があった所は避けましょ」
この世界には神と呼ばれる獣がいる。
普通の獣より遥かに大きく、賢く、恐ろしく強い。
上位の神獣は人間と結びつき、国家に守護神獣として所属していたりする。彼らは戦争の勝敗を左右する戦略兵器で、カテリッド王国にも何頭かいたはず。
下位の神獣は野良神としてそこら中に溢れ返っているよ。下位といっても、なかなか人間の敵う相手じゃないし、遭遇すればただじゃ済まない。
野良神の中にも上位個体が紛れていたりして、この世界は本当に危険だ。
そういえば最近、国内で兎の野良神の一団が目撃されていたっけ。兎と言ってもそんなに可愛いものじゃないよ。
ボスは体長三十メートルくらいあったそうだから……。
とにかく触らぬ神に何とやら。
私達は大きく回り道して帰った。
それから日を追うごとに、情勢は怪しくなっていった。
いよいよ戦争が始まるみたいだ。
私はトレンソと二人、財産をまとめて国外に逃げる決意を固めた。
と言っても、我が家の財産なんてたかが知れてる。
私の社交用ドレス二着。ジョスニムと外見だけ取り繕った馬車。あとは、切り売りした末に残った僅かな土地と、修繕が全く行き届かない屋敷ぐらいのもの。
トレイミー家、超没落って言っただけあってほんとにお金ないんだよ。
料理人やメイドを雇う余裕なんて当然なく、今回の婚約話に賭けてトレンソとどうにか凌いできた形だ。
もうこの国に未練なんてないけど、換金できるものはしないと。
ドレスは何とか売ることができた。
ジョスニムと馬車は脱出に必要。
問題は土地と屋敷だった。
情勢が情勢だけに、一向に買い手がつかない。
「諦めましょう、お嬢様。もう本当に逃げないとまずいですって」
「ダメよ! ご先祖様が守ってきた土地と家だもの! きちんとお金に換えないと申し訳が立たないわ!」
「お金に換えること自体、申し訳が立たないと思いますが……」
「とにかく絶対売るの!」
「はいはい……」
なんて意固地にならなきゃよかった。
……とうとう開戦してしまった。
しかも、状況は予想していたよりずっと悪い。
北の隣国との戦争が始まるや、東の隣国が攻めこんできた。どうやら最初から裏で手を組んでいたみたい。
そして、私達のカテリッド王国は、大陸の南西の端にあった。
もう国中が大変な騒ぎだ。
それも当然。今や滅亡の危機に瀕しているのは当家だけじゃなく、国そのものなんだから。
ふふん、少しは我が家の気持ちが分かったか。
こんな余裕をかましている暇は、私にもなかった。本当になかった。
「ど! ど! どうしよう! し! 死にたくないっ!」
「お嬢様落ち着いて! まずは逃げましょう!」
鞄にお金と詰めこめるだけの物を詰めこみ、私とトレンソはジョスニムに跨った。
外見だけの馬車はおいていくしかない。
こんなことならあれも換金しておくんだった。
馬上で筋肉質なトレンソの背中にしっかり密着。
馬車はもったいなかったけど、これはこれで悪くない。
「お嬢様!」
「何っ! やましいことは考えてないわよ!」
「やましいこと? それよりとりあえず東に向かいます! まだあちらの砦は持ちこたえていると聞きましたから! 脱出できるかもしれません!」
「そう! お願いね!」
二人草原を馬で駆けながら、私はセファシアのことを考えていた。
彼女は家の命令には逆らえない。私達みたいに逃げることもできず、クロイス様と一緒に戦場に行かされているんじゃないだろうか。
今の私は人を心配してる場合じゃないんだけど。
ん? 後ろから何か来る……?
ドドッ! ドドッ! ドドッ! ドドッ!
馬より一回り大きな狼が数頭、私達を追いかけてきていた。
の! 野良神だ!
人の心配してる場合じゃなかった! すぐそこに死が!
「こんな時に【戦狼】か! お嬢様! しっかり掴まって!」
言われなくても。食べられる時は一緒よトレンソ!
ドドッ! ドドッ! ドドッ! ドドッ!
ダメッ! 追いつかれる!
ん? 今度は前から何か……?
山のように大きな黒い毛玉……、あれは……、兎! 兎の神獣だ!
