42.口寄せvs護法童子!
「もういい、止めろ」
ブレーキ音とともに停車する。その後脱臼した腕の激痛をあらためて実感しつつ、平田啓介は銃を仕舞い、連絡をつなぐ。
「……ああ、おれだ。じきに黒いの来るから、始動してくれ。……ああ、ああ。大丈夫だ。肩が外れただけだから」
その後庚には見てもよくわからない会話が数件続いたかと思うと、黒々とした空に薄く広く妖力の幕が降りていった。青い半透明のエネルギー遮蔽力場──その原理はいまだに物理学では解明できていない。
しかしそれは、結界石を頂点に籠目の模様を指し示し、六角柱の形状をなした。
その一部始終を見届けた平田、よしと言う声を上げた。
「これでしばらくあの変なのは外に行かない」
「……他のメンバーは?」
「わからん。それぞれ適当に戦ってるはずだが」
とたん、遠方で爆発音がした。瓦礫が壊れる音。それだけでなく、中空で火花が散るような激しい閃光がそこかしこに広がる。
「おー、派手にやってんな」
「あれは……式神? ていうことは、吉田?」
意外そうに庚が目を見開く。
平田が片眉を上げた。
「人手不足でな。前衛がいなかったから、出張ってもらってる」
「そんな無茶な……」
「ま、アイツはどうにかなるだろ。体はタフじゃねえが、俺よりは術もできるし強い」
「…………」
庚は思った。それはあなたが尋常じゃないぐらいタフだから適当を言っているだけではないのか、と。
「なんだよ、おれ雑なこと言ってねえよ」
「いつも雑なこと言ってるじゃないですか!」
「そこのポンコツバイクよりはまともなこと言ってるぜおれは!」
《ナッ!》
突然の飛び火にショックを受けるのはもちろん虎落丸本人である。
「んだよ、虎落ももうちょい言い返せ!」
《……返ス言葉モゴザイマセン》
「はぁ?」
《長イモノニハ巻カレル主義デシテ……》
「ばっきゃろ! それでも器怪(※付喪神の別名)の意地はないのか!」
《ゴメンナサイ、ボクハスグ斬ラレルシ、敵モ逃スへたれデシテ……》
「あーん、もう!」
すっかり過去の失敗にへこたれている虎落丸であった。
その様子を見て、やっぱりこいつらは時間外労働として認めないでおこうかなんて不謹慎なことを考えていた平田だったが。
「ま、前衛が戻ってきたからおれは指揮所に戻る。と言っても、もうその辺埋もれてるから、高いところに避難するしかないんだがな。お前はどうする? やっぱり望月サヤカか?」
「そうしたいところですが、いま望月サヤカって井氷鹿が戦ってるんでしたよね?」
「ああ。もしかしたら、やったかもわからん」
「うーん……」
渋い表情。
「気になるか?」
「まあ、そうっすね」
「だったら行って確かめてみろ。おれの最悪のシナリオだけ、先に共有しておく。それでもう少し単独行動しやすいだろ」
平田が簡単に説明する間も、平田は手を休めず、なぜか拳銃の弾を再装填していた。
聴き終えた庚は、しかしそれどころではない。緊張に目を震わせ、平田を睨む。
「それ。ほんとに起きたらヤバいどころじゃないですよね?」
「ま、そうだな」
「その時の手は考えてるんですか?」
「ない」
「えっ」
「考えてない。というか、そこまでされると未知数が多すぎて対策が練れない。だからそれになる前に止める。止めなきゃなんない」
ま、考えてないこともないが、それができるかどうかは個々人のメンタルだよね、と腹の底では考えている。それを口にしないだけの配慮が、平田にはあった。
「とにかく、やるんだったら早く皇ビルに行っといたほうがいいぞ。一緒に行くなら山崎が最適だが、アイツ方向音痴だからな……」
「そういえば、そうですね……」
とりあえずこれで腹は決まった。
虎落、と声をかける。当の本人はまだいじけモードであったが、命令拒否はしない。庚は二、三の言葉を掛けて励ましの意を伝えると、渋々従わせるような形で、虎落丸の飛翔モードに形を変えさせた。
「じゃ、行ってきます」
「気を付けろよ。まだ奴さんはもう二段階ぐらい隠し手があると思っとけ」
「それ言うなら、わたしも隠し手がありますから」
「ん。修行の成果が出てるならいいさ」
そのまま、飛ぶ。妖力の限りを尽くして、皇重工ビルに向かって羽ばたく機械のカマキリが、暗がりに一時の光を灯しているかのようだった。
「さて、」と平田。急に振り返ると、拳銃を構え、撃つ。
ふたたび脳天を撃ち抜かれた土師清巳である。仰向けにばたりと倒れる。しかしまだ絶命せず、激痛に身を痙攣させながら、動揺のまなざしを湛える。
