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超常捜査官:岐庚 〜アサルト・オン・ヤオヨロズ外典〜  作者: 執筆・八雲 辰毘古/監修・金精亭交吉
File3:信じるものは掬われる
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52.シン世界転生(上)

「知覚の扉澄みたれば、人の眼に

 ものみなすべて永遠の実相を顕さん」


 ──ウィリアム・ブレイク


 つんざくばかりの、音とも思えない音が辺り一体を覆い尽くした。

 悲鳴だと思えば悲鳴だろう。

 しかし絶叫と言えば絶叫だったかもしれない。さながらヒトならぬ獣の咆哮にも似た、絶望の叫び声──


 庚は耳を覆いながらそれを見ているしかできなかった。月兎が望月サヤカから何か見えざるものを吸い取り尽くしたかと思うと、彼女の身体は糸の切れた人形のように(くずお)れた。

 月兎はその不気味な蝦蟇口のような顎をカタカタ動かす。おそらく笑っているのだろう。その動きを一通り終えると、またしても瞬く間に飛び去ってしまう。


「う……」


 冬堂井氷鹿が起き上がった。上体だけを起こしている状態だ。それで我に返った庚は、彼の元に駆け寄り、立ち上がるのを助けた。


「なんだって、こんなこと……」

「いちおう、国家的な危機なんでね」

「そう」

「望月サヤカは?」

「あそこ」


 倒れてる女をあごで示した。そこにはかつて自信にあふれ、堂々とした望月サヤカの影はない。むしろ幼児退行したのような安らかな笑みを浮かべてうずくまっている。


 それを見て、庚はむしろゾッとした。


「どういうこと? あれは、何?」

「あれが〝白山菊理(ククリ)〟だ」

「は?」

「おれの知ってる範囲では、結社の人格プログラムは、まず人間の脳味噌に強い電気ショックを与えて〝白紙状態〟にするところから始めるらしい。そのあと、知能訓練や刷り込みの作業を行って人間を条件づけていくというが──そんなものが実現するはずはなかったんだ。先行研究があったアメリカでは、全員廃人になったか、幼児退行が進んだだけだった。ある程度人格が残った者も、著しい記憶障害が残ったと言われている。生活に復帰することすらもままならない」


 だんだん力が戻ってきたのか、井氷鹿は庚の手をほどいて自力で立った。


「白山菊理は失敗作だった。記録上は、少なくとも〝不能〟か〝死亡〟になるはずの検体だったんだ。それがある日──意志を持ってどこかに消えた。それがどうしてそうだったのか長らく不明なまま放置されていたんだが……」


 彼は新宿に君臨する〈首のない巨人〉のたたずまいを、神虫(シンチュー)との戦いが繰り広げられているそのさまを見上げて、続ける。


「おそらく、彼女は〈器〉に使われたんだ」

「〈器〉……積陰月霊大王が地球に降臨するための?」

「ああ。白山菊理自身の考えは知らんが、力を利用するつもりが、力に利用されていたんだろうさ」

「そうか、だから〈巫女〉なんだ」


 この世とあの世をつなぐもの。

 〈巫女〉。

 彼女は単なる橋渡しでしかない。


「かわいそうに」


 ぽつりと言う。

 しかし冬堂井氷鹿は同情の余地はあまりないと言わんばかりに首を振った。


「いや、白山菊理は自ら志願したんだ。白山の術を継承できず、才覚のない自身を恥じて、最も結社に貢献するには、と自分で悩んだ末のものだったらしい」

「そんな……ばからしい」

「何を言っている。それもお前が岐の家で生まれ育ったからだよ」

「わたし……?」

「今思えば、〝望月サヤカ〟が岐庚に固執するのは当たり前だったかもわからない。少なくとも〝白山菊理〟が、岐庚を乗り越えて自分の正当性を主張するために、そのプログラムをこなしたのは間違いないからな」

「…………」

「べつに罪悪感なんて抱かなくて良いさ。もちろんそれは、きみの言う通り〝ばからしい〟ことだ。だが、そうでもしないとダメだと思うぐらい、思い込みが強くて自責の念が強い人間だったからな……人格が分裂していたとしても、勝手にそういうものだと納得してしまっていた」


 いや、そうじゃない。庚は思った。術者の社会は一見すればこの世界で指折りの裕福で自由な階級を独占しているかもわからない。しかしその実態は保守的な家父長制が陰で操る見せかけの能力主義そのものだ。家長に認められた能力者だけが人権を持ち、その資格に満たないものは存在しないも同然──

 生きているものがみな平等で自由だ、なんて建前は、きれいで美しい。しかし思春期になるまでに、だいたいの人間がそんな言葉が嘘っぱちだと実体験をもって思い知らされる。そうなったとたんに取るべき選択肢は二つしかない。


