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超常捜査官:岐庚 〜アサルト・オン・ヤオヨロズ外典〜  作者: 執筆・八雲 辰毘古/監修・金精亭交吉
File3:信じるものは掬われる
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46.月その顔あらわにすれば

 パチッ


 どこかで碁を打つ音がする。赤黒い、充血したまなざしのような月明かりが、暗黒の空に輝いて、この不届きものの居場所を探る。

 そこはまるでこの世の終わりなどさも意に解さないような、厭世の雰囲気すら醸し出されたほどのお座敷──さながら物見遊山にでも来たかのように悠然と構えたふたりの老齢の男たちが、相対して碁を打っていた。


「新宿の件、いかが致しますかね。甲太郎くん」


 その声は消えかかったほどに掠れていて、聞き耳を立てていたところでうまく聞き取れるかどうか、定かですらない。

 人気のないお座敷で、仲居もいない。かつ目と鼻の先で碁を打つ距離にいるからこそ、かろうじて聞き取れる。そのような際どい話し声だった。


「さて、どうなりますやら」

「気難しい話をせんでくれよ。きみの御息女を先だって思い切り鍛えてやったという話、別に隠し事でもなかったわけだろうに」

「請われたから教えたまでです。()()はそれを知る権利がありますからね」

「フーム。きみとはこうして碁を打つ友として認めておる。しかしこの点に関しては些か見解がそぐわぬ」

「ご冗談を」


 壮年の男──岐甲太郎はチラッと目を上げた。対する老人は、太い白眉がまぶたを隠している有り様だ。


 パチッ 空虚な音が響く。


「わたしはね、甲太郎くん。若者にはもっと頑張ってもらいたいのだよ。われわれを〝老害〟と呼び、鏖殺(みなごろし)を目論むのもそれはそれで良し。自らの欲望を開示して、外つ国の頭の良さを猿真似しようとも、業務効率化だのデジタル化だの、やりたいといえばいくらでもやらせてやろう。この国が〝良く〟なるなら、それぐらいは容易いもの。賛成しようではないか」


 パチッ 白の石が徐々に黒を追い詰める。


「しかしどれだけ世間の話し声に耳を貸そうとも、奴ら何も成果を挙げぬ。口先ばかり、夢うつつの区別もつかぬ。あれほど愚かな人民に我らの苦労を嗤われる。世間は何を見て我らを引き摺り下ろすのか。日ごろの口の悪さか、カネの出どころか。それとも()()かね」


 老人は小指を立てて振る。

 甲太郎は何も応えない。パチッ ただ黒い石を置くことで抵抗するばかり。


「きみは民衆をブタだと言った。わたしはそうは思わぬ。若人は、この国の未来の種子だよ。我らが大切に育ててやらねばならん。しかし、植物とは難儀なものでな、水を与えすぎると根が腐って、実を結ぶ前に終わってしまう……」


 パチッ 白の猛攻は止まらない。

 老人はせせら笑う。


「請われたから教えるとは、まさに養豚場の考え方だ。わたしはね、甲太郎くん。きみのその考え方にはイマイチ賛同できかねる。若者の可能性を信じてやれないのかね。ほれ、現に夜空がいまなお明けないこのサマは、わたしがかつて目を掛けた若者たちの怒りの声だ。やればできるのだよ。やろうとしなかっただけなのだ。追い込まれればやる。ただ、われわれは水をやりすぎたのだ。自分で深く根を張り、高く育つ意志がなければ、な」


 パチッ


「……わたしはそうは思いませんよ」


 黒が、わずかながら逆転の意を示す。


「ほほう」

「どちらにせよ、考え方は変わりません。どのような教育も、制度も、政策も、ヒトの愚かさを変えはしない。もしそうであるなら、もう少し世の中は早く良くなっておりましたでしょう。そうではなく、ただ個人が他人を蹴落とし、数少ないエサを奪い合うことでしか己れの幸せを見つけられなかった、それこそが虚しいのです。その点で奴らは豚であることに変わりはない。己れの欲を満たすこと、それ以上のものすらも飽きずに食い尽くす貪欲な、他人の努力に胡座を掻いた様。それはたとえどんな国家が来たとしても変わりようがないのです」

