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超常捜査官:岐庚 〜アサルト・オン・ヤオヨロズ外典〜  作者: 執筆・八雲 辰毘古/監修・金精亭交吉
File3:信じるものは掬われる
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56.シーシュポスの神話

「真に重大な哲学的問題は一つしかない。自殺である」


 アルベール・カミュ『シーシュポスの神話』


「死だけが私がつかまえたいものを捉えてくれる。死は語のなかにあってその意味の唯一の可能性である。死がなければ、全ては不条理と虚無のなかに崩れ落ちてしまうだろう」


 モーリス・ブランショ『焔の文学』「文学と死への権利」より


 土師清巳の身体を切断し、その部品が二度と再生で繋がらないようにしてから、それぞれを剥き出しになった土に埋葬した。


「切断面は焼いてやったから、もうこれでよほどのことさえなけりゃ、な」

「第一こいつも積陰月霊大王の力で生かされてるだけのもんよ。さっさと大王サマにお帰りいただけりゃ、もうこんなやつと拘わうこともない」


 大国忍と平田啓介は、まるで悪戯をいかにバレないようにするか話し合う小学生男子のような表情で、にやりと微笑んだ。

 しかしそれもつかの間、真摯な面持ちに戻ると、睨み合う。


 やがて平田啓介が口を開いた。


「気が済んだかよ」

「ああ、済んだ」


 大国忍も仏頂面で答えた。

 それがなんとも馬鹿馬鹿しくて、先に笑ったのは平田啓介だった。


「まったくよ。ほんとに、お前ってやつは」

「そもそもいまのでわかったんだが」

「ああ」


 大国忍は先ほど土師清巳を埋葬した場所を見回した。


「こいつ、不死の身体を持ってて、たぶん何度も生き返ってきた。それでこんなザマなんだから、やっぱり人生なんてロクなもんじゃないな」

「だろ! ……だろ!」


 平田啓介は急に腹を抱えて笑った。これだ、これなのだ。彼が好きで心から尊敬していた大国忍が、ついに帰ってきた。


「ほんと、ばかげてるよ。て、お前笑いすぎだろ」

「……ッ、だってよォ、そんな当たり前のことを今更真理みたいに言われてもよォ……ッ!」


 もはや笑ってるんだか泣いてるんだかわからないぐらいのぐしゃぐしゃの表情だった。

 大国忍は一瞬、言葉を失ったが、急に我に帰ると、平田啓介のひたいを裏拳で小突いた。


「いい加減にしろ」

「ッ、はあっ、ほんとに、大国よ。お前ってやつはよ……ッ、ッ!」


 大国忍は、もはや怒る気持ちすら無くなっていた。


「まあいいや」

「あー、おかしかった」

「ふんだ」


 平田啓介は本格的に痛む腹を、なんとか抑えて立ち上がった。


「さて、大国。このあと予定は?」

「ないな。別にいまさら家族に顔見せたいわけでもないし」

「そうだな。もう死亡届は出てるしな。住所も引き払ってもらってる。遺産の処分も終わってるし、おまえにゃ何にも残ってねえよ」

「ひでえな」

「しょうがねえさ。あんな都内の豚箱マンションでも、空いてたら潜り込みたいやつがいるんだよ」

「ほんと、狭ッ苦しい都市(まち)だな、ここは」

「人口は減ってるくせに、満足に暮らすにはあまりに窮屈だわな」


 風が轟いた。


 荒れ地と化した新宿──周囲を見ればもはやコンクリートの破片と砂塵が渦巻いて、そこかしこで神虫の亡き骸と黒い煤けたシミが飛び散っている。

 こんな破壊のされ方は、いまに始まったことではない。


 百年以上前から──開化が、天災が、戦争が、経済が、ありとあらゆる時代の大波が寄せては返し、その風貌を変えたかと思えば、事件が、進歩が、そして怪獣が、時に緩やかに、時に急激に、その土地を平らにして、また新しい街を、手を変え品を変え、見せ続けようと、さまざまな建築物を生やしてきた。


 そこにはあったはずの歴史が死に、伝統が剥製になり、生きていることそのものがショーウィンドウの展示物になるようなこの都市のでは、人生とは常に支払い金額に応じたコース料理のメニューにしか見えない。一生居酒屋チェーン店で飲み明かす人生と、高級料理店でブランド物のワインを開ける人生──人権としては等価であるにもかかわらず、この両者の選択肢はあまりにも異なる。規格化された人生のセットメニューは、ある種の勝ち組と負け組を決定的な階級へと固定する。

 しかし、ときどき剥き出しの生があらわになる。それは常に破壊のかたちを伴った。しかし破壊と再生スクラップ・アンド・ビルドは、新しい平等の始まりを意味しない。それは上下関係を混ぜこぜにはするが、結局は瓦礫の下に隠すだけだ。そして隠されてしまったモノは、恨みつらみを残して徐々に成長し、ある日突然異常なモノとして突出して、新しい怪物を再生産する。


