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超常捜査官:岐庚 〜アサルト・オン・ヤオヨロズ外典〜  作者: 執筆・八雲 辰毘古/監修・金精亭交吉
File3:信じるものは掬われる
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27.ここは異胎の国

「遅かったな、公安!」


 庚たちの前に立ちはだかるのは、紫の衣をまとった老翁。その名を千柳斎(せんりゅうさい)東厳(とうげん)という。かのものはすでに修法の詠唱を終え、その完了を待ち望むばかりとなっていた。

 言った通り、遅かったのだ。しかし庚たちはその言葉の意味のニュアンスしか汲み取ることができなかった。


「やっぱりここか!」


 身構える。千柳斎の周囲にはすでに修法に参加した三十人余りの術者と、もうひとり離れた箇所で小柄の女術師がいた。

 だが、庚の目はその奥に立っている少女に釘付けられている。


「宗谷紫織ッ!」


 呼ばれた少女は、しかし応えない。


 少女はただ恍惚(うっとり)とした表情を浮かべ、虚空の黒いまなこに向かって見上げる姿勢を取っている。もはやそれ以外は眼中になく、雑面(ぞうめん)法師と呼ばれる所以たる雑面もどこかに消えていた。突風に剥がされたのか。それとも自分で外したのか。その過程を探る余裕は庚たちにはない。

 庚は一足飛びに擬神器を起動し、千柳斎の頭上を乗り越えんばかりの跳躍力で宗谷紫織に突撃した。


 ところが──


 その攻撃は中空で見えない壁に阻まれて、庚はゴム毬のように跳ね返されてしまった。千柳斎の高笑いが後を追いかける。


「ははっ、愚か者め! もうすでに修法は完成しておる! お前らにできるのは、この世の地獄が暴かれるさまをただ眺めておるだけよ!」

「くそっ!」


 カバッと起き上がる庚。すかさず千柳斎が長物を手に襲い掛かるのを、ひらりひらりと避ける。


「我が名は千柳斎東厳ッ! いざ尋常に、勝負! 勝負ッ!」


 二撃、三撃繰り返す動きを避けつつ、間合いを取る。距離を開けば開くほど庚の得意分野から離れてしまうが、この際仕方がないと腹を括った。

 これが単独独行の作戦ならば、こうはいかない。しかしいまはひとりではないのだ。


「先輩ッ!」

「まかせて」


 溜めた構えからの、一閃。千柳斎の長物はあっけなく両断された。


「ホウ、やりおるわい」


 ふたつの棒切れと化したそれを、彼はまだ手放さない。トンファーのような構えに変えて、今度は山崎ひかりに狙いを絞る。千柳斎はその外見にそぐわず、かなり近接先頭に特化した矍鑠(かくしゃく)たる気迫を見せていた。


倫子(ともこ)よ! はようせんとこやつらわしが食い散らかすぞ!」


 奥で座していた女性も立ち上がる。


「うるさい。勝手にやってろ」


 彼女の手前に並ぶ四つの袋。そのうちふたつの口は開いている。

 左右非対称(アシンメトリー)の白黒服を着たその女は、ひたいに汗を浮かべながらビルから外を見ているようだった。


《岐先輩、あいつだ》


 吉田の式神が庚にささやくように伝えた。


「はっ? なにが」

《あの女の人が、ライゴウやヌレハガチを操ってる式神使いです。彼女の術を止めれば、自衛隊を待たずに怪獣退治ができます》

「なるほどな……!」


 ちらと見た後、千柳斎を視界に捉える。


「吉田、一秒隙を作る。式神であの術者を止められるか?」

《……やってみましょう。どうせ、できないなんて言えませんしね》

「よろしく頼んだ!」


 庚はふたたび体をねじって千柳斎へ殴りかかった。すかさず反応する老爺だったが、山崎ひかりも同時にかかる。その間わずかコンマ〇.五秒のせめぎ合い。薙ぎ払い、払い落とし、組み打ち、交差する。抜き差しならぬ攻防戦が眩い速さで繰り広げられる手前、針の穴のような細い緊張の隙間を、一羽の式神がくぐり抜けた。

 だが、周囲の術者が黙っていない。その軌道・動き・狙いからして弓削倫子を撃つことが間違いないと目されたその式神を撃たんと、多くの呪符と手数が展開する。吹き荒れる風に飛び交う術式。真言陀羅尼と呪詛の言葉が往復するさなか、拳と刀と二本の棒切れが空を叩く。千柳斎がしたり顔で笑む。