「理想的な国家は、理想的な国民によってしか成り立たぬ──人類の永遠の課題か」

「そんなものが来たら、それこそくだらぬ世界の始まりです。だから、しょせん人民は己れのことしか考えない豚で良い。むしろ豚以上のことを望む方がおこがましいのですよ。ただし豚ではないものが豚の真似ごとをしてもらっても困る。わたしが憂いているのは、その点だけでしょうか」

「ハハハ、しらけ世代というのは、時に恐ろしいことを考える」


 甲太郎は初めて眉をひそめた。


「世代論を持ち出すのであれば、あなた様はまさに戦前のご老体、と言ったところでしょうかね」

「厳しいことは言わんでくれ。これでも白寿が近い。この国の新しい夜明けを見るまではまだまだ死ねぬよ」

「全く」


 パチッ 黒も頑張っては見たものの、僅差で白が勝った。

 老人が面白そうに甲太郎を見た。


「もう一局、どうかね」

「いえ結構です。負けるのは好きではない」

「ハハハ。きみも御息女並みに闘志を燃やしてみるといい。きっと見応えのある碁打ちになれただろう」


 立ち上がった甲太郎は、去り際に老人を見て首を振った。


「わたしは勝ちにしか興味がありません。その点よくご存じでしょう? 〈月卿(まえつきみ)〉?」


 岐甲太郎はにこりともせず、そう言った。



     ※



 黒い潮が、止まった。山崎ひかりは街灯のフレームに腰掛けた状態で、ことの成り行きを見届けていた。

 まるで巨大な粘性のある液体が乾燥してひとつの大地となるように、それは徐々に平たく静かになっていた。しかしその中に足を踏み入れるのは、まだ危険な気がしている。


「気になるかい?」


 (ユエ)が笑った。


 見上げる。そこには山崎ひかりと同じようにして街灯に腰掛けている中性的な人物がいる。


「確かにこれは触れない方がいい。ボクだってあまり触りたくないもんね」


 すでに、幾たびも剣戟を交わしている。にもかかわらず切り傷ひとつ付かないまま、こう着状態──それが山崎ひかりと(ユエ)の戦いを長期化させている。

 擬神器:水曜刀。またの名を霧幻(むげん)(おぼろ)長船(おさふね)。独特な刃文を湛えたこの日緋色金の得物は、単独でもたいていの妖怪を両断する凄まじい威力を誇る。


 それだけではない。


 この刀に収められた分霊:闇龗(くらおかみ)は水の気を操る神霊でもある。軻遇突智(かぐつち)の血潮から化生したこの妖は、その歴史の古さから言って相当な力を持つ。それが刃とタッグを組んだ時、水は自在に刀の強さを伸ばしていく。

 にもかかわらず、(ユエ)の前ではそれが通じていない。


 その原因は──


 山崎ひかりは再び刃を構えた。


黝雨(くろさめ)──(ながる)


 日緋色金(ヒヒイロカネ)の刃が赤く輝く。闇龗の力が解き放たれ、剣尖の軌跡をたどって水のアーチが出来上がる。その流体が、重力に従って氷柱のようなかたちになると、針のむしろとなって彼女の周囲に刃をつくった。


「またその技か……」


 さしておもしろくもなさげに、(ユエ)もまた、何か円弧状のものを引っ張り出す。すかさず水曜刀の遠隔操作が襲いかかる。水煙が霧状に横に広がって視界を遮断する。果たして。

 案の定、(ユエ)は無傷である。その手に取られたのは、あなや山崎ひかりと全く同等の、似た刀。しかしおそらく別物だろう。というのも、山崎ひかりから見て、それは青白い光を放っていたのだから。


「やはり、青生生魂(アポイタカラ)……まさか、ほんとうにあるなんて」

「へえ、やっぱり詳しいね」


 ブンと振り回すそれは、おそらく(ユエ)の身長よりもかなり長い。それを軽々と片手で扱うさまは、彼の腕力が相当強いのか、あるいは青生生魂(アポイタカラ)が非常に軽いのかのどちらかだろう。