 この不平等な社会で〝勝つ〟か。

 それとも〝負けない〟ように他者を蹴落としていくか。


 よく勝者は敗者を食い物にするという表現があるが、それは事実の半分しか照らしていない。たしかに勝者は敗者の屍の上に立つ。しかし敗者を蹴落として楽しむのは真の勝者ではない。むしろ〝敗者〟になりたくないと、焦って自分の地位に固執するものこそが他者を蹴落として喜ぶ。

 自分が〝失敗〟者でなくて良かった。その安堵とともに、彼らは〝成功〟者の栄光に憧れ、〝失敗〟者の貧困に憤怒する。おのれが生き延びるために蹴落とし、見て見ぬ振りをしてきたにもかかわらず。


 否、むしろそうしたことを認めなくないからこそなのだ。


 怒りとは、おのれの無力感を効果的に克服する劇薬である。しかしそれはヒトを絶えず正義に導く代わりに、自分の無力を忘れる最も恐ろしい麻薬でもある。


 望月サヤカという人格は、〝失敗〟を、〝敗北〟を恐れた白山菊理が作り上げたひとつの幻影に他ならないのだ。強く、気高く、自分が成り損なったすべてのものを寄せ集めて出来上がった〝成功〟した〝勝者〟の人格──

 そして、おそらく岐庚が最もなりたくなかった〝大人〟の、その実態なのだ。


 そんなものになるぐらいなら、わたしはできそこないでいいし、ばかやろうでいい。

 けれども、そうでもしないと自分の価値を訴えることができないこの世間のかたちについても、怒りの感情がないでもなかった。


「……自分を下げるのに、他人を使うなよ」


 せいぜい毒付くしかできない、おのれの無力さを呪った。


 この複雑でめちゃくちゃな世の中に対して、自分とはなんて無力でちっぽけなのだろう。自然の中の人類、ヒトにたかるハエのようなものでしかない。個人がどれだけの能力を高め、影響力を行使したところで、できることなどたかが知れている。役に立つなんて口先で言えるほどおこがましくもなれない。

 それでも、自分は社会の中に生まれ落ち、自分というものを身代にして社会で生きなければならない。その苦しみは、これまでも嫌と言うほど体験してきたし、これからも経験していくのだろう。


 見上げる。〈首のない巨人〉がなにかを待ち侘びていたように直立している。神虫がここぞとばかりに攻勢をかけて、その身を削りにかかるが多勢を頼みにしても、まるで効果がない。

 あれは、なんだ。なんなのだ。積陰月霊大王とはこの世に降りて何を成そうとしているのだ?


「わたし──」と、言いかけたとき。


「いけ」


 冬堂井氷鹿はやさしく言った。


「井氷鹿」

「あれを止められるのは、岐の術式を継承したきみにしかできない。おれも行きたいが、望月サヤカにやられた傷がまだ酷くて、妖力の出が悪い」


 自身の腹に打たれた〈反転真言曼荼羅〉の痕跡が、まだ残っていた。


「もちろんきみだけでは敵わないだろう。だから、やれるだけやるしかない。ほかの奴らもそのために動いてるはずだ」


 信じろ。応えろ。社会は常に個人に向かって命令形でメッセージを伝達する。

 だから社会で生きるものは、この命令形を受け止めるほどの強さが、したたかさがなければならない。それは良いことではないかもしれないが、いまはそうするしかないのだ。


「わかった」


 庚はついに、擬神器を取り出した。

 金剛鉄拳〈八十(ヤソ)(タケル)崩槌(カムナヅチ)〉。ハンドグローブを外し、アームカバーのように右腕に密着する。装着したとたんにその全身からあふれる妖力に反応し、青白い光とともに無数の梵字を浮き上がらせた。


「いくよ」

「気をつけて」

「井氷鹿こそ」


 跳躍する。猿神の力を解放した庚の跳躍は、さながら弾き出されたスリングショットのような速度で、高く登っていく。

 その背中を見送りながら、冬堂井氷鹿は表情を少しずつ無に帰していく。そして庚が振り返らないと確信したところで、ゆっくりと白山菊理のもとに歩み寄り、独りごちた。


「ゆるせ」


 そして手をかざした。



     ※



 ぴょーん、ぴょーんと短い亜空間跳躍を繰り返した月兎たちは、〈首のない巨人〉の頂きにたどり着くまでにたっぷり三〇秒ほど掛かった。

 その間、待ちぼうけを喰らっていた積陰月霊大王は、巨神の身体を動かすのすらおっくうと言った様子で迫り来る神虫をその魔眼に捉えて撃ち落とすので精いっぱいだった。


 ところが、月兎がたどり着いたとたんに無言で来るように促した。

 月兎が蝦蟇口を大きく開ける。

 その中には望月サヤカの右腕があった。積陰月霊大王はそれを手に取ると、手首の辺りをさすった。摩擦が血の気のない皮膚を浮き上がらせると、すかさず手をかざし、そこに埋め込まれていた黒い石を妖力で引っ張り出した。