 こんなはずじゃなかった。いつも誰もがそう口にする。きっとそうなのだろう。しかし目先の問題に蓋をしていくだけの、傷口にバンドエイドを貼るだけの〝現実的な〟対処法とは、常に社会の奥底に潜んでいる怪物に、少しずつ餌をやって、見て見ぬふりをする所業に他ならない。

 破壊と再生──目まぐるしく移ろいゆくこの生々流転の果てに、変化に適応することが種の保存だと教えた思想がある。自然選択。適者生存。しかしその言葉はいつしか弱肉強食、あるいは無限の進歩を促す(ごう)輪廻(サイクル)へと誤解された。この誤解はいまなお誤解と知られながらも、人々に社会で生き延びるための基本原理として、支配的であり続ける。


 変化を恐れるな。自分を変えろ。

 失敗を積め。糧にしろ。

 成長しろ。成功を掴め。


 他人は変えられないが、自分は変えられるという言説にはひとつの大きな欺瞞がある。それは自分のことは自分がよく知っているという暗黙の、間違った前提だ。ヒトは自分のことなど何一つ知りはしない。医者に診てもらうまで手遅れの病気に気付くことができないし、自分よりも友人知人の眼差しの方がよく当人の本質を突いていることもままある。


 ヒトは、自分ひとりでは生きられない。だとしたら、自分で自分ひとりすら、変えることもままならないのだ。


「死人の居場所すら作ってやれない。そんなまでして肩身狭くして生きてるおれらが、なんで手と手を取り合って生きていけねえんだ。情けないと思わねえか」


 自嘲するように、平田啓介が言った。

 大国忍は答えなかった。


「……何もないついでに、ひとつ頼まれて欲しいんだが」


 平田啓介はおもむろに言った。

 大国忍は火遁槍を肩に担いで、はい待ってましたと言わんばかりにため息をついた。


「上司の不始末、また部下に背負わすんか」

「頼むよォ、おれひとりじゃなんもできねえしよ」

「……やれやれ」


 少し、名残惜しい気もする。しかしそうも言ってはいられない。

 この非常時を終わらせるためにも。


「じゃあ、上司として命令する」


 平田啓介が気だるげに、しかし真剣に、態度を改めた。

 これは仕事だ。任務だ。おのれの気持ちは時として振り切らねばならない。


「死ね」

「……あいあいさ」


 頷く。

 彼らに別れの挨拶は要らない。


 そして跳躍した。

 戦いに行くために。


 大国忍は二度死ぬのだ。



     ※



 月兎の瞬間移動に即して、猫依沙月の飛び蹴りがヒットし、後退る。

 すかさずやってくるもう一匹に、闇龗の妖力を解放した山崎ひかりの太刀筋が応ずる。


 この駆け引きがかれこれ二分続いていた。


 しかし異常とも思えるこの二分間──ふたりは息が荒く、あと何分も応えられない。


「まずいまずいまずい……ッ!」


 榎本輝が結界の内側からまくし立てる。寿遼も安代麻紀も、そして自衛隊員もみなこれらの怪異の前には等しく無力だった。

 吉田恂は、しかしその間も必死に頭を使っていた。片や護法童子に動いてもらい、片や結界を張り、と、もはや重労働にもなりつつあるさなか、さらにもう一個手を打とうと結界の術式に手を加えている。


 だが、集中力が保たない。


「ちょっときみたち」

「はい?」

「頼みがある」


 安代麻紀筆頭に、少年少女が膝を寄せる。

 その傍らに、吉田恂はいましがた持っていた筆を手放した。


「いま、ぼくが張ってるこの結界の術式に、いまからぼくが口にする言葉を書き出していってほしい」

「え、あ、はい!」

「できるだけ漢字で書いて──いくよ」


 吉田が誦じた言葉は、漢字の変換すらままならないような難読語と難解字の連続だった。安代麻紀が音を聞き、寿遼がとりあえず漢字を当てはめ、榎本輝が言われた通りの漢字を書く。

