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超常捜査官:岐庚 〜アサルト・オン・ヤオヨロズ外典〜  作者: 執筆・八雲 辰毘古/監修・金精亭交吉
File3:信じるものは掬われる
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38.続・大乗新宿殺戮浄土

 空が、()われていく──


 異変に最初に気づいたのは、平田啓介である。彼は犬神の分霊をもとに魔家四将の一角を追っている途中だった。


「チッ……」


 最初から防げるとは思ってなかった。呪術戦において完璧な〝守り〟は難しい。人手を増やせば増やすほどリスクは増え、仕掛けを増やせば増やすほどかえって自ら用意した仕掛けに騙される。互いに術を用いるものの鉄則は、人は道具であり、相手の術は仕返す。このことに尽きる。

 だから、怪獣でも出てこない限り、必要最低限の精鋭の行動が一番なのだ。


 しかし自分の持っている手札の上限を、望月サヤカが見逃しているわけがない。

 冬堂井氷鹿に対する逆転の切り札を、望月サヤカが用意しなかったとは誰が考えることができただろう? 当然、持ってきたに決まっているのだ。


 この天空の変異は、まさにその駆け引きに平田が負けたことを意味する。

 とはいえ、まだそれは第一段階に過ぎない。


「まあ、ある意味想定内ってとこだが」


 ここ二週間、ずっと情報収集につきっきりだった。新宿〝黒塗りエリア〟の地域特性、宗教法人あたらくしあの組織構成、捜査協力者確保や結社の人間相関図、それに、謎の変数:宗谷紫織の過去──

 それらはすべて複雑に絡み合いながら多変数函数を生み出す。この函数のグラフはもはや規則性なんてないかと思われるほど混沌とした図形を描いていた。


 月のカルト、結社、怪獣災害救援救助ボランティア、偽PIRO、救世の戦士、そして望月サヤカの放った〝王道楽土〟という言葉……そこに怪獣災害の憂き目にあった少女と、目覚めた霊能者という事実をあてがううちに、平田啓介の頭にはあるヴィジョンが浮かび上がっていた。


「それだけはさせないようにしないとな」


 おそらく望月サヤカの真の狙いはそれだ。

 そのための対策を数段階に分けて用意するのも平田の仕事だった。おかげでろくに寝れてない。しょうじき、いまこれから戦いになったところで自分が前線で戦う余力なんてありゃしないのだ。


 それでもやらなきゃならない。

 非常に面倒くさいし、つらくてしんどいことだったが、いま一度自分がやると決めたことを、この程度で諦めてはならないのだ。


 平田はすぐさま立ち止まり、椹木信彦に連絡をした。それから数件、然るべき人間に通話をつなぐ。いまから、いまだからこそ話が通じる人間が何人もいる。

 その機会をこそ、平田は狙っていたのだった。



     ※



 日常生活は、事件から事故へ、大惨事から大災害へと続く一つの万華鏡のようだ。


 日が昇り、沈む。

 そして月が不規則に現れては消え、日常のバイオリズムを形成すると、その中から亀裂を作るように太陽が、月が互いに交差する。日蝕と月蝕とは、ともに日常生活を、その礎となる文明に亀裂をもたらす凶兆そのものであったのだ。


 文明は無数の発明を生み出した。しかしその影には常にその発明による事故が、それを悪用した事件が、そしてそれが膨れ上がって出来上がる大惨事と大災害とがあった。産業と情報によって構成された一時代は、次第に急速な発展を遂げ、その数だけ事故と事件を生み出したのだ。

 いわば、負の発明である。

 想定されたものの外側に位置するありとあらゆるものごと──それは喜劇の形をとることもあれば、悲劇の形をもとりうる。前者は〝失敗〟として笑い話になり、後者は警鐘を鳴らす〝犯罪〟、政治と経済の〝失態〟として世論を刺激し続ける。さながら、歴史を永劫呪うことを宿命付けられた悪霊のように。


 しかしそのどちらにおいても、記憶は歪められ、歴史は修正を加え続けられる。決して真実は、そのどちらにも宿りはしない。

 それでも時間は、進歩は、その速すぎる速度を落とそうとはしなかった。


 あらゆる失敗は成功に喰われるためにその肢体をむざむざと晒し、あらゆる犯罪は道徳や規律の乱れを正すための踏み台になる。そして大惨事と大災害は、速やかに埋め立てられ、〝新しい日常〟の名前を冠して犠牲者の記念碑を打ち立てる。

 まるでその存在が蘇ってこないようにと祈るさながら。安らかに眠っていてくださいと乞い願う姿勢は、日常生活がいかに過去を蔑ろにしてきたかを暗黙に物語る。


 東京。ここには、忘れられたあらゆる過去が眠っている。


 かつて海を臨んだ土地、草原に覆われた平原。平家の末裔が敗戦し、清和源氏に制圧された場所。徳川に支配され、新時代に譲り渡された国の名残。

 そして焼け野原だった記憶。その思い出をかき消すように、盛り場が人々と快楽への誘い、それすらも汚点として、踏みにじるように半世紀かけて立ち上がってきたコンクリート・ジャングル。


