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超常捜査官:岐庚 〜アサルト・オン・ヤオヨロズ外典〜  作者: 執筆・八雲 辰毘古/監修・金精亭交吉
File3:信じるものは掬われる
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49.蛙の王

 赤黒い月を飲み込まんばかりに屹立する首のない巨人──それがいよいよ歩行を開始しようとするその場面において、足元では無数のヒトの形をしたモノがぞろぞろと外に向かって溢れ出していった。

 その様子を見ながら、吉田恂は焦りを覚えていた。


 満身創痍の自身の身体は、護法童子の右近に委ねている。

 左近は弓削倫子を保護してともにこの危険区域を離脱しようとしていたが、ここまで事態が逼迫すると、作戦区域で安全地帯などあるのかと疑問に思ってしまう。


 そんなさなか、彼は上司がスマホ片手に孤軍奮闘するさまを見つけた。


「平田さん!」


 呼びかけられて、初めて平田啓介は気づいたようだった。


「あ、なんだそれ! おまえそんなの持ってたのかよ! いいなァ!」

「平田さん、いまそんなこと言う余裕どこから引っ張り出したんですか!」


 着地する。平田は左近の抱えている人物を見て顔をしかめる。


「ま、いいけどよ。おまえいつからそういうのやるようになったんだ?」

「良いじゃないですかべつに!」


 そっけなく怒る吉田を尻目に、平田は西新宿で立ち上がったそれを見上げた。遅れて吉田もこれを見るが、あまりの大きさにぞくっと背筋を凍らせた。


「あれ倒せるんですか?」

「いや、あれは実体じゃない」

「え?」

「積陰月霊大王についての記述はたしかに文献では全くと言っていいほどないが、〝でいだらぼっち〟だったなんて話はない。あれは、強いて言うなら『見えるほど膨大で強力な妖力の塊』ってところだろうよ」

「えええ」

「たぶん、うかつに触れたら死ぬぞ。溶鉱炉の中みたいなすげーことになってるはずだから」


 見上げるその先──頂上は見えない。


「あれどうやって倒すんですか?」

「もう倒す倒さないの問題じゃねーよ。あんなん人力でやれるわけねーだろ」

「じゃあどうすんですか! これを止めるためにぼくら頑張ってたんじゃないんですか!」

「そうだよ。でも間に合わなかったってことだな」

「そんな……」


 がっくりうなだれる吉田。しばらくして、平田はめんどくさそうに肩を叩く。


「嘘だよ。百パー安全だとは言わないが、善後策は打ってる。だが、それにしてもやべーのはやべーんだ」

「……どういう」

「結界が壊された。たぶん外で信徒が暴走している。もうじきここにも来るぞ」


 平田の顔は険しい。


「いま増援を頼んでる。だが、結界石をもう一回起動できなきゃおれたちの計画はご破産だよ。あんなの、米軍でもどうやりゃいいのかさっぱりわかんねーしな」

「…………」

「吉田よ」

「はい」

「悪いが降りてあっちの援護しちゃくれないか」

「……」

「そんな嫌そうな顔してくれんなよ!」

「わかりましたよ。やりますよ。もう」


 ため息。


「おそらく結界石の機構ごと壊されてるはずだ。だが、妖力レーダーやその他の装置をうまく繋げば術者の術の増幅器にはなる。そこんとこ、まじで頼む」

「……特別手当」

「なに?」

「せめて功労賞でもください。やってられません!」

「……わーったよ。なんとかしてみるから」

「言質とりましたよ? ほんとに良いんですね!」

「さっさと仕事しろ! 世界の危機なんだぞ!」


 吉田はそのまま護法童子とふたりだって移動してしまった。

 ようやく喧騒から逃れた平田啓介であったが、以前表情は険しい。


 見下ろす。そこには無数の人影が群れなして歩行している。

 死者の行進。一言でいえば、それはまさにそうしたものだった。


「さて。おれはどうしたものかな……」


 別に早く動けるわけでもない。状況をモニタリングして連絡役に徹するしかないだろう。そう思っていたのだが。

 眉をひそめる。人影の中に、いつか見た記憶のある人物が紛れているのに気がついた。


「……くそっ」


 やっぱり自分が出るしかないのか。その確信が、平田啓介を行動に駆り立てた。



     ※



 先手は庚だった。組み打つ腕。交差してひねりを加えたかと思ったところに望月サヤカの蹴りが入る。しかし庚は自身の体を捻ってもんどり打った。中空に舞うさなか、「引力自在」が生み出す対空時間を利用して反撃の手を緩めない。