 この役割分担が、始まった時、月兎はより一層本気を出した。


 本能が、その術式を止めさせねばと察知したのか、それとも。


《サセナイヨ》

《サセナイヨ!》


 跳躍した。すかさず山崎ひかりの水曜刀が水煙を噴いて、視界を覆った。

 一瞬おのれの居場所を見失った月兎、だがそのつかの間が命取りであった。猫依が獣の眼で睨みながら飛び出すと、月兎の得体の知れない肉体にその牙を立てた。


 痛覚はない。

 しかし月兎の動きが鈍くなる。


 とたんに山崎ひかりの剣が一体の腹部を刺し貫いた。


「あと少し……あと少し……!」


 吉田恂はうわ言を言いつつ、少年少女に言葉を伝える。



     ※




 黒い雨──世界に立て線のぼかしが入ったような、薄寒い世界の片隅に。

 少女が、ひとり立っている。

 その右目はいびつな光のこもった眼差しを湛え、世界を睥睨する。そして左目──焼けただれた火傷の傷痕がうっすら残るなか、彼岸花と思しき赤い触手が生えている。


 彼女の名前は、宗谷紫織と言った。


「……愚かな」


 その口から漏れ出る声は異形のものだ。


 まるでその発声がきっかけであったかのように、少女の背後から影が立ち昇るように、それは浮き上がった。石の仮面と蛙の手脚──紫の衣と月の錫杖。

 積陰月霊大王である。そのすがたがついに人前にあらわになった。


 対するは、岐庚である。


 全身の妖力が毛を逆立てながらも、疲労困憊になりつつある。オレンジのタンクトップに迷彩ズボンといった衣装(いでたち)も、このところの連戦のせいでそこかしこが裂けて肌を露出させている。

 なりふり構っていられないからこうなっている。しかし「天孫演舞」のモードも、あと長く保って三分程度だろう。そうなったら、擬神器の三回目よりも強い衝撃と虚ろな感覚が全身を覆ってしまう。勝ち目は薄い。


 やるなら、速攻──


 身構える。飛び出す。残像だけが分身するように見え隠れするなか、積陰月霊大王は突如カッと目を見開いた。

 とたんに庚が強い殴打を受けた時のような衝撃を、全身に浴びる。すかさず両腕をクロスして防御するが、土埃を立てて靴底を擦り減らしながら、思い切り後退をさせられる。


「ぐぬ……さすが小娘相手に幻術は克服したと見えるか」


 魔眼の通用しないことに積陰月霊大王は手立てを改める。しかし庚は冷や汗をかいた。

 たかだか()()()()だけにもかかわらず、全身を叩きつけるような威力である。これが自分だったから良かったものの、ほかの人であれば即死するはずだ。


 なるべく目を合わさないように、低く眼差す。そのまま跳躍し、間合いを詰める。

 蹴り──だが、それすらも少女の五センチメートル手前で跳ね返されるのだ。


「くそっ、結界」


 容赦なく積陰月霊大王の怪光線が杖から放たれる。避けた先のコンクリートが一瞬で塵になった。

 神虫を焼き殺した威力そのものだった。


「勝てるのか」


 ヒトは、そもそもカミに勝てるのだろうか。おのれの内なる絶対者、その存在に。


 かつて庚は多くの怪獣・妖怪と戦ってきた。自分よりも大きい身体を持った怪物とも数知れず戦い、擬神器の力を借りながらも、これを撃破してきた。

 しかし過去のターゲットたちは、みな神話や伝承の名前を借りながらも、しょせんは巨大生物であり、知的生命である。ところが積陰月霊大王はちがった。神代に匹敵する妖力を持ち、大地を蹂躙し、命を弄んだ。未だかつてない知性と戦術に特化したこの存在を、次の一撃で倒せると言う確信はいまだない。


 それでも、やらねばならない。


 黒炎をまとった拳が再度組み打つ。積陰月霊大王の前には結界が展開していたが、無視した。結界があるならそれ以上の力で叩き抜く──それが庚のモットーだった。

 しかし結界が破れない。二度三度とやっても、それは跳ね返ってくるばかり。


「その程度か人間よ」


 杖を振ると見せかけて、右手を差し出した。その指先から、まるで見えない網を投げ掛けられたかのように頭上から庚の身体が痺れを感じて動けなくなった。

 金縛り! そう気づいた時には遅かった。身体が反射的に痙攣し、背筋が伸びた。顔を上げる。そこに積陰月霊大王と、宗谷紫織の右眼があった。


 虚ろな眼だった。


 そこには何も映ってない。ありのままの世界の悲惨を引き受けるような、無感動な眼差しだけがあった。

 この一瞥だけで、人生の虚飾が奪われるような心地がした。生きることの意味も価値もすべて吹き飛び、単に無価値なのではなく、希死念慮(デストルドー)に近い圧が内側からみなぎってくる。


 吐き気──うずくまる。


「やはり猿神相手では本領が発揮できない」


 積陰月霊大王の言葉には、残念な響きが伴う。徐々に宗谷紫織の身体ごと歩みを進め、うずくまる庚の首を掴んだ。

 まるで少女とは思えない膂力で、その肉体を高く上げる。首は締まったまま、おまけに眼を開ければおそらく魔眼に捉えられる。


 薄く霞んだ視界でもがき、苦しみながら、庚は力なく意識を失いかける。


 と、そこに──


「ちょっとすまんね」


 火遁槍が割り込む。

 とっさに離した手、庚を助け出したその人物こそは、大国忍であった。

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