 その無数の亡骸の上に、この日常生活は、嵐の前の小舟のように揺れていた。

 いま、この舟がひっくり返る。

 朝は来ない。昇りつつある光は月より出でし闇のまなざしに捉えられ、暗転した。


 朝日の閉塞は、夜の再来を意味する。

 そして夜は夢──非現実が顕現する時間のことだった。


 二度目の夜は〝黒塗りエリア〟の収縮によって始まった。

 すでに自衛隊特駆群による観測がこの異変を捉えていた。潮が急速に引くように、それは突然境界を、輪郭を短くしていった。


 しかしそれで喜ぶものはいなかった。


 決して大海原と見間違えることのない異常な霊的磁場である。だがこの様子は自然災害のうちでも最も恐ろしい出来事の予兆、その比喩的な表現を暗示していた。


《再拡張の懸念あり。ただちに行動求む》

《各班了解。作戦行動開始》


 平田の報告と同時に、椹木は観測班からの異変を受け取っていた。

 そして椹木から各実働班へ。

 生命を懸けた伝言ゲームは続く。


 その間にも黒い海は身を縮めていた。さながら飛びかかる寸前のけものが、背を丸めて攻撃への予兆を示すように……


 自衛隊特駆群が巨大な装置を携えて〝黒塗りエリア〟に殺到する。

 あらかじめ用意されたものではない。もともとは対鉄鼠用特殊超音波発生装置と呼ばれたものだったが、今回平田から要請を受けてさらに改造を施したものだった。


 いまやそれは巨大な結界を張るための巨大な礎石のひとつとなっていたのだ。


「おれがタイミングをおしえる。やれと言ったら、しのごのいわずに結界を張るんだ」

《わかってるよ。指揮系統としてはめちゃくちゃだけどな》


 椹木信彦の苦笑が聞こえる。平田啓介はそれでようやく余裕ができた。


「すまんな。こんなことに付き合わせて」

《まあ、お偉いさんにこってり絞られるのは俺じゃなくておまえだ》

「ハハッ」

《平田よ、死ぬな》

「わかってるよ。死にそうだけど、死にたかねえよ」


 通話を切る。しかしこれはあくまで第二段階の施策で、決定打にはならない。


「しょせん時間稼ぎ、か」


 まだあの核の部分に何があるかを把握しきれていない。だが、結界を作動させる以上は、例の術者たちに勘付かれるし、妨害もされるだろう。それは一刻も早く止めなきゃならない。


「ま、そりゃ言わんでもわかるか」


 平田は傍らの犬神を撫でた。小さな柴犬のような形をしたそれは、決してヒトに取り憑いて狂気を促すもののようには見えない。

 だが、かれはハッと気配を悟ると、ぐるると唸り声を上げた。


 ついに獲物は見つかったのだ。


 それは潮の引いた場所、無人の交差点のど真ん中に立っていた。

 平田はというと、新宿駅南口から坂を下るような形でその場に到達していた。


 ちょうど見下ろす格好。


「よう。元気?」と小賢しく手を振る。


 顔を上げるその男は、土師清巳だった。


「…………」

「なんだよ。シカトするのが最近の若いやつかね」

「るせーよ。雑魚は黙ってろ」


 フードを下ろし、白髪を見せる。サングラス越しに見る赤い眼差しは、カエルを睨むさながら蛇。

 平田は豆柴と化した犬神の背を撫で、主人のもとに戻るように促した。


「雑魚ってのは、ひでえな」

「おまえからは妖力を()()()()()()()。あの平田の一族のくせに、その力のなさはなんなんだ?」

「あー、それ言っちゃうかあ」


 肩を揉む。首が凝ってるなと我ながら思う。


「それ言っちゃうと、渡来人呪術師の土師くん、それだけエリートの血筋に生まれながらなんでこんなテロリストまがいのことしてんだろ、ておじさん不思議で仕方ないんだけどなー」

「……知りたいか?」

「いいや別に。使用人に手出してドタバタしたうちの不肖の子供の話なんて、聞いても面白くねーもん」

「…………」

「あんた、根っからのクズだな。よくもあの野郎が隣にいて平気なツラできたと、感心するぐらいには、な」

「ほう。おまえ大国の──」

「いちおう、同期だが、おれのほうが上司だ。妖力はないがキャリアはあるんでね」

「じゃ、少し試してやる」


 サングラスを外した。その赤い目が、瞳孔が細長く伸びたかと思えば、蜥蜴のような形態になって、すばしっこく身をうねらせる。

 平田は軌道を見切ってはいたが、すぐに回避できなかった。牙が首筋をかする。切り傷になるかと思った寸前、土師清巳が嘲笑って噛むのをやめた。


「ハハッ、ソラ見ロ。オ前ハ、弱イ!」


 つ、と首から伝う血は、限りなく制御された牙の一撃によるものだった。

 しかし平田は平気な顔をしていた。


「ま、おれはたしかに体術も擬神器も使えねえけどよ」


 がくん、と膝をつく。


「ナッ」


 否。それは土師清巳であった。

 平田啓介は指を振った。


「呪術師の頭の中は、小学校の国語の教科書みたいに馬鹿正直だな。やりやすくて良い」

「ナニシヤガッタァ!」

「べつに。そっちが勝手に毒舐めただけだろ」


 首を指差す。平田の言ってる〝毒〟とは、文字通り血液そのものだった。


「平田篤胤って実は医者でもあったのよ? あんまり知られてないけどな。人体をいじくり回す方の術式も、うちの系統ではある程度持ってる」

「くそっ」

「ま、でも少しだけだから、あと一分もすれば回復するよ。おれ、体だけは丈夫だからね」


 負けねーぞ、と口ずさむその様子は、少年心いっぱいだった。

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