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超常捜査官:岐庚 〜アサルト・オン・ヤオヨロズ外典〜  作者: 執筆・八雲 辰毘古/監修・金精亭交吉
File3:信じるものは掬われる
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47.ねぶりの夜が明ける時

 ぎゅっ。ぎゅっ。ぎゅっ。


 締め付けられるような感覚。それで〝彼女〟は目覚めた。

 ここはどこだろう。いったい何があったんだろう。


 まるで、長い夢を見ていたみたいだ。


 きっとそれは美しい夢。かつてこうだったらいいなと思う生活と振る舞いの積み重ね。顔に傷もなく、ごく普通の生活が送れたころの幸せな思い出の、途絶えてしまった放物線の延長にある人生の走馬灯だった。

 思えば、もっとうまくできたはずのコミュニケーションなんて山ほどある。


 あの時こうしていれば、ああしていたら。


 そんなタラレバがたくさん、たくさん、後悔とか失敗とか、そんな言葉でラベリングして積み重なっていく。

 開いた眼でふもとを見下ろす。ああ、見るも悲惨な景色だ。人がいっぱい死んでいる。たくさんの人の想いが錯綜している。


(どうして? なんで? ここはどこ? わたしはどうやって?)


 みんな自分が死んだ理由を訊いている。答える人はいない。ただみんな質問するだけ。でも、死んだ理由なんて分かりっこない。もしわかるんだったら、誰も悲しくなんてならない。苦しみなんてものも背負わない。

 それがどうしようもなく、理屈でもなく、納得できないものだから、人々は戸惑い、苦しみ、悲しみを抱え込んでしまうのだ。


 失敗の歴史。うまくいかなかったがゆえに振り返って蓄積した後悔の歴史。

 それが溜まりに溜まって、都心を浸す汚泥と化していた。


 おいで。こっち来なよ。〝彼女〟は呼びかけた。すると亡者たちは導かれたようにずるずると身を起こした。みんなでこの世を起こしに行こう。みんなが忘れて平気な顔をする前に、思い出させてやろう。

 わたしたちはここにいる。わたしたちがここにいる。てね。



     ※



 望月サヤカは振り返る。そして死んでしまった千柳斎東厳の目を優しく閉じた。


「ごめんなさい」


 哀悼の意を示す。ここで初めて彼女は涙を流していた。


 しかしそんなことは、遠目に見ていた山崎ひかりと猫依沙月にとっては知らぬ存ぜぬのことであった。


「なんで、あいつが……(ユエ)は?」


 山崎ひかり、我を忘れて考えが漏れて出る。

 しかし猫依の考えは異なった。


「まじか。あの研究は完成していたのか……それじゃあ、東厳が命を捧げるわけだ」

「あの研究?」


 説明せよ、とその目は訴えかける。


「人格改変の実験だよ。結社が導入しようとした〝自己啓発〟の成れの果てだ」


 そういえば、山崎ひかりは思い出す。平田啓介が〝極秘〟として中核メンバーに説明した内容に、望月サヤカの本名:白山菊理(ククリ)なる人物が検体として登録されていやしなかったか。

 てっきりあの時は、実験の成果で獲得したのは常人離れした妖力と術式だけで、名前が違うのは裏社会に溶け込むためのコードネームなのだと思っていた。


「次世代の指導者になるための〝完璧な〟人格──部下を褒めて煽てるしたたかさ、判断を誤らない自己批判能力、大胆不敵な行動力、個人で戦う作業処理能力、エトセトラ。とにかく変数の多い世の中だ、これをうまく渡るにはほぼすべての能力をひとりの人間が備えてなきゃいけない。そんな人間が仮に可能だとしたら、どんな人間か。政財界をリードする〝完璧な〟人材なんて、いるとしたらとんでもない超人だ。そんなものを考えるのはドイツの哲学者ぐらいだろう」


 だが、あいつらはそれをやったんだ。猫依の言葉は、空を飛んだ。


「アメリカでそういう人格コントロールの実験があったのは知ってた。中東の戦争でもいくつかそういう事例の実例みたいなのも結社の情報で聞き及んでいたよ。だが、まさかそれがこの国に持ち込まれて、実現してたなんて思いも寄らなかったさ」