 日緋色金(ヒヒイロカネ)自体も、並みの鋼の獲物に比べれば、そうとう軽い。人体から生成される妖力を伝導させ、自在に超自然的な機能を発現させるこの金属は、擬神器という得物を作るにあたって必需品とされていた。その生成の秘訣は口外できないものであり、原材料が何か、どうやって作り出すのかすらも技術者以外知らない。


 ただ、これに類する金属は過去、世界史的にもさまざまにあったと言われる。生成時に人血をもってその力を増したという干将(かんしょう)莫耶(ばくや)の双剣や、古代アトランティスに伝わっていたオリハルコンや、アダマンティン。古代インドにのみ伝わっており、人類史はいまだそれの模倣物しか作ることができないロストテクノロジー:ウーツ(ダマスカス鋼)も、こうした妖力を伝導させる性質を備えていたと言われる。


 しかし、青生生魂(アポイタカラ)はその中でもかなり異質な金属だった。


 (ユエ)が振るったその刃の軌跡から、徐々に水煙が消えていく。一見すると剣が放つ風で振り払ったように見えるが、違う。それは水曜刀から放たれた妖力──その生成物である水の刃をふたたび妖力に還元し、吸収しているのだ。

 どくん、どくんと脈打つように、それは妖力を啜って青白く光る。ぼうっと輝く有り様は、夜闇を照らす赤い月と交差して紫色の闇を周囲にまとわせる。


 浮かび上がる顔。その(ユエ)の顔は、余裕とともにゾッとする笑みである。


「で、どうするの? ボクを倒せる?」

「……」


 少し考える。


「やる」

「へえ」


 街灯の上に立つ。すでにこの混乱の中、彼女たちは戦う手法を確立していた。

 山崎ひかりがパッと跳躍すると、その身体は真っ逆さまに黒い潮の中に落ちていくように見えた。しかしその体が宙で反転すると、まるで空気そのものが足場であるかのように踏み固めて、ふたたび飛び出す。その踏み跡の残像のようにチラッと見えて消えるのは、なんと足のサイズとほぼ同等の大きさに作られた結界である。


 対する(ユエ)は、足の裏に呪符を貼り付けた状態で臨んでいる。これは俗に「引力自在」と名付けられたものであり、重力を軽減した高い跳躍力や滞空、または壁への密着を可能とする。(ユエ)は街灯を飛び退ったのち、ビルの壁に両足を貼り付け、山崎ひかりの進行方向に対して直角の切り口で迎え撃ったのだ。

 割り込む刃。意表を突いた角度から、それは襲い掛かった。


 山崎ひかりはとっさに身を捩らせ、これを躱す。しかし(ユエ)の追撃は止まない。颯颯颯と空を切る音が繰り返し、滞空中の山崎ひかりの頰から肩に掛けて舐め回すように切っ先が踊り込む。

 うかつに刃を重ねると、その分日緋色金(ヒヒイロカネ)の伝導を悪用され、青生生魂(アポイタカラ)に妖力を取られかねない。それがなおのこと、山崎ひかりの警戒心を強くした。しかし宙に浮いたままできる回避行動にも限りがある。


 そこで、彼女は捻って足を向けた先にさらに小さな結界を張った。本来物理攻撃を防ぐための妖力障壁として展開するそれは、青生生魂(アポイタカラ)の前では意味がない。山崎ひかりは自らの足場として結界を濫用する方針に振り切った。

 たん、たたん、たん。壁を蹴る動きから、真下の床を蹴り上げ、そのまま空に向かって湾曲したえぐれた壁を駆け上がるような動きを見せる。その天辺に立ち尽くすのは、(ユエ)の肖像。突き上げるように、水曜刀の切っ先を閃かせる。


 この意表外の動きをまるで想定しきれてなかった(ユエ)、初めて一撃を許した。防御の姿勢間に合わず、かろうじて避けた頰に横一閃。自らの血の色を空に示した。


 にやり、(ユエ)は微笑む。

 そのままやられっぱなしの(ユエ)ではない。


 間に合わなかった刀。その刃を振らず、柄で胴を打つ。山崎ひかりはどんなに素早く敏捷な動きを見せても、しょせんは結界術を駆使したものでしかない。滞空中は反射で初撃を避けるのが精いっぱいで、柄の一撃はまさにその隙を作るには最適だった。

