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超常捜査官:岐庚 〜アサルト・オン・ヤオヨロズ外典〜  作者: 執筆・八雲 辰毘古/監修・金精亭交吉
File3:信じるものは掬われる
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50.蟲たちの呼び声

 神の虫。そう書いて神虫(シンチュー)と読む。

 彼らは元来怪異の中では珍しく、鬼神の類いを喰らう側である。


 もともと人界に現れる怪異は、妖怪化物の形象をもって人間に恐れを抱かせ、時としてこれを捕食する強者の位置付けを持つ。

 この生態について現代科学はいまだ答えを出すことができていない。ある種の妖怪については哺乳類以前の生態系を引き継ぐからこそ、単なる下位生物としてヒトを扱う習性が残っていると説明されるし、ある種の怪異については人類の生み出した業の産物であり、いうなれば〝自業自得〟だとしている。しかしそのどちらも包括的な説明をなしておらず、単なる「それまで知られていなかった生態系」としての〈妖怪〉概念が成立しているばかりとなっている。


 神虫は、その中でもいわゆる〝善玉〟の位置付けなのであるが、それもまたしょせんはヒトから見た時のひとつの目線にすぎない。


 無数に飛来するその群れは、さながら飢饉の時に空を黒く覆い尽くしたと言うイナゴの大群の原風景を彷彿とさせる。

 人びとはその壮大な景色を前に絶句する。なによりも東京の副都心を圧倒せんばかりの巨大な二足歩行体が君臨するさなかに、それはやってきたのである。


 最初は雷雲の到来かと思われたそれは、赤黒い月明かりに照らされていくうちに、流動的なものであり、風の速度で飛びきたったものであると察知される。近づくうちにそのひとつひとつが一軒家に匹敵する大きさであり、ハエのように、否、それよりも複数の翅を持った不可思議な蟲として、迷うことなく直線的に巨神に立ち向かっていく。


 対する巨神はまたしてものろのろと大ぶりに腕を振るい、まるでハエを振り払うようなそぶりでこれを叩き落とす。

 もちろん全てではないが、そもそもが大きな腕であって、そのひと薙ぎで副都心の超高層ビルが一気に切り崩されていく。


 その崩落と併せて撃ち落とされる神虫と、それでもなお抗って巨神の腕・胴体に噛み付いて生命を削っていくさまは、人智を超えた世界である。


 山崎ひかりは、虎落丸とふたりだって来た道を戻りつつ、この景色を驚愕のまなざしとともに迎えていた。


「あのときと、同じ」


 かつて皇重工ビルの調査をした時、飛来した神虫の群れ。あの時も黒い巨大な腕が迎え撃って全滅していなかったか。

 黒い腕がまだ積陰月霊大王の妖力の具現化だとは知らずにいたものの、いま見るとそのヒトの力を超えて行われる闘いの延長線上にいる自分たちの小ささに、慄きすら覚える。


 ビルの破片と神虫の亡骸が飛び散り、降り注ぐこの地は地獄の方がましかと思うほどの惨状だった。


《ウワー、コ、コレハヒデェヤ》


 そんななかで戦う主人(あるじ)たちを案じないでもなかったが、ここまでの大破局世界(カタストロフ)が展開すると、「帰れ」と無下にした冬堂井氷鹿の優しさすらうかがえたものである。

 虎落丸はむしろホッとひと息吐いている。まだ妖力を使いこなせない山崎ひかりをおぶさって、カマキリ形態で飛翔するという形をとっていた。


 その手には、擬神器はない。

 取りに戻る余裕がなかったのだ。


 着の身着のまま、体ひとつを引きずって彼らはここまで逃げるように退いてきた。

 しかしこの有り様では安全地帯などどこにもありはしない。


 まるで生きとし生けるものすべてが大海のなかに遭難したみたいな、そのような絶望がある。そこには出口はない。ただ大きな災厄だけがあり、安全な場所を求めて互いに相争い、それでも寝首をかかれ、決して居場所が与えられない無秩序だけがある。


「まるで、ノアの大洪水」


 ぽつりとつぶやく。しかしその言葉の意味を考える余裕など、誰もいなかったのだ。



     ※



「ああ、もうだめだよ! 逃げても無駄だ! 無駄なんだって!」


 寿遼が狂ったように叫んで身をよじる。その暴れようは常軌を逸しており、女性自衛官はついに彼を拘束しきれなくなっていた。

 安代麻紀は、その有り様に苛立ちを隠しきれなかった。


「ふざけんな! あんたたちがやったことじゃないの!」

「ちがうよ! これは因果なんだ! 僕たちの生きている世界が重ねた誤ちの果てにある災厄なんだよ!」

「マキさん、この人と話しても無駄です」


 女性自衛官が諭す。寿遼はよろよろと立ち上がって、そのまま来た道を戻ろうとする。

 それを見送ろうとするふたりだったが、そこで繰り広げられた光景に唖然とした。


 無数の蟲に覆われた黒い巨人。その足元で泥みたくはね飛ぶ黒いしぶき。そのうちいくつかは彼女たちの頭上を平気で通り越して、投石機の一擲のように街を粉砕していく。

 さっき、蟲の一匹が三つ先の通りのビルの上階に当たって建物ごと砕け散った。おかげで彼女たちの目指していた退路は瓦礫の山と粉塵の突風に早変わりする。とっさに隠れた影で砂塵を直に浴びることは避けられたものの、少年の言う通り、どこに向かっても助かるなんて夢のようだった。


「これが……これのどこが〝救済〟なのよ」


 安代麻紀がこぼす。まるでこの世のできごとだとはまだ信じたくないような表情を浮かべながら。

 しかし女性自衛官は首を振った。諭すように語りかける。


「あなたがまだ産まれる前のときにも、似たようなことがありました。その時も宗教団体によって、まさかと言う時に起こされた事件でした。テロというのは得てしてそういうものです。わたしたちが気持ちよく眠っている間にすでに物事は始まってます。目覚めた時にはもう遅いんです」

