44.鬱=ウツ=虚
結界の外──そこはほんらいならば、日常生活が営まれているはずだった。
しかし月が喰われ、太陽すら表に出てこないこの暗空を頭上に、人びとはふだん通りの生活へと急ごうとする。あるものは目覚ましが鳴らなかったことに不満を漏らし、天候の悪さを懸念して傘を携えて出るものもいた。
一部の人々は、いまなお〝黒塗りエリア〟の影響を受けて何もすることができない人間は、ただ奪われた日常を茫然と見つめながら無為に過ごす。あれだけ呪った仕事がいざ無くなると、何をするわけでも、何かをできるわけでもなかった。遊ぶための資金はなく、ふだん遣いで使い果たした貯蓄の残高を恐れて転職を考えるものもいれば、それでも虚しく自分のいる現実が何かの悪夢ではないかと考えるものすらいる。
そんな抑制された混乱と平静を装った虚構の社会を、ただ闊歩するように蠢めく人影──それは宗教法人〈あたらくしあ〉に関係する人びとであった。
彼らは特に何かを唱えるわけでもない。ただ黒いフードを深く被り、勤め先に急ぐ人びとをマイペースに掻き分けながら、ある場所へと歩んでいく。
新宿・西新宿。皇重工ビル。
そこは、外から見た時まるでふつうの景色に見える。中で起きていることは見えないようにシャットアウトされている。しかし信徒たちはそこで何が起ころうとしているかを知っていた。というより、知らされていた。
「決算の日が来る。人類の罪業の清算が、来るのだ」
教祖:千柳斎東厳に言い付けられてこの方、信徒たちは怯えながら、そしてどこか期待しながらこの日を待っていた。
寿遼という少年も、そのなかのひとりであった。
彼はついに来た今日を、眠れないまま迎えた。そしてベッドから起きて、いつも通りの無気力な家庭を抜け出して、〝その日〟がどう来るのか気になって出掛けたのだった。
かつて二〇一五年、新宿で起こった第二の怪獣災害を通じて兄を失ったこの少年は、しかしそれ以前から家での居場所を持っていなかった。出来すぎた兄がいた。それがなによりもいけなかったのだ。
優しくて、勉強もスポーツもできた兄。顔も良く、学校で人気者だった兄。そして親に愛され、親の期待に応えた兄。しかしその兄が怪獣災害で入院し、リハビリを経てようやく学校に戻った時、かつて彼を慕ったものは彼から離れていた。兄は半年近く授業に遅れ、遅れた分をフォローしてもらうこともできず、怪我の後遺症が祟ってスポーツも主力から外され、徐々に居場所を無くした。
親も、「あなたならできる」と励ました。しかし遼は、その言葉を一度として受け取った覚えがなかった。強いて言うなら、兄がそう言ったぐらいである。だが、兄の言葉は単に自分ができるという自信に基づいた発言だったのを遼は気付いていた。
常に満点の兄。努力しても赤点スレスレの弟。この落差を前にして、両親は怒ることすらしなかった。兄も苦笑いをしながら、「おまえの分まで頑張るからな」と寄り添った。
それが、急に頑張れなくなった。
日に日に自信を失い、弱くなる兄を見て、遼は代わりに何かできないかを必死に考えてみた。しかし結局のところ、何もできなかった。学校で頑張ったとて、兄の心の不安に寄り添うことはできない。両親も兄にかかりっきりだった。治るとか治らないとか、頑張れるとか頑張れないとか、そんな会話ばかりが絶えず繰り返されていた。
それで、いったいどこで決心したのかはわからないが、ついに兄は生きることを諦めてしまった。
それはニュースにもなった。マスコミが怪獣災害からの社会復帰をテーマにたくさんのカメラとマイクを持って毎日家に殺到した。両親は最初のうちは涙ぐみながらも話をしたが、次第に心を閉ざした。
遼にもマイクは向けられた。彼は戸惑いながら二、三話したが、何ひとつ覚えてない。それはそのまま報道され、その時初めて自分の言動を見て知る。学校でも話題になる。先生が丁寧に悪質な同級生の声から距離を置いてくれたものの、その時にはもう学校という社会の縮図すらも相手にしたくなかった。