体長三十メートルを超える巨大兎が一直線にこちらへ。後方には体長五メートルほどの兎を十頭以上従えている。
間違いない! う、噂の、う、兎の一団だわ……!
もうダメ……、私達、野良神の奪い合いの果に無残に殺されるんだわ……。いや、殺されてから奪い合われるのかも。
と思っていると、巨大黒兎はピョンと私達の頭上を飛び越えた。
それから右の前脚を空中で横にスライドさせる。
すると、発生した炎の大波が追いかけてきていた狼達を吹き飛ばした。
今駆けてきたばかりの草原が一瞬で焦土に。
……【戦狼】とは格が違う。
この兎、守護神獣クラスの野良神だわ……。
呆然としている間に、私達は五メートル級兎に取り囲まれていた。
ボスの黒兎が、ズンッ! ズンッ! と近付いてくる。
「お嬢様! に! 逃げてくださいっ!」
馬を降りたトレンソが両手を広げて立ちはだかる。
気持ちは嬉しいけど、この状況でどうやって逃げろと。
あなただって踏み潰されて終わりよ?
それに、……食べられる時は一緒って決めたのよ!
私も馬から降り、トレンソのさらに前へ。
「火霊よ! 私の敵を撃ち抜け! 〈ファイアボール〉!」
差し出した手の先に、ろうそくより少し大きな火の玉が出現した。
「来ないで! 本当に撃ち抜かれたいの!」
撃ち抜くも何も、すでに私の火魔法は発動している。
飛ばない〈ファイアボール〉、それが私が唯一使える魔法だった。
脅しにもならないのは分かってる。
でも何もしないまま、ただ食べられるわけにはいかない!
体内のマナも全て引き出し、体に纏った。
精一杯の虚勢だ。
――この時、私と黒兎のマナが重なった気がした。
『やれやれ……、助けてやったというのに、これだから人間は……』
『え、助けてくれたの?』
何、今の? 心の中に直接流れこんできたよ。
と巨大兎と見つめ合う。
あちらも目を大きく開き、驚いているのが伝わってくる。
私は飛ばない〈ファイアボール〉を消し、そのまま手をゆっくりと伸ばした。真っ黒な毛にそっと触れる。
『……もしかして、私の声が聞こえますか?』
『ああ、どうやら心と心がつながって会話できるらしいね。お前のような人間がいるとは知らなかったよ』
『私も自分にこんなことができるなんて知りませんでした。あの、助けてくれたということは、私達を食べるつもりはないと……?』
『無論だ。食べるなら【戦狼】の方がよほど美味しい』
これを聞くや、私は振り返ってトレンソを見た。
「狼から助けてくれたんだって! 私達はまずいから食べないって!」
「どうしてそんなこと……。お嬢様、今いったい何をしてるんですか?」
問われても私にも分からないよ。
おそらくトレイミー家の血のおかげで精神がつながったんじゃないかな。と一頭と一人に言ったら、黒兎がうちのご先祖のことを知りたがったので教えてあげた。
お礼にと彼女(女性みたい)は自分のことを話してくれたよ。
【黒天星兎】という種類で、名前はルシェリスらしい。
『私達は兎族最古にして最強の種、【古玖理兎】の一門だ。共にいるのは皆、私が世界を巡るうちに集まった弟子になる』
よく分からなかったけど、武闘派の一団なんだって。
神獣の世界も奥深い。
とにかく五メートル級兎は【古玖理兎】で、大分前に【古玖理兎】だったルシェリスさんは進化して今は【黒天星兎】って上位神獣になったということだ、たぶん。
話をしている内に私達は打ち解けた。
【古玖理兎】達も周辺で寝そべったり、毛づくろいし合ったり、すごく和やかな雰囲気。
するとトレンソが遠慮がちに。
「和やかにしていていいんですか?」
「え、何が?」
「俺達、戦争から逃げる途中ですよ」
「そうだったー!」
助けてもらったお礼を言って、急いで脱出しないと。
『ルシェリスさん、助けていただきありがとうございます。私達、この国から脱出する途中だったんです。あ、戦争が始まったって知ってますか?』
『ああ、たった今、東の戦線を見てきたところだ。お前達の一番大きな砦はすでに陥落していた。イルミナ、東に向かっていなかったか? あちらはまず無理だぞ』
『ええー……、陥落するの早すぎ……。どうしよう……』
『私達は北から出るつもりだ。……大気中のマナが告げている、向こうが手薄だと。イルミナ、共に来るか?』
大気中のマナ……?
