表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
超常捜査官:岐庚 〜アサルト・オン・ヤオヨロズ外典〜  作者: 執筆・八雲 辰毘古/監修・金精亭交吉
File3:信じるものは掬われる
56/82

32.親娘、相対して

 二〇一八年七月十八日。日付が変わるかと言う、その頃──(くなど)庚は腕を固定させたままで外出し、赤坂の料亭へと入る。

 インターネットにサイトを載せない店舗だった。SNSにも公式の画像など一切ない。仮にあったとしてもそれが誰向けなのかわからない、疑問形の発信と共に情報の渦に消えていく。そんな料亭である。だからなのか、ここは都会の喧騒や世間のニュースなどとは一切が無縁であるような、異空間の趣きを放っている。


 苔を巡らせた神聖さすらも感じさせる緑の敷地に、飛び石のように設えられた、円形の花崗岩。千鳥打ちの道筋を辿った先に、にじり口のような狭い玄関に続く。

 案内を受けて座敷席へ踏み込む。そこまでの距離は、外から見ただけではまるで分かりようのないほどの間の長さを感じる。檜の縁側。淡い月明かりを浴びて輝く白い障子戸を、何枚もよぎっていく。


 枯山水の庭を囲む、(うずたか)い竹の塀。隔絶された灰色の世界は、無常の静けさを讃えながらも深淵へと注ぎ込む。次第に満ちてゆく月の光が、まるで自分の生写しだと言わんばかりに地上の無の世界を反映していた。


 女中の一声が、ふと障子戸の向こう側へと掛けられた。


「よい。入れ」


 (いら)えの声は、数年ぶりに聞いたとはいえ、依然変わらず、否、年季を経てさらに重みを増している。

 ごくり、と溜まった唾液を飲み込む。二、三拍の心音が瞬間、迸ったかと思うと、すかさず庚は女中の開いた戸を進んだ。


 奥座に居る男の名は、岐甲太郎。


 齢五十七。戦前生まれがなお現役を誇る政財界にあって、意外なことにこの年齢は〝若い〟。にもかかわらず、その顔は如何様な百戦錬磨の政治家に劣るどころではなかった。

 枯れ切ったかにも思える(かんばせ)は、木彫りの像を油で磨いたかのような照りがある。両の目は眠そうに閉じられていたが、注意の糸は油断なく全身に張り巡らされている。


 その目が薄く、開いた。


「話とは、なんだ」


 相対する、父と娘。その気迫は互いが互いを喰らい合うように放出されていた。


「例の新宿の件」


 と、一拍間をおいて、様子を見る。微動だにしない。

 もともと何を考えているか分かりかねる面持ちなのだ。しかし、最初に掛けたカマに何ひとつ動じていないところは、悔しいが実力者であることの証左である。


「異端の神秘を持ち込んでことを為そうとしている輩がいる。そいつらは結社の生まれでありながら、結社の座に取って代わろうとしている。公安としては、これを止めたい。結社にとってもこれは問題行動のはず」


 慎重に、慎重に言葉を選ぶ。

 ぎこちなくも、情報のみを伝えるように選り抜かれた言葉は、しかしむなしく空を裂き、目の前の男にかすり傷すら付けられない。


「……どうか、力を貸してください」


 ついに頭を下げた。砂を噛むような心地が、全身に苦い麻痺状態を招いた。

 男はなおも、身じろぎひとつない。ただ娘の言葉を、振る舞いを、まるで眼前で飛ぶハエを目で追うような、冷たいまなざし。


 ふと、手を出した。その手はゆっくりと近くの湯呑みを取る。無名の焼き物。黒く手に馴染んだ形状を慈しむように掌中におさめると、徐々に口元へ、吸い寄せられるように最短距離を進んだ。

 そして、喉仏を上下動させる以外には、一切の無駄がない仕草が、唯一の動作となって、場の静寂を支配した。


「で、話はそれだけか」

「……!!」


 顔を上げる。その苦悶にも憤怒にも似た、入り混じった混沌とした表情が、庚の両の目にギラギラと宿った。


「つまらん話を聞かせに来るでない」


 朴訥と語る、その一言一句が、武士の時代の刀にも似ていた。


「人が死ぬことが、つまらないとでも?」


 男は答えなかった。ただ黙々と、傍らに置いた茶菓子と取って、またしても優雅に、淡々と食する。その振る舞いは能のしぐさにも似た荘厳さが漂っており、一切相手に話の主導権を譲らない緊張すらも帯びていた。

