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超常捜査官:岐庚 〜アサルト・オン・ヤオヨロズ外典〜  作者: 執筆・八雲 辰毘古/監修・金精亭交吉
File3:信じるものは掬われる
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45.疾風とともに去りぬ

 新宿・御苑。ここには結界石と化した自衛隊の装置が並ぶ。椹木信彦三佐以下、数多い自衛官がおのれの命を顧みず、緊張の面持ちでことの成り行きを見守っていた。

 その中に、異形とも言える影があった。安代麻紀。十八歳。もちろん自衛隊所属ではないこの少女は、公安第十一課のもとで保護されていた。


 しかし人員不足であることと、下手に警察組織の中に置いていてはかえって身が危険だということで、彼女は自衛隊と行動を共にすることとなった。これは平田の策でもある。警察の裏にも結社の存在が仄見えるこの頃、下手に関係者を遠ざけておくわけにはいかないのだ。

 そういう次第でこの場に連れてこられた安代麻紀だったが、いかんせん、何もすることがない。


 端的に言って、退屈そのものだった。


「なんでこんなことになっちゃうの……」


 思えば単に中学校時代の友達が、しかもいつのまにか音信不通になった友人が何かしでかしたかもしれないというだけのことである。それが周り回って自分に巡って来て、ほんとうなら一生縁のない場所に、明らかな場違いなまま、居合わせている。

 正直なところ、一刻も早く帰りたい。家でのんびりテレビ見るか、SNSの更新確認するか、とにかく暇つぶしになることがしたい。スマホは持ってこれなかったから、今のいままでほんとうに退屈だった。


 強いて、空いた時間を埋め合わせるのに、公安の人と話したぐらいである。

 でも、常識も考え方も、もちろん住んでる世界も違うから、全然噛み合わなかった。


 安代麻紀は深いため息を吐いた。


 その気持ちを察したのか、椹木信彦三佐が片眉を上げた。


「すみませんね。平田さんの言い付けかと思うんですが、こんなことに付き合わせてしまって」

「…………」

「喉、乾いてませんか? 部下の同伴付ではありますが、すぐそばの自販機まで散歩というのは、どうでしょう」

「……いいんですか?」

「ああ、でももちろんひとりで駆け出さないでください。ここは信頼しての話ですから」


 少しだけ気分が晴れやかになった。


「いきます!」


 椹木信彦は部下のひとりの名前を呼んだ。来たのは女性だった。それから二、三指示をすると、彼女はやや無愛想な面持ちで、安代麻紀にあいさつした。


「どうも」


 それだけ言うと、かえって気まずい空気のまま、ふたりは御苑を離れ、自販機に向かう。


 作戦区域とのことで、ひと気は全くない。いつも何かしらの人だかりとざわめきと騒音とでごった返す新宿東口のエリアが、こうした静寂に包まれているのを見ると、安代麻紀はあっけに取られる。かつてここに怪獣が現れて、何もかもを破壊した過去がある。しかしそれも一年も経たずに復興し、さながら傷口を塞ぐかさぶたのように、跡形もなく、むしろそんな傷跡などなかったかのようにいまの光景があった。

 〝新しい日常〟なんて、誰がそんなつまんないことを言い出したんだろう。結局のところそれは〝かつてあった日常〟のリバイバル上映に過ぎなかったし、もともと自分達もそれしか望んでいなかったはずなのだ。しかし日に日に時間が過ぎ、それとともに何かがこぼれ落ちて来て、〝かつてあった日常〟はどんどん遠くなる。静寂のなかに吸い込まれた音のように、だんだんと遠ざかって、輪郭を失っていき、いつのまにか「最初からそうだった」と記憶を改ざんしてしまうところまで来て、ようやく〝新しい日常〟という言葉が定着するのではないか。


 安代麻紀は、ふと、そんなことを思った。そしてもう自分の手元に残ってない〝かつてあった日常〟とは何だったのかを振り返ってみる。かつて宗谷紫織と歩いた街並み。知らない人と手を繋いだ場所。オフ会で知り合った同級生との会話、などなど。

 もう、懐かしさしかない。それだけの遠さとそれだけの他人ごとの感じが、かえって自分の中で空虚な音を立てて反響した。その時初めて彼女は自分の中を通り過ぎた時間の大きさに気づいた。そしてそれは、あまりにも自分の身になってない時間だった。


