9.神を擬く器
「三発だけだ。それ以内にケリをつけろ」
初めてその武器を手にしたとき、平田はそう説明した。庚はそのことをよく頭に叩き込んでいた。なぜなら使用法によっては、自分のいのちに関わることだったからだ。
金剛鉄拳〈八十剛崩槌〉。
それは、そう呼ばれていた。一見すると肩まで伸びるアームカバーだったが、その生地は天女の羽衣にも匹敵する摩訶不思議の繊維で織られ、唐草文にも似た螺旋のアラベスクが綾を成す。そして、こぶしの部分は黄昏を彩るがごとき琥珀色の金属──特殊な加工を施した日緋色金のガードが嵌められている。
装着するとわかるが、これは見かけほどヤワなものではない。嵌めた途端に繊維がびっちりと肌に吸い付き、蛭のように血を飲む。これは装着者の妖気を凝縮させ、こぶしに溜めるための武具なのだった。その一撃は武甕槌の剛腕に匹敵する。
擬神器。それは神を擬える器。
しょせんは神の似せ物。神もどき。
対未確認生物用個人携行兵器、という正式名称を持つべきその器物の別称は、まさしく人として神に匹敵せんがための驕り高ぶった言挙げだった。
だが、それと同時に神を擬く器でもある。
「圧倒的な力にはリスクが伴う。おれはそれを数々の少年漫画から教わった」
そのひと言さえなければかっこよかったのに、と庚は思う。しかしおかげでよく記憶にこびりついていた。
「この武器は気合を溜めて撃つたびに威力が指数関数的に上昇する。つまり、二回目は一回目の四倍、三回目は九倍になる。
どんな術者でも、一度に十倍以上の力を使うとさすがにいのちにかかわる。岐、お前の御神体みたいな妖力のスペックでもだ。だから四回目が使えないようにわざと意識を奪う仕掛けが施されてる。安全装置ってわけ」
すでに二発ぶちかましていた。一回目は樹海で津島を探すため、そして二回目はヤタガラスの注意をこちら側に向けるため。
樹海のせいで向こう側は見えない。ラガルが猛突進していくのを見た時、もはや天然記念物を壊した損害賠償なんて考えている場合じゃなかった。
とっさにからだを動かした。そして、現在という局面に立っている。
「おい、虎落!」
「ハァイ、ボクチンノ名前ヲ呼ンダ?」
「うるせぇ鎌介! さっさと変形しろ!」
言ってるそばから、ヤタガラスがむくりと巨躯を起こした。先ほどぶちかました一撃がかなり効いたらしい。下腹部に撃ったのだ。その激痛がいまさら響いたようで、ぐぐぐ、と背を丸めてのたくったのち、喉もとから何かを吐き出した。
それは、人一人分の衣類の塊だった。
これが怪獣がいる世界の実態だった。
怪獣がどこから生まれ、いかに現在まで生きながらえたのかは誰も知らない。しかしそのすがたかたちは、紛れもなく原始哺乳類を脅かした巨大生物──恐竜のそれだ。
つまるところ、怪獣とはヒトがヒトたる文明以前の記憶の具現化だった。それは神話の時代の名残りであり、野生の思考そのものであり、そして洞窟の中で育まれた畏懼の残像でもある。
かつて古代ギリシャの詩人ホメロスは、その偉大なる詩の冒頭を英雄アキレウスの怒りで以て主題を飾った。ヒトのヒトたる言霊の歴史はその怒りの主題より系譜を発する。すなわち、怒りを謳うことばこそは神への言問いたり得たのだ。なればこそ、ヒトがこの巨獣に対して抱くべきは、原始の感情の深き底から目覚める怒りでなければならない。
すなわち、わがままで強引で乱暴な、不条理にも理不尽にも見える憤怒にも等しい激情をこそ。
「また飛ぶぞ! 早くしろ!」
「ソンナムチャナ!」
言うや否や、ふたたび強風が舞い立つ。
すでに頭上のヘリはヤタガラスから距離を取っていた。だからもう二の舞は演じない。二の足を踏むのは虎落丸。庚は地団駄を踏み掛ける。
ふたりの立場はさながら薄氷を踏むもの同士だった。ヘリの部隊が犯した轍をまた踏むわけにはいかない。緊張が走り、気が急くあまり、たたらを踏みそうになる。
ごうらんと風が吹き荒れる。
右回転の激しい渦。庚はとっさにスニーカーに描いた呪詛を思い出し、術式を反転させた。踏み出した足が空に差し掛かると、階段を二段飛ばしで駆け上がるかのように、ヤタガラスとの間合いを詰める。
そこに、虎落丸の変形が間に合った。
「虎落丸、人型もーd」
「うっさい!」
最後まで言わせずに、その妖力で浮き上がったボディを踏んづけた。
虎落丸はまたしてもアヒルのような鳴き声をあげた。しかしすぐに身を翻し、庚を受け止めると、妖力をエンジンに還元し、脚部からブーストを掛け、飛び去るヤタガラスに追いすがろうとする。
「いっけえええええ!」
その飛ぶすがたは、さながら天に向かって羽ばたくイカルスがごとし。
引力自在の呪力が尽きる前に、庚はヤタガラスと決着を着けたかった。そのためには逃げようとするこの怪鳥に接近し、金剛鉄拳の最後の一撃を加えなければならない。
だが、彼女が虎落丸の肩を踏み越え、最後の間合いを詰めようと大きく飛び出したその瞬間、ヤタガラスはくるりと身を反転し、その嘴から熱線を吐く用意をしていた。