 それは妖力を帯びてしばらく空中浮遊をしていたが、ゆっくりと仮面の額にある穴に近づいてかちゃりと嵌った。とたんに黒い石は満月の輝きを帯び、金色の光を満たした。


「ついに、」


 宗谷紫織の口が開いた。しかしその声はこの世のものとは思えない、ゾッとするような響きを帯びた異形の音声だった。


「余の存在を今世に知らしめるときが来た」


 輝きは巨神の頂きからあふれんばかりに暗黒の世界を照らし返したのだった。



     ※



 金色の光が新宿の空を照らしたとたん、ただ歩行するだけだった死者のまなこに、理性と情念の光が灯った。

 それまで記憶と衝動によって動いていた彼らの行動に、知性が取り戻された。とたんに彼らは眼前の景色の意味を理解しながらも、同時に自分が何か大いなる存在によってひとつに繋がっていることも実感した。


 榎本(あきら)少年も、そのなかのひとりである。

 彼がまなざした先には、かつての親友だった寿遼が跪いて嗚咽を漏らしていた。アキラにはその理由がわからなかった。首をかしげ、おもむろに口を開く。


「なにを悲しんでいるんだ?」


 寿遼はすぐに答えようとしない。

 困惑したアキラは、顔を上げる。そこには女性自衛官と安代麻紀の姿がある。


「マキじゃん。なんで自衛隊の人といるの?」

「あ、あんた……それ……」

「ん? あれ、これがどうかしたの?」


 その時、寿遼が叫んだ。


「アキラ! 許して、許してよ! ボクはきみを殺すためにこんなことをしたつもりじゃなかったんだ!」

「え、オレって死んだの?」

「……え?」

「確かに寝てる間になんか溺れたような感じがあったけど、死んだなんて初めて知ったぞ。それがなんで、お前が謝ることになるんだ?」

「……それは」


 無邪気な問いに、寿遼は口をつぐむ。


「なんで答えられないんだ?」


 榎本輝はだんだんと苛立ってきた。何から何までおかしい。せっかくひさしぶりに会ったと思ったらみんなが自分を〝いてはならない存在〟であったかのように眼差している。


「なんで死んで蘇ったらいけないんだ?」


 人が死ぬ。そのぶん社会の構成員が減って空白地帯ができる。

 そのはずなのにも関わらず、生き残ったものは死者のいた場所を乗っ取るかのように新しい生活を築き上げていく。


「おいおい。そんな顔で見るなよ。なにも気まずくないだろ。むしろ喜んでも良いじゃんかよ」


 しかし、その場に居合わせた人々は、死者を受け入れられずにいる。

 困惑。

 混乱。

 拒絶。

 せっかく死を受け止めたばかりだというのに、その後の生を立て直したばかりだというのに、なんでいまここに戻ってきたのか。


 そんな疑問符が、榎本輝以外のあまりに多すぎる人間たちの──新宿災害だけではなく、年代を跨いで積み重なってきた古今の死者の群れに対して降り注ぐ。


「どうすれば」


 女性自衛官も言葉に詰まった。


「オレたちはここにいるんだよ。()()()()()()。あの冷たくて暗いところに戻さないでくれよ!」


 泣き言のようにも聞こえるその声は、後から無数の声を積み重ねて、悍ましいほどの主張に変わる。

 わたしたちはここにいる。生きている。だから世話をしてくれ。どうすればいいんだ。別れた家族と会わせろ──


 声が入り乱れるなか、地響きがした。


 どよめく死者たちが振り向く。そのうちひとりが「怪獣だ!」と叫んだ。

 見ると、ライゴウがいた。体長十メートルを超えたネズミの巨躯がビルと瓦礫の山をかき分けて君臨する。


 ふーっ、ふーっ、と生臭い息を吐き出しながら、腐臭にまみれた体毛をふるわせる。

 その様子を目の当たりにした死者は、急にパニック状態になった。ワッと堰を切ったように群衆と化して新宿郊外へと駆け出す。なだれ込む。


 ライゴウはその人の流れを見つけて、彼らの後に続くことを決めた。身構え、走る姿勢を取る。どどどどど、と多くの死者を蹴散らしながらそれは、榎本輝や寿遼、安代麻紀や女性自衛官のいる場所へと迫り来た。


 ああ、もうだめだ。


 そんなことを思った時、彼らの頭上に飛び出す影があった。それは空を裂くように、たたたたたっと宙空を駆け上がると、大きな金棒をブンと振り回してライゴウの大きな横っ面を殴り倒した。

 ずぅん、と激しい音と瓦礫を伴って、ライゴウはビルにのめり込むように転倒した。その反動で反対側のビルに着陸した小柄の影は、さながら韋駄天少女──


「諦めちゃ、ダメ!」


 宣言するように、彼女は叫んだ。

 その少女こそは、東海林飛鳥であった。

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