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超常捜査官:岐庚 〜アサルト・オン・ヤオヨロズ外典〜  作者: 執筆・八雲 辰毘古/監修・金精亭交吉
File3:信じるものは掬われる
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エピローグ.あるいは聖少女の遺灰

 どうやら希望は日光に似ている

 言わばどちらも明るさだ

 一つは荒んだ心の聖い夢となり

 一つは泥水に金の光を浮べてくれる。


『ヴェルレーヌ詩集』堀口大學訳

 二週間後──


「結局助からなかったんだな」


 平田啓介はたっぷり紫煙を溜め込んでから、執務室の虚空に向かって吐き出した。

 重苦しい空気の中、岐庚はそれでも正対して上司の顔を見た。


「残念ながら」

「ま、仕方ない。こういうのは、()()()()()()だからな」

「ええ、でも……」

「でもなんだ?」


 庚は腕を見た。もはや擬神器が肌に付いて離れなくなってしまった。ふだんから痛みがあり、彼女はこのところ三角巾で右腕を固定したままの生活をしている。


「手を差し伸べたことを、後悔してません」

「そうか」


 パイプ椅子を反転させた。平田啓介はその表情を決して見せようとしない。


「やっぱりな、おれァ思うんだよ」

「はい」

「こんな仕事な、良いとこで切り上げてさっさと下町の出店でもやってたほうがいいぞ。国を守るなんて身も心もいくつもあったってたまんねえ。後続を育てて早期退職といこうや。代わりばんこにやらせりゃみんな有り難みがわかるってもんよ」

「……ふふっ」

「あ、なんだよ岐その笑い方は!」

「ああいえ、平田さんらしいですね」

「なんかむかつくわー」


 岐庚は執務室を後にした。


 霞ヶ関の昼は気だるい。吉田恂も山崎ひかりもしばらく休んでいたが、すぐに別の任務に飛んでいってしまった。結局重症だった岐庚だけがようやく現場復帰したときには、大体のことが終わってしまったあとだった。

 右腕はいちおう動く。しかし激痛と、もう肉と一体化した擬神器の制御がうまくいっていない。医師曰く、珍しい症例なのだというからもうしばらくリハビリが必要だった。


 開く。閉じる。


 庚の手のひらは、まだあの掴んだ瞬間を記憶している。きっとそれはなにかと決して忘れることができないほどに、くっきりと焼き付いてしまったのだろう。

 顔面の半分に焼きついた、あの瘢痕のように──


 あの日以来、冬堂井氷鹿とは会ってない。


 べつに会おうとも思わない。過去の付き合いもあるし、人間関係もまだ縁が切れたとも思わないが、妙に自分から会いに行くのが気まずい感じがした。

 意見の対立は別にその人とのつながりを断ち切りはしない──これは平田啓介の言葉であるが、庚にとってそれはかっこつけた理屈である。一度決定的に分かれた考え方を知ると、次からの会話も、その断絶を乗り越える勇気が要る。そしていま、庚にその勇気はないだけなのだ。


 それに。


「岐さん」

「……麻紀ちゃん」


 安代麻紀が来ていた。


「また寿くんに面会?」

「うん。まあ、あんなだったし。袖振り合うも他生の縁というか」

「難しい言葉使うのね」

「少し勉強してるんで」


 ぺろっと舌を出す。


 安代麻紀の所用に付き合うが、その会話にまでは口出ししない。庚は寿遼とは面識がない。別に頭を突っ込もうとも思わないし、世話を焼こうとも思わない。

 ただ、そうだとするならなぜ宗谷紫織にはそこまでする必要があったのか──引っかかりは残る。


 用を終えた安代麻紀が、庚に見送られて駅に向かう。


「紫織のことは、悲しいですけど、あれでよかったのかも、とも思っちゃうんです」


 葬儀らしきものはしたが、親戚はほぼいなかった。ともに暮らした記憶のない間柄が、とりあえず喪主を務めた。すごくそっけない葬送。あり得ないほど淡白な別れ。

 その時、安代麻紀は涙すら出てこなかった。こんなに冷たい人間関係の中で生きてきたのかと、背筋が寒くなるほどだった。


「わたし、幸せだったんですね」

「…………」

「あの子があんなに辛いなんて思いも寄らなかった。だから、もう二度と会えなくても、どうでもいいやと思ってた……」


 だんだんと俯いて、顔面を両手で押さえた。


「……少し泣かせてください」


 庚はやさしくその肩を抱いて、背中をさすった。

 生きているものだけが涙を流す。悲しみに浸ることだけが、誰かとのつながりを確かめる数少ない手段なのだった。



    ※



 時は遡る──


 鳥が遠くで鳴いていた。すべてが終わった時、宗谷紫織は望まぬ目覚めを強いられた。


「こ、こ、は」

「紫織!」


 マキの声だ。何年振りでもわかる。それほどまでに待ち侘びていたような気がする。

 いまとなっては自信がない。これは夢だったんだろうか。妖怪も怪獣も、新宿の災厄も全部夢だったらよかったのに。


「あ……」


 見ると、安代麻紀と寿遼と、それから榎本輝がいた。

 みんな懐かしい。

 あの時。あの頃。あの仲間たち。

 でも、みんないまは別々の道を歩んでしまった。もう戻らない夢の道。


 榎本輝が最初にいなくなった。それは霧が風に溶けて消えるように、さあっといなくなった。もう時間だからな、そう言う間も無く、まるで夢なんてそう覚めるものだと言わんばかりに。

 何かを話したかった。話すことなど山ほどあった。でも、もう言葉が出てこなかった。


 どうしてだろう。


 なぜ取り返しがつかなくなってから、急に何もかもが元通りになろうとするのだろう。いまさら何かをしようとしたって、それはすでに壊れたままで、治りようがない。にもかかわらず、いつかのどこかの記憶を繰り返し、繰り返して、あの日のあの場所を取り戻そうとしたくなる。

 死にたいと、あれほどたくさん願っていたにもかかわらず、いまさらになって生きたいという気持ちが、虚しく湧き上がっていた。


 やり直せるなら、やり直したい。

 だが、すべてが遅いのだ。


 壊れたものがやり直せるなら、こんな社会も、世界もきっと元通りになったはずだ。

 それができないから、過ぎた日を思ってくよくよして、苦しいと言うのに。


 手を伸ばした。残された力で、震えながら、安代麻紀の顔の前まで──


 その先にはあるものを、掴むように。


「ひ、か、り……」


 潰れたはずの左目が開いた。そこから沁みるように這入ってくる、太陽の輝き──

 ずっとこの光を探し求めていた気がする。にもかかわらず、ずっと闇の中を歩いてしまっていたような、そんなことが、急にフラッシュバックする。急に自分がばからしくなった。光はすぐそこにあったのだ。見つけられなかった理由を悟ると、彼女は初めて今のいままでしてきたことを後悔した。


「……ッ」


 何か、言いかけた。しかし口から出たのは魂──その吐息とともに、宗谷紫織は息絶えた。その両目は光の彼方に飛び立つ鳥を見たまま、永遠の自由を求めて。


 大地に残されるのは悲しみだけである。

 それでも明日は来るのであった。

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