 そう言いつつも猫依の脳裏では納得の二文字が過っていた。国際的に成功している企業ほど、その末端の社員の教育制度が軍隊のそれに似る。もちろん軍隊のような厳しい訓練をするわけじゃない。人権を脅かすような悍ましいやり口なんてものは、そうそう出てこない。だが、マネジメントの手法とは軍隊の戦術論の延長線上にあり、企業人は常に軍隊のように忠実で的確な部下の在り方に憧れを抱いてきたものだった。

 それなら、企業人が求める〝理想の上司〟とは、〝理想の指導者〟とは、いったいどこからどのように持って来られるのだろう?


「もし、おれの仮説が正しいなら、〝望月サヤカ〟ってのは『決して感情的に怒らず』『人を喜ばせ』『みんなの幸福に向かって指導する』そういう指導者の人格だ。あくまでそれはそういうキャラクターなんだよ。だからほかの役割が必要なら、その人格が出てこないといけない。そして、人格が変わるたびに見た目が変わるタイプの多重人格ってのは確かにいるんだ……」


 言われてみれば、たしかに(ユエ)と望月サヤカは似てるようにも見える。だが言われてみないとその共通項はわからない。髪型は全く異なり、目鼻立ちもやや変わっているように見える。何より目つきと口調、妖力の質が異なる。他人の空似だとひとり合点するような、ほんの微妙な差異なのだ。


 いま。そのほんの微妙な差異が、修正される。よく見ると、山崎ひかりが傷付けた頬の切り傷が、望月サヤカの顔にも付いているではないか。

 その彼女が、ついにこちらを見た。


「ふたり、ね」


 さすがにふたりはきついわね、と望月サヤカは冷静に言い放った。

 指を鳴らす。とたんに空間が最初から紙でできていたかのようにそれが激しい音を立てて食い破られた。


月兎(げっと)


 亜空間から捩じ込まれたようにその肉のない体が押し出される。機械的なソリッドな脚部にジッパーのようなでこぼこした口。ウサギであることがかろうじてわかるほどのとんがった耳がふたつ。それが、左右に一体ずつ現れた。

 ニタリと笑うその口元が、どこにも通じてない底知れなさを予感させた。


《デバンですか》

「あの犬神憑きを牽制してなさい。殺してはダメよ」

《えー》

《なぜだ》

「〈月卿(まえつきみ)〉の使者だもの。うかつに手を出すとあとで大変なことになるわ」

《ふーん》

《ニンゲンのリクツはわからんな》

《まあいいや》


 ぴょーん、ぴょーんと飛ぶそのさまは、六分の一重力の物理法則を地球にそのまま持ち込んできたかのようである。非常にゆったりと空間をまだるっこく、しかし優雅に飛び出して行った。

 身構える猫依。傍らの犬神を二匹、具現化させる。


 ところが──


 目にも止まらぬ速さで()()は飛び込んできた。

 さながら空間を圧縮したかのように、点から点への移動。ジャンプ。瞬きひとつで時間が切り取られたような錯覚。月兎の顎が犬神の一部を抉り取った。


 きゃいん、と鳴く間も無く、犬神が消し飛んだ。


「犬鬼……!」


 すかさず、もう一匹を喰らおうと、それは動いた。

 しかしほんの数瞬間で、猫依の判断は早かった。月兎の飛び出す寸前に身を捻って犬神を隠し、内なる獣の中に戻した。おかげで空を切ったもう一匹の月兎だったが、彼らは面白そうにケタケタと顎を動かすばかり。


 ジッパーみたいな口元が、カパカパと虚しい音を立てて亜空間を見せびらかす。


「くそっ」


 猫依は無理をした。先ほどから繰り返し使用している〈内なる獣〉の解放──これは生来受け継いできた犬神の本尊としての身体を、その動物性に向かって差し出す行為そのものであったが、すでに二度解放されたそれは、少しずつヒトとしての理性を蝕んできている。一日に何度も繰り返して良いことではない。