「このジジイ、おなごふたりに打ちのめされるほど年寄りではないわい」


 両手に構えた棒切れを、拍子木のように打ち鳴らす。その音がカーン、カーンと甲高い音を虚空に鳴らすたび、老爺から放たれる気迫が充ち満ちていく。

 二度、三度と間を挟みながら組み手を交わすうちに、ふたりは、この音を鳴らすという行為が千柳斎の妖力を高めているのだと理解した。


 瞬間、ふたりは目配せする。瞬き一回のアイコンタクトが、意思疎通を図った。


 山崎ひかりが二歩踏み込む。鋒を下に潜らせるように突く構え。千柳斎の左腕はすかさず動きを予測して上から押さえ込んだ。すると水曜刀の動きもこれに応える。

 振り上がると同時に切り上げる。千柳斎は手首を返してさらにこれをいなした。これらの動きわずか一秒にも満たないなかを、庚は反対側からさらに間合いを詰めた。まさに死角をねらった。そう見えた。


 千柳斎は、しかし笑った。


 その場でバク宙をかます。庚のこぶしが宙を舞ったかと思った矢先、彼は紙のような軽やかさで、庚の腕の上に着地する。とっさに腕を引く動作をするものの、第二撃でしたたかにあごに蹴りを食らった庚は、目眩とともに怯んでしまった。

 そこに一段高い高さから短い棒切れが振り下ろされる──


 だが千柳斎は見逃さなかった。

 庚が大胆不敵に微笑むのを。


 背後から急激に立ち昇る妖力があった。五行説に基づいた正統派の黒。すなわち水の気。こんこんと湧き上がり、噴き出す水源のごとく、妖力は細く鋭く、殺気を込めて狙いを定める。

 山崎ひかりである。


黝雨(くろさめ)──穿(うがち)


 それが横切ったとき、音すらしなかった。斬られたものがそのことに気がつかないような、歪な空間の静止がそこにはあった。時が止まったような数瞬間、永遠とも思える緊張が横たわったかと思うと、ついに千柳斎の片腕に夥しい流血を伴ってそれは顕現した。

 つかの間、千柳斎はあまりに予想外の負傷にうめいてしまった。棒を握る手が弱くなり、庚を屠るであろう一撃を逃してしまう。しかし同時にホッとしてもいた。いまの一撃を胴に浴びていたらひとたまりもなかったはずだ。それを受けずにいたのは、とっさに虫の知らせが脳裏をよぎったからだろう、と。


 半身を捻って着地する。腕を庇わずにはいられなかったが、それでもまだ余裕はある。


「惜しかったな。その隠し玉、効いたぞ」


 凄みを効かせて言ったつもりだった。しかし庚は鼻で嗤った。


「ちげーよ。あんた狙ってないって」

「なんだと?」


 そこではたと思い至る。千柳斎と山崎ひかりの位置関係──その奥に座しているものの存在を。

 ばたん、と音を立てて倒れたのは、その時だった。


「倫子!」


 見れば、弓削倫子の四つの袋のうち一つがみるも無惨な状態で切り裂かれ、本人も腕が使えなくなりそうなほどの裂傷を受けていた。巻き添えを食らった術者も五、六人。千柳斎は怒りに駆られた。


「おのれよくも!」


 しかしとたんにビルに地震のような揺らぎが起きた。式神使いである弓削倫子が精神集中を削がれたことで、外で蠢く怪獣たちが制御を失ったのである。ライゴウもヌレハガチもわずかな間に野生を取り戻した。するとどうなるのか──


 ずずずずず、と這い上がる音がする。ビルの屋上と下界を仕切る金網すらも乗り越えて頭をもたげてくるのは、巨大なムカデの頭である。鎌のような口の両端がカチカチと音を鳴らす。ヒトを単なる餌としてしか見てないような無感動な蟲の目が、屋上の人類を眺め渡した。


 ところが、その時だったのだ。

 積陰月霊大王降誕の儀式が完了したのは。


 全員が怪獣の眼に驚いたと思うと、急に周囲に光が満ちあふれた。黒い光だった。光ではない、闇のスペクトラムが一面を縦の線に刻み込むと、視界が徐々に狭くなっていく。何重にも重ねられたスリットの隙間をかいくぐるようにして目を凝らすと、そのさなかに黒いまなざしがぐるりと周囲を見回す挙動を確認したのだ。