「ばかやろー、部下の報告も読めないような上司業なんかしてねっつうの。てめえが不老不死なのは、もうこっちにゃ把握済みなのよね。どういう仕組みか知らねえが、死なねえってのはほんとに難儀な体してんだな」
ゆっくり歩み寄る。そして喉と各関節に向けて的確に射撃する。
「魔除けの銀の弾丸でも治るってどういう組成してんだか。ま、良いけど。もうお前の処分は事故死って決めてるから」
かはっ、と声すらも出せない。しかしその音は拒絶の意を示していた。
平田は容赦なく、その首根っこを掴んでずるずると引きずる。さながら毒蛇の鎌首を捕まえるように、その身体は抜け出すことを許さない。
そこは新宿駅の南口から少し歩いたところ、階段とエスカレーターが降りていて、そこには黒い泥が徐々に迫り上がっているのが見えている。
平田は、そこに土師清巳の体を放った。
「んじゃ」
その物体が最下段に落ち、次第に上がる黒い水に浸された瞬間、ようやくひとつの終わりを見た。
時に己の手を汚すことも自分の仕事だと、平田はそう信じていたのだった。
※
金棒を振る。狗龍の体がホームランで撃たれたボールのように弾き飛ぶ。
しかしすかさず次の狗龍が二の腕にかぶりつく。護法童子の身体は物理的なダメージを物ともしない。力付くで振り払い、また振り切る。敵の数は圧倒的だった。どれほど右近・左近の童子がその力を発揮しても、狗龍の群体は次から次へと闇から出没する。
吉田恂はついに起爆呪符の乱用を決意した。妖力を圧縮し、起爆するタイプの呪符だ。これは常に折り鶴や他の鳥の形状に折り畳まれており、妖力を流せばただちに、そのかたちがもたらすイメージに仮託して自在に飛ばすことができる。
次第に吉田の周囲には、常に呪符の紙鳥が十から二十、飛び回っているようなかたちとなっていた。
「……すごいね」
弓削倫子は、その光景にすなおに感嘆していた。
彼女もまた、ただ口寄せをしていただけではない。使役している狗龍を妖力のさじ加減で誘導し、その間に油断したかと見たところに苦無を放つ。
しかしその一擲も紙の鳥の前には無力。小さな爆発とともに向きを逸らされ、あらぬ方へと捨てられた。
弓削倫子も投擲術にかけては引けを取らぬ自信があったが、こうも式神の応用で身を守られていると、手数で仕掛けても敵わない。現に苦無、手裏剣の残数はそう多くない。
無駄打ちになるなら、しない。その判断は早ければ早いほど良い。
そしてその判断で余った手数を、次の策略に用いる。戦闘の基本だ。
この基本を、術師のほとんどはできない。なぜならその伝統の継承は戦後と共に徐々に失われ、いつしか妖力の制御と状況判断は天与の才能によってしか育まれなくなったからだった。
かつて人の身に備わる妖力は血統によって受け継がれると言われていた。だから術師の家系は華族制度やその他のさまざまな特権によって保護されていた。しかしそれは戦後のイエ制度の崩壊とともに散逸し、旧弊残る家庭の悪としてズタズタに引き裂かれた。
弓削家もまた、ひとつのれっきとした術師の家系であった。物部の傍流を引き、呪具製作と術の行使を口伝する一族──それは戦国時代には乱破・素破と姿を変え、江戸時代には裏柳生の武器職人として生き延びた。
明治となっては国家祭祀の術師の支援を建前にその継続を許され、以来財閥系や医師との見合いなどを通じてエリート一族をなしてすらいた。
しかしそれも、過去の栄光──
戦後の財閥解体、華族制度の撤去、その他もろもろがもたらしたアメリカからの〝改革〟は、しかし術師の貴族階級を完全に撲滅させはしなかった。
貴族は、現代日本においてなお、実在するのだ。
それは陰で利権を貪る一族という意味でも、親から継いだ資産が湯水の如く溢れんばかりに残っているという意味でもない。
言うなれば、それはイエ──先祖から受け継いだ人間関係と地位と財産を守るために存続し、そのために生きる意味をあらかじめ定義付けられた一族のことを指す。
例えば、国会議員。医者。法曹家。
財界の一部の経営者もまた、そうだ。
弓削倫子はまさにその中のひとりとして生まれ、徹底してイエに生きるように淑女の作法を叩き込まれたおんなだった。
しかし彼女の性格は、イエに尽くす古典的な〝淑女〟をあまり良しとしなかった。
どちらかといえば男勝りで、同級生の男子をいじめ、出し抜くことに長けていた。彼女は運動神経にも秀で、一部で暗黙に〝男の仕事〟とされるものについて、本気で志願すらしていた。