 しかし猫依はいまそれをしないと、死なないにしても身体をいたぶられるのは必定と察したのである。


 瞳孔が縦長に収縮し、頰から血と傷跡が芽生える。犬歯が徐々に伸びてきて、筋骨が捲れ上がるように緊張した。


「ううウウウ UUuuuu……」


 唇から、煙のように生臭い息が漏れた。闘気が、殺意と化していく。


《おやおや……》

《おやおやァ?》

《コマったねえ》

《コマっちゃったねえ》

《これでは》

《これじゃあ》

《コロすしかないでは》

《コロす以外は》

《ありませんか》

《難しいねえ》


 ぴょーん、ぴょーん。彼らの跳躍は空間から亜空間へ。亜空間から空間へ。まるでジグザグに、点から点にジャンプするように移動する。その気になれば一瞬で背後から不意打ちができるというのに、彼らはまるで生命を弄ぶように跳躍し続けていた。

 その様子を第六感まで駆使して観察しながら、猫依はあることを思い出していた。


 それは平田啓介の忠告だった。


『望月サヤカに出くわしたら、あのウサギに注意しろ』


 彼はその猛攻から生き延びた数少ない人類のひとりだったろう。というのも、それを見て生きていた人間はほとんどいなかったのだから。


『とにかくウサギとしか言いようがない。だが、それは地球上のどの生物にも似ても似つかない。妖怪なのか、生物なのかも怪しい。だが、そいつは人語を話すし、ありえんほど強い』


 特に口だ。その口に噛まれれば、痛いとか言ってる場合でなく、亜空間に分解して消えてしまう。

 即死。まさにそう呼ぶしかない圧倒的な恐怖である。そんな奴にどうやって生き延びたんだと猫依が訊くと、平田はこう答えた。


『奴らでも食いたくないのがあるらしい』


 それを聞かされた時、猫依はなんとも呆れたものだった。

 いま、猫依の手札にそれはない。だがあるように見せかけることはできる。それで多少は牽制になるだろうか。


「まあ、殺すなの命令を聞いてくれるんだったらそれでいいけどよ……」


 一方で、山崎ひかりと望月サヤカの戦いは(ユエ)だった頃から次いで第二フェーズに差し掛かっていた。

 再び空を歩く望月サヤカ。今度は彼女自身も結界術を用いて平然と空中歩行を展開する。つられて歩き出す山崎ひかり。ビルとビルの間にある中空に、まるで透明な歩道橋でもあるかのように、ふたりは相対する。


 すかさず刀を執る。


 大上段から振りかぶった望月サヤカの大胆不敵な攻撃に、下から煽るように水曜刀の鋒を横に薙ぐ。しかしこの一撃は思わぬ角度で回避された。よく見ると望月サヤカの立ち位置が結界ごと背後に後退し、迫り上がっているではないか。

 結界そのものの移動──足捌きや身体技術のみならず、並行して自らの足場を構築する結界そのものを流動的に操作する。望月サヤカは、常人であればまとめて考えるにはあまりにも複雑すぎるその一連の動作をすべて計算の範囲に入れて、思わぬ角度から必殺の斬り込みを掛けるのだった。


 対する山崎ひかり、自らの足場を無くすことでこれを回避する。重力加速度の勢いで降下し、すかさず反転して結界を足場に跳躍。

 後を追いかける望月サヤカ、ツカツカと中空を歩み、「引力自在」の呪符からさまざまな角度で応対する。


 飛ぶ。跳ぶ。

 さまざまな結界が、あちこちにできては消え、その間に線を引くように、山崎ひかりは飛んでは、刃を避けた。


 望月サヤカがその軌道を読んだつもりでも、すかさずフェイクの結界場を組み、回避する。直線に見えた折れ線軌道だったり、曲線軌道を途中で止めて急降下したりと頭脳のかぎりを尽くして翻弄する。