 さながら、人の書かれた筋書きでは一切動くつもりはない、とでも言うように。


「庚」


 名を、呼んだ。その響きひとつで、心臓を鷲掴みにされたような緊張が、奔った。


「頭を下げるだけの知恵が付いたこと、わたしは嬉しく思うぞ。あの世で母さんも喜んでいるだろう。世に出て学ぶこと、さぞかし多かったことだろうな」


 歯を食いしばる。ああくそ、この言い回し、この声、そしてこの人を優しく見守るようにして、その実見下しているまなざし。全てが庚の気に障る。


 そして、思い出す。


 かつておのれが無垢であった頃、父親という存在を無邪気にあこがれ、背中を追いかけていた頃のこと。

 幼いうちは、庚もまだ周囲の子供と変わらず、いまあるありのままの家族を幸福なものだと信じる気持ちが残っていた。小学校の運動会、宿題の成績、図画工作の制作物。それほどの小さなできごともビッグニュースになるような、そんな趣きでおしゃべりを止めない子供時代があった。


 母がまだ生きており、父は、良い父だと思っていた。しかし父はあまり家におらず、長く家を離れていることもあった。母から言わせれば、〝お役目〟だからと、仕方がないと言うことだった。そういうものなのか、と特に疑問に思わず日々を過ごしてもいた。

 庚が父・甲太郎に違和感を持ったのは、十三歳の頃だった。誕生日、父は欠かさず祝いに戻ってきた。それだけを聞くと、とてもすばらしい振る舞いに思える。


 だが、甲太郎のプレゼントは、思春期を超えてもなお、小学生時代と変わらない。

 当時好きだったマスコットキャラのグッズに、ショートケーキ。昔はこれで喜んでいた。しかし年を重ね、背伸びして化粧品が欲しくなったり、ダイエットを意識したりすると、こうしたプレゼントは余計なものになっていく。


 文句は言った。変えてくれ、とも言った。

 それでも、プレゼントは変わらなかった。そして言うのだ。「庚はこれが好きだっただろう」と。


 十五になる頃、自分でも理由がわからないほどの嫌悪感とともに、彼女は父・甲太郎についてある見解を持った。それは、決してこの男には自分が見えていないということ。

 父にとって、娘は〝娘〟でしかない。それは日々成長していく人間としてではなくて、今なお変わらぬ思い出としての、自分の子供であるという記号のようなものだったのだ。自動販売機にお金を入れれば飲み物を取り出せる、その程度のものに思われたと感じたとたん、ぞっとするほどの絶望に囚われた。


 だからなのだ。距離を取り、話すことをやめ、会うことすら避けてきたのは。

 それを押して臨んだこの場も、無駄だったかもしれない。この男は、死ぬまで変わらない。母が死んだあとも、その振る舞いを変えなかった。


 後になって、父の〝お役目〟の何たるかを知っても、その気持ちは変わらなかった。

 きっと父は〝お役目〟に生き、〝お役目〟に従い、〝お役目〟以外のすべてのことが一等低いものとしか見えてない。それはふだん、決して軽蔑や傲慢という形ではあらわれなかった。ゆえに一見無害そうに見える。だが庚には、それは偽善であった。まるで自らを慕う人間を、懐いてきた犬か猫のように扱うだけの優しさしか持ち合わせていないかのように見えたのだ。エサを与えるように愛を与える。芸ができたら褒める。だが、それだけだった。おそらくこの男にとって、〝自分たち〟以外のすべての人間がこういう対象でしかないのだろう。


 凡人にとって、それは紛れもない愛情であり、親愛であり、優しさだった。だがその〝優しさ〟の正体は見下しだった。おのれと決して同格ではない、という軽蔑。それが人に対する優しい振る舞いを可能にする。

 そして、庚はそういう〝やさしさ〟に対して、人一倍敏感に、毛嫌いする感性をいつのまに育んでしまっていた。

 

「御託はやめだ」


 形だけまじめにしようかと思った。距離の空いた家族だから、もう少ししおらしくしたほうがよかったかと思った気持ちも、いま吹っ切れてしまった。

 半身、前に乗り出す。着物の襟を強引につかんで引き寄せると、


「望月サヤカの居場所を教えろ」

「……誰のことだね」


 驚きもしなけば、怒りもしない。甲太郎はただけげんそうに、娘を見た。


「白山菊理(ククリ)、と言ったほうがわかる?」

「ほう。白山の娘か」


 左手を、襟をつかむ腕に置く。とたんに嫌な気配を察知して、庚は襟を離した。あと一瞬遅かったらやられていたかもしれない。そんな懸念は、確かめようがなかったが。


「白山の娘からは、もうすでに言伝を受けているよ。〝手を出すな〟とのことだ。だから冬堂くんが動いてなかっただろう?」

「そんなことはわかってる。そういうことじゃない。あれほどのテロが、政財界もパニックになるほどの事件が起きていながら、なんで結社は平気でいられるんだ。あいつはどんな取引を持ちかけた?」