武人は、いや、武神は言うことが違う。
私達二人だけより、格闘兎の護衛付き、だよね断然。
『ぜひお願いします!』
『では急ぐぞ。少し和やかにのんびりしすぎた』
ルシェリスさんが鳴いて合図すると、【古玖理兎】の一頭が後脚で立ち上がった。
そんな風に二足歩行できるの?
ちょ、ちょっと待ってー!
【古玖理兎】は私を抱えると、空高くポーンと放り投げた。
もふっ。
私は巨大黒兎の背中にふんわり着地。
なんてもふもふな毛……、あ、一か所、金色で星型の模様が。
そういえば名前に星が入ってたわね。なるほどなるほど、確かに黒い夜空に輝く星のようだわ。
などと感心していると、もふっとトレンソもやって来た。
「お、お嬢様、どうなってるんですか……?」
「私達を一緒に連れていってくれるって。そうだ、東の砦はもう落ちたそうよ。あなたの情報で危うく死ぬとこだったわ」
「すみません……」
「目指すのは北よ。……大気中のマナがそう告げている」
「大気中のマナ……?」
『少し速度を出す。私の毛にしっかり掴まっていろ』
『待ってください! 私達の馬もお願いします! 当家の大切な財産なんです!』
そんなお願いをした結果、ジョスニムは五メートル級兎の小脇に抱えられることに。硬直したまま動かないジョスニム。
ごめんね、ちょっとの間だけ我慢して。
駆け出したルシェリスさんのスピードは凄まじかった。
馬より遥かに速く、景色が次々後ろに流れていく。
気付けばもう北の国境が見える所まで。
あ、カテリッド王国軍が戦ってる。
めちゃやられてるじゃない……。
あそこに倒れてる角の生えたでかい虎、うちの守護神獣でしょ……?
……これ、突破されるの時間の問題ね。
敵の守護神獣は牛族か。小さい奴でも体長七メートルはある。あんなのに轢かれたら即死よ。
おや? 牛達が集まって……、こっちに突進してくる!
『私達に気付いたか。心配するな、あの程度なら弟子達で充分だ。
総員! 各種〈錬弾〉用意!』
ルシェリスさんの一鳴きで【古玖理兎】達は一斉に立ち上がった。
手(前脚)の中に火やら水の球体を作る。
『撃て――――っ!』
押し出すように〈錬弾〉を発射。
ゴゴゴゴゴゴゴゴ…………ッ。
様々な属性が混ざり合った爆発で、牛神の群れは崩壊した。
格闘兎部隊、強っ……!
出国お誘いしてもらってよかったー!
『よし今だ。一気に抜けるぞ』
敵味方入り乱れる戦場に突入。
先ほどの大爆発を見ているだけに、誰も私達に手出しできない。
まあ、なかなか人間の敵う相手じゃないしね……。
カテリッド王国の皆さん、ごめんなさい。
どう見ても敗戦濃厚なので私は逃げます。そもそも、飛ばない〈ファイアボール〉しか撃てない私は何の役にも立ちませんし。
と戦場を見渡していると、知った顔が。
セファシア……!
あんなに泥だらけになって!
鎧姿のセファシアが懸命に戦っていた。
『ルシェリスさん! 助けたい子がいるの! ちょっとだけお願いっ!』
『むぅ、仕方ないな……』
彼女はくるりと方向転換。
この人(神)、やっぱりすごくいい人(神)だ。
目の前に停止した巨大兎を、セファシアは呆然と見上げる。
もふもふの毛から私が顔を出すと、驚きの表情に変わった。
「イルミナ! どうしてそんな所に!」
「話は後! セファシアも乗って! この神獣は大丈夫だから!」
すると隣にいた金髪の男性が彼女を突き飛ばした。
「イルミナ様! どうか私もお連れください!」
いたんですか、クロイス様。
ていうか何セファシアを突き飛ばしてんのよ!
「……あなたは、お誘いしていません」
「そう仰らずに! お願いします!」
いつものクールさはどうしたんですか?