 迎え撃つ望月サヤカの組み手も的確だった。彼女はやがて庚の足首を掴むと唐棹を地べたに叩きつけるように強く振り下ろした。


 しかし庚は片腕でコンクリートの地面を押しつけて、これを耐えた。そのまま旋回し、望月サヤカの拘束を免れる。

 間合いを取った。またしても、格闘はリセットされた。


 沈黙の緊張。だが、望月サヤカは急に微笑んでみせた。


「〝猿神〟の力のなんたるかを、ようやく理解したといったところかしらね」

「…………」


 無言でもって応える庚。息は整然としている。


「さしづめ岐甲太郎に頭を下げてきたのでしょう。あの男、さすがに何を考えているかわかったものではなくてよ」

「よく知ってるよ。親だからな」


 苦々しい気持ちがある。


 他の同僚が捜査に身を張っていた一方で、庚だけは平田に相談して朝霞の方に離れていた。たまたま使えた場所がそこだったと言うだけだが、庚は自身の父とともに特別訓練に勤しんでいたという次第である。

 かつてヒトを人とも思わないその口ぶりと態度に生理的な嫌悪感を覚えていた庚であったが、いまとなってはそう言っていられない。利用できるものはなんでも利用しろ。平田の言葉が彼女の背中を押して、背に腹はかえられぬと括ってきたのである。


 かつて戦後の術師の中でも相応の巫覡(かんなぎ)として知られた(くなど)甲太郎である。その血筋は来名戸(クナト)祖神(サエノカミ)に由来するが、これは道を〝さえぎる〟神として見られるが故に、道祖神として見なされ、記紀の解釈から猿田彦と習合したといういわれがある。したがって岐家は代々猿神を受け継ぎ、国の行く末を占う立場を請け負っていたのであった。


『しかし猿神の本質を見誤ってもらっては困る』


 訓練の際、岐甲太郎はそう付け加えた。


『猿田彦とは、本邦における〝猿神〟の(あざな)に過ぎない。古今東西、神話において〝猿神〟とは賢者であり、戦士であり、王でもあった。ある時はその名をハヌマーンと言い、ある時はドゥナエー、「内臓を晒すもの」として知られた。中でも西欧の神秘思想では「三重に偉大なるもの(トリスメギストス)」の称号とともにヒヒの姿を与えられたこともある。〝猿神〟とはそのような世界に散らばった力のシンボルなのだ』


 かつて、ヒトはサルだった。


 悠久の時が流れて、樹を降りてきたそれは、平野で道具を作り、共同体を打ち立て、種を蒔いた。数々の失敗の果てに知恵をつけ、進化の闘争を経て現代に至る数限りない技術文明を極めてきた。ヒトの生命にはサルの記憶がうずくまっている。

 ならば、サルとはヒトの先導者であり、歴史に先んじて生と死を天秤に掛ける先駆者でなければならない。


 だからこそ、ヒトはサルを可愛がると同時に畏れ、複雑な思いとともに物語に語り継いできた。その最も新しく、最もヒトの口に語り継がれてきた名前こそ──


「斉天大聖:孫悟空」


 望月サヤカのくちびるが、その名を唱えた。


「天の力をこの世に導くもの──その力はあってもらっては困るのよ」


 初めて彼女の声に怒りの響きを感じた。岐庚はふしぎと余裕があった。


「なぜ怒る?」

「怒る? わたしが?」

「ああ。怒っているように見える」

「そう……なんでかしらね」


 鉄扇を広げる。その背後に口元を隠しつつ、背後からゆらゆらと揺れ動くものを感じた。

 幻術だ。庚は察した。

 とっさに飛び出す庚──しかしその拳が望月サヤカを捉えたかと思ったところに、まるで木の葉の茂みに腕を突っ込んだような錯覚があり、望月サヤカの全身が青い蝶々の群となって飛び立った。煙に燻されたように視界が覆われる。両腕で庇いながら、蝶々の飛んでいった先を目で追いかける。