 甲太郎のまなざしは、興味深そうに微笑んでいる。


「興味があるのか」

「そういうことはどうでもいい。答えるのか、答えないのか」

「やる気があるようなら、少し説明してもいい」

「ならいい。話せ」


 岐甲太郎はほくそ笑むように顔を歪めると、片膝を立てて座り方を変えた。


「白山の娘な、あやつは面白い話を持ちかけたから、よく覚えている。国は、霊能者(われわれ)の手に戻してやらねばならない。そう言ったのだよ。殊勝な心掛けだとは思わないかね」

「…………」

「長らくこの国は余計な教えに導かれた党派が多くてな。結社としてもそのひとつひとつを退けることに苦労していた。世間を見てみろ。彼らが神や仏を信じなくなってから、どれだけの時が経ったと思う? 政教分離の原則などとうたって、結社と縁を切ろうとする政治家も少なくなかった。お陰で三年前、あのような失態を招いたわけではないか」


 庚はまだ答えない。しかし、軽い絶望にも似た気分が心を蝕むのに気がついた。


「いにしえの神々を〝怪獣〟と呼び、その被害を天変地異と見て習わす。そんなことをしたところで無駄なこと。まつりごとをして政治と文字を書く、その真髄を知らぬ愚かな人民の自業自得にあえて付き合う道理がどこにあるというのだね」

「あんた、人の命をなんだと思ってるんだ……ッ!」


 岐甲太郎は立ち上がって、縁側に歩み寄った。庚は食い付くつもりでその背中を目で追った。逃がさない、とまなざしで言った。それが届いたのか、甲太郎は振り向いた。

 その背中には、欠けた半身からゆっくり身を膨らませる月の影があった。


「ひとつ、大事なことを教えてあげよう。人民とは自分のことしか考えない豚なのだよ。そして霊能者(われわれ)は、その豚を正しく管理するものでなくてはならない。飢えないようにエサを与え、病気にならないように世話を焼き、然るべき日に死なせ、世のためになるようにする。それを拒んだのは彼らなのだ。わたしとしては、ゆっくり待ってやるしかできない。鞭を打つ理由はどこにもないのだからね」

「……ッ!」


 このとき、庚は父とは一生和解できないことを直観した。

 甲太郎は、感慨深そうに月を見た。


「しかし白山の娘は、あえて鞭打つ側になると言ったのだ。恨まれることも、終生許されないことも承知の上で、この国の民に試練を与えると宣言したのだよ。すばらしい若者ではないか。彼女のような志しこそは、いまこの国に必要な力だからな。だから〈月卿(まえつきみ)〉の連中が手出しできないように、わたしが根回ししたのだ」

「……〈月卿〉?」

「災害以来、この国の在り方に口出ししている連中だよ。確か慈善事業もしていたはずだ、名前は……あた、なんとか。老人介護サービスみたいな名前だったな」


 〈あたらくしあ〉だ、と庚は思った。あの組織は望月サヤカの私有物だと思っていたのだが、違うのだろうか。

 そういえば、その宗教法人の成り立ちは、望月サヤカの活動と微妙にずれている。〈あたらくしあ〉の歴史の方が、望月サヤカよりも古いのだ。


 ということは、望月サヤカを何としてでも止めたい連中が、結社の中にもいるということになる。


 何かが、閃いた。それは決定打ではないかもしれないが、最終的に望月サヤカを捕らえるためには欠かせない重要な鍵穴の発見だった。あとは、鍵を見つけるだけ──


「ありがとう。()()()()。よくわかった」


 初めて、この父親に感謝の意を伝えることができたかもしれない。そんな感慨も多少、よぎった。


「納得できたなら、良い」

「それと、もうひとつだけ、話があるんだけど」

「なんだ?」


 深く息を吸う。これが鍵になるかはわからない。しかし、やらねばならない。覚悟を決めて、言った。


「昔やった稽古の続き、やらせてもらえない?」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