「……じゃあ、どうすればいいんですか」

「どうもできません。すでに起こったことですから。わたしたちにできるのは生き延びることです。誰かを責めたり、どうして起こったのかを考えたりするのは、その後で良い」


 惨事が起こされたとき、われわれはついついその主犯を見つけて痛罵する。

 法律がその犯行をどれだけ列挙し、量刑を実施しても「まだ足らない」と過去の所業を洗いざらい吐き出させる。すべての罪が整列し、残らずきれいに処分されることを民衆はいつしか望むようになる。この場合、処分というのは不快に感じた気持ちとともに消えて無くなることを、とにかく住んでいる圏内からの永久追放を意味する。


 しかし、それではだめなのだ。


 少なくとも、それは法治国家のやり方ではない。ヒトがヒトに対等に接するというのは──異なる言論や主張を許容するということは、決して他人の態度を〝そういうもの〟だと決めつけることではない。ましてや、〝そういうもの〟と自分の間に線を引いて、他人事だと遠ざけておくことでもないのだ。


 「許せない」という気持ちは、少なからずどこの誰にでも備わって発生する感情の一種である。それはおそらく、よほどのことがない限り大勢の人間の情動に当てはまる。

 しかし、何がほんとうに「許せない」のか。それは実に説明し難いものに基づく。


 心地よいものを壊すから「許せない」のか。気づいた時にはすでに手遅れになっている罪悪感を覆い隠したくて奮い立つから「許せない」になるのか。

 それとも、自分の言葉や行為の無力さを、何かで誤魔化して酔っていたいから「許せない」気持ちで繕うのか──


 ヒトはたくさんの感情をその場しのぎで排除していく。めくるめく日常の中であまりにも多くの情報を浴びて、記憶することすらままならないまま、振り向きもせずに背後に向かって無邪気に放り投げていく。

 それが次第にひとつの塵山を築き上げ、ふとした拍子に崩れ落ちるまで、まるで意に介そうとしない。そして崩れた時に思い出す。「なぜ」「どうして」……原因訴求の魔法の言葉が、まるで過去の誤ちを指摘するように捨ててきたものの価値を訴える。


 もし、人間がこうした失敗と反省を通じてしか物を学ぶことができないとしたら、文明が丸ごと背負ってしまった誤ちを、どれほどの破滅によってその反省を促すことができるのだろうか。それを思い出すに値するだけの大破局とは、いったいどれだけの苦しみを甦らせる必要があるのだろうか。


 そして、もしその時が来た時、ヒトは立ち向かえるほど強くしたたかでありうるのだろうか。


「はい。こちら佐藤──」無線が鳴った。女性自衛官がそれを取った。


 しばらくの会話ののち、女性自衛官は神妙な顔で安代麻紀に告げた。


「戻ります」

「えっ、なんで!」

「もう逃げ道を探す余裕はないですし、気になる情報が入りました」

「……」

「信者が自殺を始めているそうです」

「……え?」


 なんで、という言葉が異なる響きを伴って喉からこぼれた。


「わかりません。ですが、これが彼らの〝答え〟だとするなら、わたしたちは止めに行かないといけません」

「…………」

「すみませんが、これは任務です。わたしはあなたを守りますが、彼らもまた、守る対象なんです。お付き合いください」


 俯く。しかし安代麻紀には、あえてひとりだけ逃げ出すほどの勇気も度胸も、卑怯を引き受ける強さもなかった。

 女性自衛官の後に続くその足取りは、ただ置いていかれないための必死の抵抗だった。


 なぜ。どうして。あんなやつら。


 そんな気持ちがむかむかと湧いて出る。怒りもあるし、悲しみもある。たまたま付き合いがあった人たちが、みんな事件の関係者で、自分に関係ないはずなのに、自分が当事者になっていくこの感じが、たまらなく無力でむかついて、居心地が悪い。

 それでも、さっき寿遼を()った手が虚しいほど痛かった。


 いくつかの道が瓦礫と巨大な蟲の亡骸で埋もれていた。虚ろな目が空を向く。ふだんなら目を逸らしたくなるほどの気持ち悪い蟲の作りが、この時ばかりは宇宙船の残骸のように無機質で絶妙なデザインに見えた。


 かつての都市の痕跡を、くぐり抜けるようにしてふたりは御苑に戻る。その途中で、彼女たちは黒い人影の群れと、たたずむひとりの少年を発見した。

 駆け寄る。やはり寿遼である。しかし彼は茫然自失と立ったままで、近づいてきた彼女たちには見向きもしない。


 その目は黒い人影の群れの、ただ一点を見つめている。


「あ、ああ……ごめん。ごめんなさい。ごめんなさい……」


 がっくりと膝をつく。安代麻紀もその先を見て言葉を呑んだ。

 榎本(あきら)のすがたがあったのだ。

 ただし、それは死者の一群のなかの、ひとりとしてであったが。



     ※



 平田啓介は新宿の路上で死者の群れなすなかにたたずむ。その顔は冷たい汗がしたたり、苦しげな表情を浮かべている。

 右手には、銀の弾丸のリボルバー。しかし一発も放つことなく、虚しく垂れ下げる。


「おまえ……ほんとうにそれでいいのか?」


 問う。その言葉は意味もなくただ中空を舞っていた。

 しかし。それでも平田啓介は怒りと共に叫ばずにいられない。


「こんなことのために、おまえは戦ってきたわけじゃねえだろ!」


 彼の前には、虚ろな目をした大国忍の姿があったのだった。

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