 しかしその背後から強い衝撃を感じて、仰け反る。

 感覚が、これは鉄扇を脇腹に叩きつけられたと理解していた。


 すかさず反撃する。しかしそれもまた幻。


 蝶々の嵐が庚の四方を囲い込む。望月サヤカの嘲笑う声が谺する。そのさなか、必死に格闘しようとするも、不意をつかれて徐々に体力を奪われる事態になってしまった。


 さて、この事態を遠目で見ていたのは、虎落丸たちである。

 正確には虎落丸が背負ってきた冬堂井氷鹿と、ようやく意識を取り戻した山崎ひかりの合計三名だ。


「あいつは……」


 口を開いたのは、冬堂井氷鹿だった。


《オヤ。オ目覚メデスカイ》


 虎落丸がふざけた口調で応答する。

 山崎ひかりは目を凝らして、戦いの様子を見守っていた。しかし──


「よくない。あれは、幻術」


 こぼす。


「望月サヤカの得意技だ。庚がいくら力を付けたとはいえ、当たらないなら意味がないからな」

《……アノ、元気ニナッタナラ、降リテモラッテモイイ?》

「……そうか。すまない」

《モノ分カリノイイひとッテ、サイコー》


 その一言でどれだけ庚に酷使されてきたかを物語ろうとする虎落丸であった。


「いま、いけるか?」


 井氷鹿が尋ねる。


「いえ。妖力の回りが、よくない」

「急所を突かれたか」

「みたい」


 井氷鹿はあいにく、これを改善する術を持ってない。


「そうか」


 なら、おれが行くしかないか、と満身創痍の体をもう一度奮い立たせた。ピリッと鳴ったような気がしたのは、空気が文字通り凍った感触そのものだった。

 山崎ひかりは、しかし物おじしない。


「やるの?」

「ああ」

「そう」

「あなたは無理しないでいい。積陰月霊大王も動いている。あれを止める側に回るべきだ。しかしおれたちは、望月サヤカに用があるからな」

「……わかった」


 ここで虎落丸、激しく自己主張。


《ハーイ、ぼくハ? ぼくチャンドウスレバイイノ?》

「おまえは帰れ」

《(´・ω・ `)ショボーン》


 たまたまついてたスマートフォン。そのディスプレイに堂々とアスキーアートを表示する虎落丸だった。



     ※



 天と地を引き裂くがごとく君臨する巨神はおもむろに空を見上げると、まるで匂いでも嗅ぐかのように小刻みに震える。

 やがてゆっくり、ゆっくりと動き出したそれは、足を上げるのにたっぷり一分近く掛け周辺の建築物など積み木のようにことごとく薙ぎ倒すありさまだ。


 その破壊に振り回されるのは人間だけでない。黄泉に埋もれ、ふたたび目覚めたばかりの死者の肉体をも、泥遊びで跳ねるかのように飛び散らす。

 怪獣もまた、例外ではない。目覚めたばかりの鉄鼠:ライゴウは自身の自我を取り戻すよりも前に瓦礫の崩落に出くわして、あわてて逃げ出した。混乱。パニック。その狂乱のまま突っ走ってはみるものの、それでさらに死者の群れが蹴散らされる。


 いったいこれのどれが、王道楽土であるのか。

 いったいこれの何が、浄土であるというのだろうか。


 蘇る過去と、先行きの見えない未来が、ともに現在の地点に向かって殺到する。この混乱は断絶よりも激しく、怒涛の渦を巻いてその場にいるものを、恐怖すら通り越した茫然自失の状態へと追い込む。


 断絶は常に〝いま〟と〝ここ〟を指し示し続ける。

 そして、その裂け目は時空の狭間から神話と歴史と記憶のないまぜになった瞬間をこそ降臨させるのだった。


 集団的記憶の伏流水が、歴史的出来事の象徴的なきらめきに巡り合う。そのあぶくの中から、どこにも向かうことのない無の未来──その支配者の君臨が訪れる。


 殺戮邪神(タナトス)


 虚ろな悲鳴にも似た鳴き声をあげて、積陰月霊大王そのものがついに実体化したのだ。その外見は石でできた仮面を被り、両手両足が蛙の手足に似る。

 しかしその姿をまだ誰も目の当たりにしていない。ただ、それはそこにあり、この世の破滅を見物するように、少女の傍らにあり、その眼を借りて世界をまなざす。


 ぐるりと左見右見、ふとその視線の先に黒い雲のようなものが徐々に大きくなっていくのが見えた。

 そこで、巨神は脚を止めた。

 ちょうどその時、御苑近辺から発信された無線が妖力レーダーによる新たな怪獣の登場を報告していたのだった。


《また反応です! 今度は外から! あれは──神虫(シンチュー)です!》

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