だが、それを許さず、遠回しに進路を潰していったのは、親だった。
「いつか倫子さんがお見合いする気になるんだったらねえ。いつでも紹介して差し上げるのだけれど」
そう言ったのは祖母である。その祖母はいまは亡き人だったが、思想はなおも孫娘の生を束縛した。親。親族。そして友達関係。全てが同じ価値観──女は男を支え、一族を存続するべく結婚し、子をなすべきだというものに染まり切っていた。
唯一許された自由は、伴侶がどの業界の御曹司なのかという、ただその一点である。
周りを見れば、かつての同級生、友人が、男であるということだけで許されていたことが山のようにある。門限ひとつ、あいさつひとつ、上座下座ひとつ、交際関係ひとつ、料理、裁縫、芸能ひとつひとつ。
なぜそれが女性的な身体に生まれついたというだけで、生き方を勝手に決められなければならないのか。なぜ、自分で選択した道を喜ばれなければならないのか。
新興宗教は狂っている。と、ある種の正論をまくし立てる人間は、そう言う。
しかし弓削倫子からすれば、そう言って正論めいたことを口ずさむ〝普通の社会〟に生きてる人間の方がよっぽど理解不能の戒律に生きた修道僧に見えたものだった。汝、結婚せよ。汝、子をなすべし。汝、男に誘惑すべからず。汝、家族との関わりを大切にせよ。うんぬん。
自らを平穏無事な世界に生きて、自らの常識を疑わぬものは、決して自分が胡座を掻いている歪みに気付かない。あったとしても、それはカーペットのシワぐらいに考えて、直そうと努力するぐらいだ。
しかしその下でもがく人間がいるというということには、決して気づかない。想像すらできない。結果として善意で放った〝常識〟的な言葉が、その足掻きを挫き、人の意志を奪うことになる。
地獄への道は善意でできている。かつて誰かがそう言ったらしい。
その言葉の真の意味を悟ったのは、まさにこの時だったかもしれない。
無知が善意を生み、善意が息苦しい〝常識〟を──実はその人を押し殺しているかもしれない無意味な通念を、増殖させている。
もしバカが死んでも治らないような類いのものであるならば、弓削倫子は、それは死んでしまった方がきっと世の中のためになる、とどこか思うようになっていた。つまり、無意味な通念を繰り返し唱える有象無象は、本当に痛い目に遭わないといけないのだ、と。
痛みはきっと目覚めさせることだろう。
自分がどんな夢に生きてきたかを。
「……くそが」
思わず口をこぼす。怒りが沸々を身から溢れ出す。
「これほどまでの力と術を持ちながら、なぜ私たちの新世界を邪魔する! 公安!」
「……?」
吉田恂は首をかしげる。彼自身それほど余裕があるわけではないのだが、相手が会話をしようとしているのだけはわかった。
「なぜって?」
「おまえは自分が守ってる社会が、いかに狂ったバカけた場所だとは思わないのか?」
「……」
「わたしたちはただ世の中を〝善く〟したいだけだ。それをなぜ同族のはずの術者が警察としてわたしたちを取り締まる? わたしたちが目指していることは、あなたのような人間もまた救いの対象にしているんだぞ!」
「……そうなんすか?」
吉田恂の目が少しだけ険しくなった。
「ぼくにはあなたが、ただ個人的な恨みを社会のせいにしてるだけに見えます」
「……ッ!」
「ただ、これはぼくが、あなたの痛みを理解できてないからそう見えてるだけだとも、思いますが」
とっさに飛んだ苦無を式神でガードすると、吉田は言葉を繋いだ。
「ぼくも訊かれるまで考えたことはないんですが……なんでこんなめんどくさい、上司のパワハラまがいのを毎日食らって、残業も休日出勤もあって、そのくせ給料が全然ないような仕事してるのか、よくわかんないですが、それでもとりあえず仕事はできてしまうぐらいには〝鈍感〟なんです。自分が人生で何をすべきかなんて真面目なことなんてろくすっぽ考えたこともないし、これからも考えようとは思いません」
だから、そういう人間に説教なんてしないでください。お互い辛くなるだけなんで。
「でも、ぼくは、これだけは思います。たぶんあなたの言ってることはただしい。この社会はどこかがおかしい。頑張っても報われないことも、給料が一向に増えないことも、有給申請を通してもらえないことも、上司との受け答えに失敗してすぐに怒鳴られてばかりいるのも、そういうのだけじゃないと思いますけど。たぶんぜんぶどこかおかしいんだと思います」
ただ、それを解決する手段が『暴力』しかなかったというには、早計だったんじゃないですかね?