 立体的な足捌き。俊敏さと判断力と三半規管が織りなすこの翻弄は、さすがの望月サヤカも舌を巻いた。


「さすがね」


 しかしいずれは日緋色金(ヒヒイロカネ)青生生魂(アポイタカラ)でぶつかり合わねば、この勝負決着がつかない。

 それがいつ、どうやってやるのか。それだけが問題なのだが、それこそが問題なのだ。


 だが、山崎ひかりは好機を狙いながらも、すでに蜘蛛の巣のように奥義の支度を整えていた。それを放つべき瞬間さえ見つければ、あるいは──


 青生生魂(アポイタカラ)の刀が凪いだ。望月サヤカもおそらく、この一撃で終わらせるつもりなのだ。

 機を見て、機を知った。そして機先を制するべく、山崎ひかりのほうが一歩先に動いた。水曜刀の剣尖が光り輝く。擬神器の分霊:闇龗の水しぶきがいよいよ激しく降り注がんとする。


 ぴちゃん。水が跳ねた。

 飛び散った水滴は、ほかの水溜まりにぶつかって波紋を呼んだ。それは水溜りではなく結界だった。無数の足場のように組まれた結界──それは皿である。数限りなく中空につながり、鱗のように細かく空間を圧迫する。


 そのひとつひとつが水を溜め、波紋を波立たせ、それから妖力の放出孔と化していた。


「疾風怒濤(どとう)──(たいふう)!」


 ついに、その技を放つ。望月サヤカを中心に、三百六十度の全方位から降り注ぐ針状の雨飛沫。いくら青生生魂(アポイタカラ)の刀を一振りしても、この怒涛の前に対応しきれるのだろうか。

 さながら、鋼鉄の処女(アイアンメイデン)の内側の針が、ゆっくりと閉ざすように、それは終わった。壮絶な水煙が辺りを覆う。しかし、山崎ひかりはまだ油断しない。


 飛び込む。そして──


 手首を掴んだ。捻って、青生生魂の刀を叩き落とす。

 煙が晴れる。その目の前に、驚愕した面持ちの望月サヤカがいた。


「これで、おわり」


 水曜刀を振り下ろす。だが──


「ふふっ」


 刀を止められた。見ると、同じく手首を抑えられ、捩じ込まれた。ウッ、と身を固くしたとたん、やはり刀は落ちて行った。


「無刀取り。久しぶりにやったわね」


 すかさず眉間からみぞおちにかけて、急所を三個点かれる。呼吸が一瞬止まった。視界がシャットアウトする。

 意識が遠のき、言語野で維持し続けてきた足場の結界が、消えた。


 そのまま望月サヤカが手を離すと、あっけなく山崎ひかりの身体が落ちていく。これでまたひとり生贄が増えるでしょう。そう望月サヤカが確信したときのことである。


「先輩!」


 岐庚が、空を切って山崎ひかりの体を受け止めた。そのまま反対側のビルの壁を打ち砕き、中に入る。

 土煙りが上がるさなか、どこからともなく不可思議な電子音声で、たかだかと呼ばわる声がした。


《アーッ、アーッ、てすとてすと。まいくノてすと。オッホン》


 何が始まるのかと身構えたその時。


《ヤイヤイ、聞イテ驚ケ、見テ笑エ! 我コソハ天下一大事ニ果敢ニ乗リ込ム、天下逸品ノ妖怪変化:虎落丸ナリ!》

「おい、虎落! いまはふざけてる場合じゃねーだろ!!」


 土煙りの中から岐庚の罵声が聞こえる。

 対する電子音声、「エッ」と怪訝な声を出してから、


《イマ格好ツケナキャ、イツヤルンデスカイ、姐御!》

「ばかやろー! いまはほんとにほんとにシリアスなシーンなんだよ!」

《ナラ、ソウ言ウトキコソぼくチンノ出番デハ、ナイデスカ!》


 ようやく、場所がわかった。皇ビルだ。その入り口付近。ボロ雑巾のように倒れていた冬堂井氷鹿を抱きかかえている、緑色のカマキリなのかバッタなのかよくわからない人型の機械がいた。そいつが堂々と、大音量で話しかけているのだ。


《アッ、コウ言ウトキ人類ハ、コウ叫ブベキナノデス。ひーろーハ、遅レテヤッテクル! トネ!》

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