ま、圧倒的劣勢のこの戦場から出るだけでも命懸けでしょうから、気持ちは分かりますけど。冷徹の貴公子が形無しですね。いえ、我先に助かろうと婚約者を突き飛ばしていたので冷徹には違いないです。
それにしても、クロイス様の鎧、ずいぶんと綺麗じゃないですか?
セファシアは泥だらけですよ。
彼女だけ戦わせて逃げ回ってたのバレバレだから!
私といい! あんた婚約者を何だと思ってるの!
私が憤慨している間に、【古玖理兎】の一頭がセファシアを放り投げてくれた。
もふっと隣に着地。
「なんてもふもふの毛なの……。イルミナ、どうして私を助けて……?」
「私もずっとセファシアを友達だと思ってきたからだよ」
「イルミナ……」
「このまま国外まで逃げるよ。……家族のことなんだけど」
「それは、……もういいの。一緒に行かせて」
さすがに彼女も踏ん切りがついたようだ。
こんな大変な戦場へ、あんな男と送りこむ家だもんね。
その私達二人の元婚約者はといえば、
「どうか私も! すぐそこまでで構いませんから!」
まだ食い下がってきていた。すぐそこまでって……。
とルシェリスさんが深いため息をついたのが伝わってきた。
それからクロイス様をギョロリと睨みつける。
うわあ、すごい殺気だ。
腰が砕けた彼はその場にへたりこんでしまった。
『言葉は分からないが、あの男は私が嫌いな人間の最たるものな気がする』
正解かもしれません。
最後にセファシアが彼に視線を向けた。
「クロイス様、あなたとの婚約を破棄させていただきます。お一人ではご苦労なさるでしょうが、どうか生きのびてください」
あ、まだ婚約破棄してなかったのか。
よし、二年以上も婚約者だった私からも一言差し上げよう。
「今日は本当のあなたが見られてよかったです。
さようなら、冷徹の貴公子様。…………、ざまぁみろ!」
こうして私達は綺麗さっぱり心おきなく国を後にした。
北の隣国の、田舎町近くでルシェリスさんは降ろしてくれた。
『イルミナ、お前は到底良い人間とは言えないが、面白い人間ではあった。おかげで少しばかり人間に興味が湧いてきたよ。達者でな』
そう言い残し、彼女は一門を率いて去っていった。
私の方こそ、こんな変わった神獣もいるのかと思ったよ。
ありがとう、ルシェリスさん。
私達の大恩人(神)。
翌日になって、カテリッド王国滅亡の知らせを聞いた。
たぶんクロイス様も逃げのびただろう。ああいう人はとことんしぶといのが世の常だ。
ちょっとだけこの後の話をしようかな。
私とトレンソ、セファシアは、ジョスニムに乗って北上を続けた。
それぞれ縛られていたものから解放されて、初めて自由な空気を吸った気がする。なかなか抜けない人もいたけどね。
「私のことはイルミナと呼んでって言ってるでしょ、トレンソ」
「ですから、急にそう言われましても……、俺の使命はトレイミー家を存続させることですし」
「じゃあなた、トレンソ・トレイミーになるわよ。トレトレよ。いいの?」
「いいじゃないですか、新鮮そうで……。
ん? お嬢様! それってつまり!」
「そうね、トレトレって響きが可愛いし、いいかも」
話を聞いていたセファシアが大きめのため息。
「いいわねイルミナは、もうお相手がいて。
私の前にもいつか現れるのかな……」
彼女のそんな心配は杞憂に終わる。案外すぐに。
大陸北の小国に入った私達は、治安の良さからここに定住を決意。北東の小さな村でジャガイモを作って暮らすことにした。
セファシアは早々に村の男性と恋に落ち、私とトレンソより一年も早く女の子を授かる。やがて私も女の子を産み、セファシアの子と姉妹のように育てることになった。
これが私の物語よ。
婚約破棄された没落貴族の私が、元婚約者にざまぁみろと言って、王国滅亡の危機を逃れ、ごくありふれた幸せを手に入れるまで。
お読みいただき、有難うございました。
評価、ブックマーク、していただけると嬉しいです。
イルミナとトレンソの娘が主人公の話も書いています。
十数年後の二人も出てきます。
よろしければお読みください。
『ジャガイモ農家の村娘、剣神と謳われるまで。』
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