兄がいなくなったことを悲しく思う気持ちは、ゼロではない。しかし、兄がいなくなってせいせいしたという気持ちもあった。いつもどこかで比べられた自分がいる。それがようやく無くなって、両親は自分のことを見てくれるだろう。そう思っていた。
だが、両親はいつまでも喪に服したまま、振り向いてすらくれなかった。
その時漠然とこう思ったものだ。ああ、世界はぼくのことなんてキョーミないんだな。
『リマインズ・アイ』に接したのはその頃だった。そしてゲームを進めるうちに、彼はある裏シナリオを通じて皇重工ビルにたどり着いた。
当初はゲームのイベントに過ぎないとたかを括っていたところもある。しかし、望月サヤカと会って、自分が振り回されている謎めいた現代社会の正体を少しずつ聞かされていくうちに、なんだかもうちょっとだけマシな人生というものを志すようになってしまった。
だって、あまりにも馬鹿げているから。
自分が苦しい、苦しいと思ってあぶくを漏らしてもがいていた泥沼のような世界が、誰かの失敗とできそこないのしわ寄せだったなんてわかったら、死のうにも死ねない。
あたらくしあへの入信は、主に二つの経路がある。ひとつは一般信徒として、災害救助やボランティアと言った慈善事業の延長線上にある「人助けによる自身のカルマの救済」。もうひとつは、ゲーム『リマインズ・アイ』を通じた「力の覚醒と、それによる自身のカルマの払拭」。寿遼は、宗谷紫織とともに後者の道をたどって入信した。
あたらくしあの教義では、現代に出没する妖怪や怪獣と言った怪異を、ひとつの罪業の具現と見做す。いわゆる〝前世〟の因縁が、脈々と現在に至って災厄に転じてしまうというのだ。
人びとは自身の魂を見つめ、カルマの穢れを自覚しなければならない。
そしてそれを観察する眼を鍛え、これを克服するべく行動しなければならない。
実体化したカルマを打ち砕くのは、特殊な能力や訓練を得たもののみに許されている。それはもちろん危険だからである。だからあたらくしあは二つの層に分かれている。力なきものは実体化したカルマと直接対峙することは許されない。
教義に拠れば、ここで言うカルマとは、他者への不寛容であり、行動をしないことである。前世の罪を見て見ぬふりすること──それすらも次世代にカルマを残すことだからいけないことだとされている。ここでようやくボランティアとあたらくしあはかつてない結束を見ることになる。あなたの隣に傷ついた人間はいませんか? 心を虚にした人がいませんか? そんな人に手を差し伸べることこそが、世界を調和させ、やがて自らのカルマを救済することにつながるのです、と。
しかしどんなに努力しても、頑張っても、カルマの撲滅はほぼ遠い。
教祖:東厳はしばしば一般信徒の前に、あるいは裏で勤務する魂の戦士たちにも気さくに顔を出し、語りかけた。そしてそのたびに訊かれた。なぜカルマは減らないのですか。なぜわれわれの努力は報われないのですか。同じ質問を、遼はじかにしたことがある。
彼は応えた。慚愧の念を湛えて……
「カルマとは人類の最初に与えられたものであり、返済を怠ったものなのだ。喩えるなら、国債のようなものだ。われわれはその歴史の始まりから何かを失って生きてきた。それを埋め合わせるためにカルマを得てしまった。だがこれは誤った選択だった。足りないものを埋め合わせたのならば、すぐさま返すべきだったのだよ。しかしヒトはおのれの欲に負けて、カルマを増やし、大地に充してしまった。もはや一朝一夕で返済できるほどの量ではないのだ。それは子々孫々、未来永劫の徒労を通じてしか埋め合わせが効かない」
では、その努力が今世で報われないのならば今やっていることは無意味ではないのか。