「なに?」「おい!」「先輩!」「そこにいるのか!」「何が起きてる?!」


 陣営問わず、屋上階にいたすべての人間が混乱に陥る。事態を分かっていたのはただひとり──千柳斎東厳だけだったと言っていい。かれはついに笑い声を上げ、言った。


「ついに降臨するぞ! 歴史に名を葬られた暗黒の王──積陰月霊大王が!」


 だがその声すらも、最後まで聞こえるか聞こえないかのところで掻き消えた。

 後に残るのは闇である。

 沈黙と暗闇が、あたりを覆った。

 あらゆる五感に幕が降りた。

 残されたのは霊能──第六感のみだ。

 その本能が叫んでいる。ここは危険だ。すぐ逃げろ。でないと……


 でないと? どうなるんだ?


「ァアアアア!!!」

 

 悲鳴だ。知らない人の声。術者のひとりか。いったん悲鳴が上がると連鎖的に複数人の声が続く。恐怖は恐怖を呼び、暗闇の胎動が喜ぶように弾んだ。

 やがて、沈黙が舞い戻った。心拍音すらも聞こえなくなるような無の時間が訪れる。


 無。夢。霧。そして()


 視界を奪っていたものが次第に開けてくる。ある霊子力学の学説に拠ると、霊視とは光よりも速いとされる暗闇のスペクトラムを受け取る受容体が多いことからこれを可能にしているとされている。つまり霊体とは通常の視覚──光の受容体では認知できない粒子で構成されており、不可視でありながら実体であるエネルギーとして、闇の存在は確たる存在を保証されていた。

 その闇がいま、目の前で凝固している。さながら天地の始まりにおいて槍の穂先から滴る泥濘(でいねい)に、身を凝らせてできたという最初の大地の誕生のように。


 した した した


 何かが上から落ちている。水滴のようなもの──しかしそれは天から流出した巨大なエネルギーの塊であり、固体であると同時にすでに溶けかかった氷のように虚しいものだ。


 こう こう こう


 息づく音がする。液体から噴き出す気体(ガス)の音──しかしあぶくのような汚らしい音ではない。すでに中に生命を宿し、呼吸を始めたかのような規則的な旋律だ。


 ひた ひた ひた


 濡れた手足があたりを探っている。それを手足と呼んでいいかすら定かではない。触手と呼ぶのが的確かもしれない。指が分かれた先端部が、自分の存在を保証する場所と空間に触れようとところ構わずまさぐっていく。

 ときに、だれかに触れた。それは未知の存在として恐怖を催した。しかし恐れのあまり生き残った誰もが声を上げることが叶わなかった。粘液にまみれた先端が、骨を知り、肉を知った。それは学習が早かった。恐怖を手のひらで捉えることにかけて、その理解はあらゆる知の巨匠を上回っただろう。


 たん たん たん


 そしてついになにかを踏み固める動きがあった。闇はかたちをなし、光を恐れることなく二足歩行の形態を取り始めた。しかしそれは次第に輪郭を萎ませていき、ひとりの少女の内側へと籠るように動いていった。


 やがて暗闇が開けた。月の光だけが救いの女神のように、彼らの前に佇んだのだった。


「い、いまのは……?」


 怪獣はいる。人はまだ残っている。吉田の式神も無事だった。しかし何かが……何かがおかしかった。時計の針が瞬間巻き戻ったかのような、時空のずれのようなものが、そこにはあった。

 その正体を知っていたのは、おそらく宗谷紫織ただひとりだっただろう。


 くすっ、と笑うしぐさがあったように、見えた。

 とたんにヌレハガチが我に返ったように、屋上の人類に歯向かう。しかしそこに宗谷紫織が振り返り、キッと睨む眼の送迎を受けた。


 ぱん


 風船でも弾けるように、ヌレハガチの頭部が弾けた。頭部のパーツが重量を伴って屋上、ビルの外に落ちていく。着地した箇所から壮絶な音と震動をもたらす。

 庚たちも千柳斎も、もはや勝負どころではなくなった。庚たちは退き、千柳斎は弓削倫子の手当てに移った。そのさなか宗谷紫織だけがただ月を見つめて、立ち尽くしていた。


「始まるよ」


 宗谷紫織の声が、後から続く激動のシーンの開始を告げたのだった。

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