「もし唯一許せないことがあるとするなら、あまりに短絡的な解決に身を委ねてしまったこと、それだけですよ」
「……くっ!」
弓削倫子は怒気に任せて狗龍たちの妖力制御を強くした。
もとより防護の固い吉田の式神の壁だったが、あえて手駒を減らすことを覚悟して、彼女は接近戦に持ち込む。
護法童子に妖力を込めた苦無をふたつ。それは物理的なダメージを与えない代わりに妖力で動く存在の動きを鈍くする働きをする。つまり、それは右近、左近のそれぞれ二の腕に刺さったわけだが、それは即座に刺さった腕の力を奪い、だらんとぶら下げたのだ。
すかさず弓削倫子は護法童子に間合いを詰める。空いた腕との物理的接触。それは決して護法童子を倒すとまではいかないが、足止めにはなる。
その隙を突いて、狗龍は闇に溶け、吉田本体へと接近した。
「……まじっすか」
冷や汗が出る。一度に出没する狗龍。その数は十や二十では効かない。
その来襲を一気に浴びれば、決して無傷というわけにはいかない。しかもまずいことに、起爆呪符の一撃では、狗龍を撃退するのは容易ではないのだ。
「…………」
少し考えてみたことがある。が、それはたぶん吉田にとって、言う資格のない言葉のような気がしていた。
吉田はとにかく適性ということにこだわってきた。自分にはできることがある。自分の能力に適した場所が、役割がある。そこで役割を果たせばそれで良いのであって、自分がなぜそれをするのかについては、あまり考えずにいたし、それが最善だと思っていた。
別に環境のせいだとか、親の影響だったわけでもなんでもない。ただ彼は早いうちからそういうものだとどこか思ってたし、明日世の中がどうなっているかなんかスケールがデカすぎて考える頭が足りないとすら思っていた。
だから、ぶっちゃけた話、仲の良い同僚が元気でいてくれれば、それで良かった。
でも、それはただ自分が恵まれた環境にいて、そのしわ寄せを誰かに押し付けているだけの裏返しかもわからなかった。
あいにく吉田は後衛で戦い続けてきた人間だった。安全圏から式神を組み、結界で身を守りながら情報伝達と情報収集に徹する。然るべき役職に報連相すれば、自分の役目は終わり。あとの災厄は、別の担当が始末するがその行く末には責任を持たなくていい。
要するに、吉田は怪我をしたことがないのだった。
いま、こうして前線に立ち、生身の人間を相手にすると混乱する。自分が何をやってるのか、自分が何のためにこんなことをしているのか、改めて問われて、考えないようにしていても、つい我に返る時がある。
それは、きっと自分が今までのやり方にどこか後ろめたさがあったから、なのだろうか。
もしかすると、あと五分ぐらい逃げて回れば、岐先輩なり猫依さんだったりが駆けつけて助けてくれるかもわからない。でも、それでは何かがいけない気がした。自分が思わず吐いた言葉が、同じぐらいの鋭さで自分に刃向かってきている。果たしてそれは自分に言う資格があったのか。果たしてお前はそれを言うに足るだけの行動をしたのか、と。
もし、この問いに答えるのであれば、その先に足を踏み出すのであれば、吉田はあえて傷つくことを選ばねばならない。
狗龍の群れが、すでに五メートルの間合いに迫っていた。吉田は決意した。身を飛び込ませ、狗龍が吉田の周囲に飛び交う式神に体当たりをしようとする、まさにその場にあえて自分自身を押し当てた。
結果、吉田の周囲に狗龍の壁ができたような、そんなかたちになる。
そこで、吉田は起爆呪符を発動したのだった。