「……わたし、夢があるんです」


 唐突に、相手が聞いている確証すらないのに、思わず自分語りをしたくなった。


「服のコーデをする仕事。ヒトを見て、こう言う服が似合うねーとか、デート行きたいんだったらこういう色にすると映えますよーとか、そういう仕事。でも、やりたいことをやりたいようにするにはお金が必要で、すごいたくさん必要で。いまそれがしたいのに、それをするだけの余裕も時間もお金もなくて。でも、それをやりたいから、なけなしの時間使っていろんなことやりました。バイトも、勉強も、へんなことも。

 でも夢ばっかり追いかけて、あたり見回してみて、夢は叶いそうなんですけど、変なことになっちゃったな、て思うんです。服は選べるようになったし、着こなせる服もそこそこできましたけど、誰のために着たいのか、誰に着せたいのか……もうわかんなくなっちゃいました。もう、あの時追いかけてたはずのキラキラした感じとか、どこ行っちゃったんだろーなー、て。ははっ、自分でも何言ってんだろ、ばかみたい……」


 言い過ぎた、という気がした。耳たぶも真っ赤になるぐらい恥ずかしくなってきて、もう自分でも何を言いたくて口を開いたのかもわからない。それでも、自己紹介のときに名乗ってくれた名前すらもあんまり思い出せないその女性の自衛官は、受け止めてくれた。


「わかりますよ。わたしも、人を守るためにこの仕事に就いたつもりでした。でも、怪獣と戦うなんて、思ってもみませんでしたし。人生ってきっとそんなものです」

「……そうなんですか?」

「いえ。少しカッコつけたかっただけです。わたしにも答えはないんです。そんなこと、ずっと後になっていまさらのように思い出せただけでも、きっと儲け物でしょう?」


 たどり着いた自販機で、飲みたい飲み物を尋ねられた。最初ここに来るまでに、たくさんの清涼飲料水を並び立てて空想していたが今となっては緑茶だったらなんでも良くなっていた。


「はーっ、お茶が美味しいー。これが大人になるってことなんですかねー」

「それを言うのはまだはやいよ」


 軽くデコピンを喰らう。あたっ、と言う声がやけに大きく空虚な街に響いたような気がした。緊張が、ほぐれた。

 それからしばらく歩きながら談笑し、帰路につくと、御苑の前に騒音と人の声が聞こえるようになって来た。いったいなにかと目を凝らすと、黒いフードの人だかりで出来つつあった。