 大きく空いた間。そこにすかさず(しょう)が入る。


 ウッと、息の詰まる声とともに対角線上に反対側のビルに叩き込まれる山崎ひかり。しかしその勢いは徐々に弱くなり、黒い潮なさなかに放り込まれた形になる。

 これを結界術で敷いた中空の床で拾い上げるも、結界は物理攻撃を完全に阻害するための措置でしかない。さながらアスファルトの路面に叩きつけられたような衝撃が、今度は背中から襲った。


 吐血。


 すかさず上から(ユエ)が飛び込んでくる。山崎ひかりの判断は止まらない。自分を支えた結界をすぐさま解くと、今度は背中から反転し、壁を蹴る要領で、その一撃を逃れる。目論見を外した(ユエ)は、下降をゆっくりにして近くの街灯に手を伸ばし、刀を片手に猿さながらの動きで振り向いた。

 逃れる山崎ひかり。再び小さく展開した数々の結界を駆け上がり、ビルの上の方まで昇って行った。


「逃がさないよ!」


 片手で身を翻すと、街灯の天辺に身を躍らせる。それから両足でしっかとフレームを蹴り上げると、引力自在の呪符を通じて高く、高く跳ね上がった。

 刀を上に構える。仮に上昇中に結界を張って妨げる試みがあったとして、青生生魂(アポイタカラ)の刃を前にすればこれは逆効果となる。安全の確保には余念がない。


 しかし攻撃は、(ユエ)の両サイド──予想外の方向から放たれた。


「なッ」


 慌てて刃を振り回すも、すでに遅い。上昇中に見えた山崎ひかりが急に反転し、ものすごい勢いで下降する。それを受け止める余地のない(ユエ)。水曜刀の切っ先がその身体をまさに貫かんとしたのだが。


 カンッ! と激しい音とともに、山崎ひかりはふたたび跳ね飛ばされた。数瞬間遅れて得た知覚で、彼女は初めて闖入者が割り込んだことを知った。


「ワハハハハハッ!」


 それは、千柳斎東厳である。


 山崎ひかりはかの男が猫依沙月と激闘を繰り広げていたことをまるで知らない。きっと待ち伏せに遭い、袋叩きにされるのだろうと警戒したが、何か異変も察知していた。

 なぜ、千柳斎の胸から血が出ているのだろう?


 千柳斎は飛び込んだその勢いを殺すことなく、(ユエ)の身体を抱きかかえ、ビルの窓を叩き割った。ふたりがかりで踊り込むその様子は、あまりにも突拍子もなく、その目的を察知するには思考が必要だ。

 しかし考える間も無く、山崎ひかりの傍らにはもうひとりの人物が登場する。


「くそっ」


 猫依沙月当人である。なぜか全身から湯気が立っており、その皮膚も焼けただれたかのように赤く、熱い。着ていた服もボロボロで、汗だくになってすらいる。


「……どうして」

「あン?」


 その眼差しは、血に飢えた狼のようだった。有無を言わさない面持ち。山崎ひかりは慄き、そして黙った。


「いま、千柳斎がいたな?」


 頷く。


「どこだ?」


 指差す。そこには、土煙りがまだ立ち昇っている。


「くそっ」


 また言う。熱が下がってきたのか、眼にこもっていた狂気は呼吸のたびに無くなる。それでようやく落ち着いた雰囲気になったから、山崎ひかりは口を開いた。


「どうして」

「さっき、奴の心臓を食い破った。ふつうなら即死だ。それでもあいつは動いた。追いかけた。そンだけだ」


 ぜいぜい言ってる。さすがにもう東厳はやられてるはずだ。そう信じたかった。


 やがて土煙りからふたつの人影が現れた。禍々しい赤い月明かりに照らされて、まるでスポットライトが当たった舞台の幕のようだった。しかしそこから現れるはずの人物のうち、ひとりが膝をついて倒れた。ゆっくり、ゆっくりまえに進んでくるのはただひとり。


 (ユエ)だ。山崎ひかりはそう思った。

 しかし土煙りが消えたところから現れた人物を見て、山崎ひかりはおろか、猫依沙月もまた唖然と目を見開くこととなる。


 現れたのは、望月サヤカだったからだ。

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