「無意味ではない。天はわれわれの行いを記録しておられる。われわれの振る舞いは、言動は、心の微細な動きまで、すべて記録が残されている。たとえわずかでもこの教えを疑ってみるがいい。他者を虐め、顧みず、おのれの欲のままに生きていくことを良しとする考えに惹かれてみるがいい。現に霊的世界を謳って金銭・淫蕩に耽ったものは数知れず、彼ら彼女らは紛れもなく地獄に落ちるであろう! 我らは己を律しなければならぬ。そして己れの欲を観察しなければならぬ。真の欲望とは何か? それは他者に認められ、他者の真の喜びにたどり着く行いそのものだ。だから諦めてはならぬのだ。ただ他者に尽くし、自らを貢献するのだ。その戦いは人に受け継がれ、真の未来を手にするだろう」
その時、遼はとくべつその言葉を理解できたわけではなかった。しかしそれ以来、徐々に増える怪異事件を、かの新宿災害後の報道を、混乱を眺めているうちに、やはり東厳師の語ったことは正しかったのだと、腑に落ちるようになっていた。
彼は〝目覚め〟ていた。世のあり方のほとんどがばかばかしく、薄っぺらで、欲に塗れている。そして、欲に忠実であることが幸せでも、未来のためになるわけでもない。そんな〝バカ〟と訣別するためにも、己れの身を修める術を得なければならない。いずれ彼は友達と距離を置き、家族との会話もなくなり、ひとりでネットを通じて世界を観察しつつ、自分と仲間たちだけが、世界を良くしているのだと言う自負を得た。
そんなある日、東厳師は突然〈決算の日〉という言葉を使い出した。カルマの清算がついに行われる算段が付いたというのである。
そのために無数の人手が──魂の戦士たちが駆り出された。表向きの慈善業が着々と獲得した後援金や社会的信用をもとに、裏で戦士たちがさまざまな企業や組織とコンタクトを取り出した。やがてそれはカルマを溜め込んだ人類の悪行の総本山ということになり、攻撃が始まった。噂によると、外国の傭兵まで使ったとのことだった。
遼もそのいくつかに参加した。宗谷紫織はもちろんのことだった。
数々の戦いを経て、勝利を得ると、それは強い達成感になった。さながら壮絶な対戦ゲームのように爽快ですらあったのだ。のちのニュースで人が何人が犠牲になったらしいが、やむを得ないとも感じていた。だって現に怪獣は──カルマは撲滅できたんでしょ? それはきっとぼくたちの未来を、将来の危険を取り除いたことになったじゃないか。
しかし実戦を繰り返すたびに、成績を上げられない自分がいた。遼は、その度に焦って、さらにしくじった。兄の顔が繰り返しよぎった。完璧なあの人と、出来損ないの弟……
そのうち、ついに、遼は魂の戦士から外されてしまった。
「悪いな。君が悪いわけではない。敵が強すぎるのだよ」
東厳師はやさしくそう言ってくれた。しかしだからこそ何も期待に応えられなかった自分自身に涙がこぼれた。
あたらくしあの魂の戦士たちが使用するオペレータールームがある。彼らはその部屋をいつしか〈マズローの部屋〉と呼んでいた。自らの欲を観察する〝眼〟を持ち、行動し、自己のうぬぼれた欲を超越したものだけが集結できるあの部屋。
ぼくは〈マズローの部屋〉に居続けることができなかったんだ。みんなのために頑張ろうとして、すごく頑張ったけど、あの部屋にいることが認められないほどちっぽけで、愚かで、どうしようもない自分でしかないんだ。そんな絶望が心を支配した。そして、そのまま七月二十八日を迎えることになったのだった。
魂の戦士としてその場にいることも、戦いに参加すること不可能だろう。しかしその戦いを見て、できることならそれを手助けすることは可能ではないか──そんな淡い期待が、少年の内側にはあった。
他者を助けよ。己れの利する欲を顧みず、ただ他者のために行動せよ。
その教えが、少年を駆り立てていた。