「あの人だかりは?」

「……まずい」


 ピピっと無線の音が聞こえた。見ると、椹木信彦と思しき声が女性自衛官に語りかけている。逃げろっ! と声がした。

 その声に反応したのか、急に黒いフードの人びとが揃って首を振り向かせた。


 女性自衛官がそっと安代麻紀の肩を引き寄せた。


「逃げます」

「逃げるって、どこ……」

「遠くです。なんなら新宿から、遠く離れて」


 じりっ、じりっ、と黒いフードが近づいて来るのが見える。


「おそらく〝信者〟です。一般信徒は術者ではないからノーマークとしてましたが、まさかこういう手口に出るとは……!」


 背を向ける。だんだんと早歩きの速度を上げる。それに合わせて黒いフードも追いかけようとする。

 安代麻紀はその様子を伺いながら、自衛隊に引っ張られるように駆け出す。


 突然、遠くから爆発音がした。それは御苑よりもはるかに遠い箇所だったが、煙が立ち上るのすら見ることができるほどの大きな爆発だった。


「やはり……!」

「ねえ、一体何が起きてるんですか?!」


 パニックになった安代麻紀である。女性自衛官は振り返って言った。


「わたしたちが使っていた装置、ありますよね? あれがいま、新宿の黒い泥を止めているんです。それが彼らに壊されようとしてるんですよ」

「えっ、あの、それって」

「例の黒い濁流がまた都心に流出するってこと!」

「……!!」

「走れ! 力の限り!」


 ふたりは走った。

 ところがその進む先に、黒いフードの群れが立ちはだかったのだった。


 先回りされたか! と思ってルートを変えようとしたが背後の一群はまだいた。黒いフードの男女比は不明だが、力付くでここを脱するわけにはいかないだろう。

 ギリっと歯噛みする。身構える。その傍らで安代麻紀が無力な手足を抱え、背に隠れようとするばかりだ。


 しかし黒フードのひとりが歩き出し、安代麻紀を点検するように見つめてから、そのフードを取った。


「……安代さん?」


 メガネの少年だ。


「知り合い?」と女性自衛官。

「……はい。むかし、よく会ってた、友達のひとり、です」


 寿遼はその言葉に救われたような心地がした。


「嬉しいな。まだ〝友達〟と思ってもらってたなんて」


 安代麻紀は首を振った。


「なんで。あんたがここに?」

「あれっ、知らないの? ぼくも紫織ちゃんとあたらくしあに入ったんだよ」

「……紫織と?」

「うん」

「じゃあ、紫織は? いま紫織はどこにいるの?」

「あそこだよ」


 指差す。その先は、皇重工ビル。

 しかし──


「なに、あれ」


 結界が揺らいで、景色が激変していた。そこでは暗い空なんて比にならないほどの黒い卵状のものが屹立していた。


「あれはこの世の終わりを告げるものだよ」


 振り向く。安代麻紀はすっかり混乱していた。


「なに? それがあなたたちの〝宗教〟?」

「いいや。でも、そうか、安代さんは、前世とか、信じる?」

「信じてない」

「そう。ぼくは信じてるよ」

「なんで? そんな……」

「信じてないとね、説明が付かないんだ。この世の理不尽が」


 その目は泣いてるような、笑ってるようなどっちとも取れるような歪み方をしていた。


「なんでぼくはこの世に生まれてきたんだろう。なんでぼくはできそこないに生まれてきたんだろう。なんで誰もぼくのことを見つけてくれなかったんだろう。それを偶然だって言っても良かったかもしれない。けど、そう言ったら、すべてが虚しくなる。努力が足りなかったせい? 才能がなかったせい? ツイてなかったせい? それって何?」

「…………」

「大人はみんな政治が悪いとか、社会を良くしようとか言ってるけど、あれ、わかんないんだよね。政治って何? 社会って何? そもそも妖怪も怪獣も意味わかんねーって。そんなものがニュースで堂々と報じられるぐらいなら、前世のひとつやふたつ、信じるに値しない理由がどこにあるんだよ!」


 安代麻紀は、次第に震えていた身体を堪えながら、背筋を正した。

 それを見た寿遼は、急に怯えたまなざしになって退いた。


「なんだよ。安代さんもアキラみたいに、ぼくを見捨てるの? 意味わからないこと言ってるやつだって見限るのかよ!」

「…………」

「なんだよ! なんか言えよ! そんな人を見下したような目しやがって!」


 急速に歩み寄った寿遼。しかし、安代麻紀はそれを迎え撃つように平手打ちした。

 鈍く重い音がコンクリートジャングルに響いた。


「わかんないよ、そんなもん」

「……は?」

「いきなりまくしたてられてて、わかるかって言ってんの!」


 どいつもこいつも、ひさびさに会ったと思ったら訳のわかんないことばかりまくし立てていく。

 安代麻紀は自分が都合よく使われてる感じがして、それが非常に腹が立っていた。


 彼女は寿遼の襟首をつかんで、もう一発打った。今度は少年ももんどり打って、叩きつけられるようにコンクリートに転がった。


「ふざけんな! 他のヒトが普段通りの生活送るのにどれだけ頑張ってるかも考えもせずに、自分だけが仲間はずれだなんて思ってんじゃねーぞ!」


 さらにもう一発。殴ろうとした拳が、急に痛みを覚えた。急に力が抜けて、涙が溢れ出てきた。


「どうして、いまさらそんなこと言うのよ。どうしようもないじゃない。過ぎたことなんて変えられっこないのに。引きずって、恨まれて、たまったもんじゃないわよ……」


 自衛官が安代麻紀の振り上げた手を、止めた。


「そこまでにしよう。積もる話もあるようだが、時間がないんでね」


 彼女は黒いフードの人の群れを見た。そこで、立ちあがろうとする寿遼の身体をホールドして、もう一度、見る。


「ここを通してくれれば、それでいい。わたしたちに戦意はない」


 一瞬、ためらいがあった。しかしすぐさま力を込めて、寿遼の悲鳴を聞かせる。


「早くしろ。ボーッとしてるとこの子の腕を折る」


 結局、寿遼を身代として、ふたりはあたらくしあの信徒の群れから離れることに成功したのだった。

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